鎌倉殿の13人

泣く子も黙る三浦悪四郎!たかお鷹の演じる老勇者・岡崎義実の生涯【鎌倉殿の13人】

令和4年(2022年)NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」、皆さんも観てますか?

……かつて平治の乱に敗れ、伊豆国へ流されてから20年。雌伏の時を乗り越えて、源頼朝(演:大泉洋)公はついに平氏討伐の兵を挙げました。

その大志に感じて参加した一人が、たかお鷹の演じる岡崎義実(おかざき よしざね)。亡き父・源義朝(よしとも)の代から源氏に仕えてきた老勇者です。

頼朝公の挙兵に馳せ参じた老武者(イメージ)

しかしいかんせん高齢のため、続いてやって来る佐々木秀義(演:康すおん)ともども「まるで老人の寄り合いだ……」などと頼朝公に危ぶまれる始末。

だがちょっと待って欲しい。ドラマの都合で(それはそれで面白いけど)なんか頼りなげなおじいちゃんぽく描かれている義実。でも彼はかつて悪四郎(あくしろう)と呼ばれたほどの豪傑でした。

悪(憎)らしいほど強い四郎……今回はそんな異名で恐れられた岡崎義実の生涯をたどってみたいと思います。

頼朝公の挙兵以前は?

岡崎義実は平安時代末期の天永3年(1112年)、相模国の大豪族・三浦介義継(みうらのすけ よしつぐ)の四男として誕生しました。

三浦義明と義澄父子。勝川春亭筆

兄に三浦義明(よしあき)がおり、後に「鎌倉殿の13人(幕府宿老)」となる三浦義澄(演:佐藤B作)の叔父に当たります。

義実が史料に登場するのは治承4年(1180年)8月6日、頼朝公の挙兵を知って真っ先に駆けつける一人として名前を連ねました。

邦道・昌長等を召し、御前に於いて卜筮有り。また来十七日寅卯の刻を以て、兼隆を誅せらるべきの日時に点じをはんぬ。

その後、工藤の介茂光・土肥の次郎實平・岡崎の四郎義實・宇佐美の三郎助茂・天野の籐内遠景・佐々木の三郎盛綱・加藤次景廉以下、当時経廻士の内、殊に御恩を重んじ身命を軽んずるの勇士等を以て、各々一人次第閑所に召し抜き、合戦の間の事を議せしめ給う。

未だ口外せざると雖も、偏に汝を恃むに依って仰せ合わさるの由、人毎に慇懃の御詞を竭さるの間、皆一身抜群の御芳志を喜び、面々勇敢を励まさんと欲す……(後略)

【意訳】占いの結果、来る8月17日に山木兼隆を討つことと決した。

それから頼朝公は、工藤茂光(演:米本学仁)・土肥実平(演:阿南健治)・岡崎義実・宇佐美助茂(うさみ すけもち)・天野遠景(あまの とおかげ)・佐々木盛綱(演:増田和也)、加藤景廉(かとう かげかど)など親しい中から特に忠義に篤い命知らずの勇者たちと、一人ずつ呼び出して面会。

頼朝 これから言うこと、誰にも漏らすな。良いか。今まで黙っていたが、わしがいちばん頼りにしているのは、じつはお前なのだ。

※NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第4回「矢のゆくえ」より

などと告白。みんなが「自分は佐殿から頼りにされているのだ」と喜び、奮い立たせようと思ってのことだった。

……この名場面は大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも再現されており、義実もその栄誉にあずかっています。

ただし、義実はこの時点で69歳。いくら何でもそれまでの人生において何もしてこなかったはずはありません。

そこで史料に明記されていないものの、義実がたどってきたであろう事績について考察していきましょう。

源義朝の忠臣として活躍

まず義実が生まれてから元服し、頼朝公が挙兵するまでの68年間で主君・源義朝や三浦一族と共に体験したであろう事績を年表形式でピックアップしていきます。

天永3年(1112年) 誕生(1歳)
大治元年(1126年)±2年 元服(13~17歳。推定)
天養元年(1144年) 天養騒動。義朝が義明らと共に大庭御厨へ乱入(33歳)
久寿2年(1155年) 大蔵合戦。源義平(頼朝公の長兄)を三浦義明が後方支援(44歳)
保元元年(1156年) 保元の乱(45歳)
平治元年~永暦元年(1160年) 平治の乱で義朝が敗死、その菩提を弔う(49歳)

また年代は特定できないものの、義実は相模国西部の豪族・中村庄司宗平(なかむら しょうじむねひら)の娘を娶ってその聟となりました。

このころに相模国大住郡岡崎(現:神奈川県平塚市)に領地を得たため、岡崎へ移住してその地名を苗字としたものと考えられます。

久寿2年(1155年)には長男の佐奈田与一義忠(さなだ よいちよしただ)、続いて土屋次郎義清(つちや じろうよしきよ)が生まれました。

親子で苗字が違うのは、義忠は佐奈田の領地(岡崎の西方)を得たため、義清は土屋家へ養子に出たためです。

ほか義実は土肥実平の姉妹も娶っており、義清についてはこちらの子である可能性もあります。

保元の乱。悪四郎もここにいたのだろうか。神泉苑蔵「保元・平治合戦図屏風」

天養騒動、大蔵合戦、保元・平治の乱……源氏累代の家人・三浦党の一員として、大いに暴れ回ったであろう悪四郎。

また史料には残っていないものの、領界を接する鎌倉一族(大庭ら)ほか周辺豪族らと繰り広げてきた小競り合いにおいても武勇を現したことでしょう。

そして義朝が敗死した後、義実は源氏の故地である鎌倉・亀ヶ谷(現:扇ガ谷)に草堂を建ててその菩提を弔いました。

これが現代、鎌倉五山の第三位として知られる寿福寺(じゅふくじ)の起源。後に頼朝公がここへ御所建設を計画したものの、土地が狭いなどの理由で大蔵(現:西御門)に変更しています。

