前編ではマルコポーロの東方見聞録と、かつては東北で金が多く採れたこと、そして「黄金の国ジパング」が東北地方であるという説について解説した。
後編ではなぜ東北で金が取れるのかと、「ジパング」東北説についてさらに掘り下げたい。
なぜ東北で金が採れたのか?
宮城県の南三陸町歌津地区は、石の中に「アンモナイト」の化石が非常に多くあり、「化石発掘ツアー」が観光の目玉の一つとなっている。
南三陸で化石発掘体験
https://www.tohokukanko.jp/attractions/detail_1003629.html
また、アンモナイト以外にも「魚竜」という2億5,000万年以上前の化石が発見されている。
これほどまでに古い時代の化石が数多く見つかる場所は、世界的に見ても珍しいのである。
実は古い化石と大きな金が採れることには深い関係がある。
通常、古い時代(2億年前や3億年前)の化石は地中の奥深くに眠っていて、金も地下深くの方が大きくなるという特徴がある。
そして驚くことに、東北地方は地下深くの地層が何らかの地殻変動によって地表近くに現れた独特の場所なのである。
その地殻変動が、岩手県と宮城県付近(北上山地付近)にたまたま起きたという。
つまり岩手や宮城は、地殻変動によって大きな粒の金が採れる、ある意味とてもラッキーな場所だったのである。
ジパングってジャパンなの?
日本は英語ではJapan(ジャパン)と呼ばれているが、元々はマルコ・ポーロがいた時代の中国の漢語の音が、発音で「ジパング」と聞こえたという。
マルコ・ポーロは日本に来たことがないので、「東方見聞録」は日本で見聞きしたことを書いているわけではない。
では誰から情報収集をしていたのか?
当時の中国には様々な国の商人が集っており、イスラムや中国の商人たちから得た日本の情報だったと考えられている。
第二の候補地があった?
また、「ジパング」は「東南アジアのタイ」という説もある。
東方見聞録の「ジパング」の記述には「東南アジアの特産品であった香辛料が豊富にある」とも書かれている。
確かにタイは、香辛料と黄金に溢れている国である。
ちょうど東方見聞録が書かれた頃、タイでは仏教の影響を大きく受けるようになり、黄金の仏像や建物が次々と造られていた。
建物の中の装飾にも金が多く使われ、まるで黄金の宮殿と言っても過言ではない。
しかもタイでは、金でつくられた仏像に更に金箔を貼ることは善い行いだとされていた。
金箔を貼る場所によってその効果が異なり、仏像の頭に金箔を貼ると頭が良くなるとされ、おなかとへそに金箔を貼ると一生食べることと財産に困らないとされている。
日本の金はブランドだった
マルコ・ポーロがフビライ・ハンのところに居たのは13世紀の後半だった。しかし当時の東南アジアは実は金がほとんど産出されていない地域だった。
特にタイは、その当時あまり金は産出されず、主に中国から輸入していたとされている。
では、中国はどこから金を手に入れていたのだろうか?
奥州藤原氏は中国・宋の時代から、京都を経由しない交易の直接ルートを持っていた。※寧波(明州)
当時の中国は日本から大量の金を輸入しており、その量は年間約370kgだったという。
それだけで当時の世界全体の金産出量の15%に相当する量であったという。
つまり東北地方(奥州)の金が中国を介して東南アジアのタイに渡り、タイの黄金文化を花咲かせていたということになる。
当時、中国では日本産の金を「倭金」と呼び、高級ブランド化していたという。
ジパングが歴史を動かした
大航海時代を代表する探検家・冒険家のコロンブスは、アメリカ新大陸を発見したことで有名な人物である。
実はコロンブスは、マルコ・ポーロの東方見聞録を呼んで大きな影響を受けたという。
コロンブス自身が東方見聞録を所有し愛読していたのである。
コロンブスが所有していた東方見聞録には、ラテン語で「ジパング」のことを「アウルム・イン・コピア・マクシマ」と自筆で書いていたという。
アウルムは「金」、コピアは「大量」、マクシマは「最大」と訳される。
つまり、コロンブスは「ジパング」を「金が大量にある国」だと思っていたのである。
そう考えるとコロンブスの大航海の探検・冒険の目的の一つに、黄金の国「ジパング」も含まれていた可能性は高くなる。
コロンブスは黄金の国「ジパング」を目指していたのだろうか?
アメリカ新大陸を見つけた後、実際にコロンブスは「ジパングを必死に探していた」と当時の航海日誌には書かれている。
その当時の地球儀は、アジアの東に現在の日本とは比べ物にならないほど大きく日本が描かれていた。
しかも、その島の中央には大量の金が産出するとまで書かれていたのである。
その当時の地球儀を現在の地図に重ねてみると、なんとアメリカ新大陸の南西部にあたるのだ。
つまり、コロンブスが目指したのはアメリカ新大陸ではなく、黄金の国「ジパング」を追い求めて航海をして、たまたまアメリカ新大陸に到達したという可能性がある。
まさに黄金の国「ジパング」が、世界の歴史を動かしたと言っても過言ではない。
おわりに
マルコ・ポーロの東方見聞録の中で登場する黄金の国「ジパング」は日本のことで、伝説の「黄金の宮殿」は、奥州平泉の中尊寺金色堂だった可能性がかなり高い。
遣唐使時代の留学生の持参金や日宋貿易で日本側の支払いに金が使われていたことによって「日本は金の国」という認識が中国側にあり、マルコ・ポーロはそれに加えてイスラム社会で黄金の国を指す「ワークワーク」の「ワーク」がなまって「倭国」と聞こえたのだと思われる。
いずれにせよ中世の日本は金の産出量が非常に高く「黄金の国」だったことは事実である。
参考文献 : 「あなたの知らない岩手県の歴史」 「三陸ジオパーク 繁栄を支えた金山と製鉄の歴史」
楽しく読ませていただきました。奥州・藤原氏の後ろ盾に、十三湊の安藤氏がかかわっていました。清衡の母は、安倍氏頼良の娘であります。安倍氏が厨川の戦において、源頼義・義家父子と清原氏の連合軍に敗れた時、親戚関係にあった十三湊の安藤氏を頼って貞任の次男高星が家臣に連れられて、十三湊に逃れた。その後、一方の安藤氏を名乗って投手になった。さらに、安藤一族は二つに分かれ権力争いをしたために、津軽氏滅ぼされた。本家として秋田氏が残り、その他の一族は渡島(北海道}や東北周辺に逃れた。我が鈴木は現在宮古市田老に本家があり幕末までは、安藤を名乗り、古文書は安藤の署名があります。あ¥sらに、現在の家を手手直すまえには、二階に鎧兜もあったそうです。我が先祖も十三湊の安藤氏の系統と思われます。