平治の乱に敗れ、伊豆国へ流罪となった頼朝公の身を案じつつ、亡き主君・義朝の菩提を弔う日々……いつか頼朝公が挙兵するなど、思いも寄らなかったことでしょう。

だからこそ頼朝公の挙兵に際しては真っ先に駆けつけ、誰よりも喜んで忠節を尽くしたのでした。

石橋山で息子を討った仇を赦す

「この度は平氏討伐の御出陣、まこと祝着至極に存じます。老骨なれどもこの岡崎悪四郎、佐殿が御為なれば犬馬の労も厭いませぬ。それにしても大層ご立派になられて……亡き御殿も、さぞやお喜びにございましょうぞ……」

「あぁ、分かった分かった。まったく年寄りは涙もろくていかん。戦さはこれからじゃ、恃みにしておるぞ」

「ははあ……っ!」

さて、20年の雌伏を乗り越えて挙兵した頼朝公につき従った義実は、初戦の山木兼隆(演:木原勝利)討伐に勝利するも、続く石橋山の合戦で大庭景親(演:國村隼)に敗れてしまいます。

この敗北によって息子の佐奈田余一義忠を喪いますが、これしきで挫けては坂東武者の名折れ。

再起を期するべく海路を安房国(現:千葉県南部)へ渡った頼朝公ご一行は、千葉介常胤(演:岡本信人)や上総介広常(演:佐藤浩市)、畠山重忠(演:中川大志)ら有力豪族の協力を得て捲土重来を果たしました。

「……そなたが新六か」

鶴岡八幡宮蔵「源頼朝一代絵巻」より、背後から義忠を討ち取る新六。

石橋山で義忠を討った長尾新六定景(ながお しんろくさだかげ)が頼朝公に投降。その身柄が義実に預けられました。

「ご子息の仇ゆえ、好きにして≒殺して構わぬ」

頼朝公からのメッセージを受けた義実は、然るべき日取りを選んで処刑しようと思っていたものの、毎日法華経を唱えて過ごす定景の姿を見て思い直します。

「ヤツは義忠と同じくらいの年齢。一心に仏の慈悲を希(こいねが)う若者を殺してしまっては、冥土の義忠が成仏する妨げになるかも知れない」

ここは恨みを呑んで赦すことで、義忠も浮かばれるだろう……そう考えた義実は頼朝公に助命を嘆願。以来、定景とその兄・長尾新五爲宗(しんごためむね)は三浦の郎党として仕え、大いに武勇を馳せたのでした。

頼朝公から水干を賜り、大はしゃぎ!

そんな人格者な一面を見せた義実ですが、時には年甲斐もなく不始末をやらかしてしまうこともありました。

治承5年(1181年)6月19日、三浦義澄の館で宴会が開かれた時のこと。すっかりいい気分になった義実は、これまでの褒美として頼朝公に、その来ている水干(すいかん)をおねだりします。

「これか?そんなに欲しければくれてやるから早速着てみよ」

「ありがたき幸せ……源氏の棟梁が御自ら下さった水干、末代までの宝物じゃ!」

頼朝公の水干を身にまとった義実は、袖をヒラヒラ裾をくるくる、一人ファッションショーを楽しんだことでしょう。

「与一(石橋山で討死した義忠)、与一よ……佐殿から頂戴した水干じゃ。よう見てくれ、似合うか。似合うとるか……?」

永年の苦難を乗り越えた、万感の思いで涙する老勇者。石橋山を知る者は、誰もがもらい泣きしてしまったかも知れません。

歌川芳虎「大日本六十余将 上総介広常」

すると、これを妬んだ上総介広常がヤジを飛ばします。

「そういう立派な服はそれがしにこそ似合うのじゃ。あんな老いぼれにくれてやるのは勿体ないわい!」
【原文】この美服は広常が如きが拝領すべきものなり。義実の様なる老者が賞せらるるの条、存外

いやいやあなただって推定60代、結構なお年寄りでしょうに……ともあれこれを聞き咎めた義実は、怒髪天を衝く勢いで反論しました。

「うぬぁ、自分が大軍を率いて手柄を立てたと思っているンだろうが、挙兵当初から苦労を重ねて来た我が忠義とは比べ物にならぬわ!ガタガタ吐(ぬ)かすとタダじゃおかねぇぞ!」
【原文】広常功あるのよしを思ふといへども、義実が最初の忠に比べ難し。更に対揚の存念有るべからず

ンだとコラぁ!おぅやンのか!……老人二人の喧嘩を前に頼朝公はすっかりタジタジ。

あわや刃傷沙汰に及びかけたところを、三浦十郎義連(じゅうろうよしつら。義澄の末弟)が「いい加減にしなさい!」と勇気を出して諫めたので、どうにかその場は収まったのでした。

【原文】此の時に爭(いかで)か濫吹(らんすい)を好む可し乎(べしや)。若し老狂之致す所歟(か)。広常之躰又物儀に叶不(かなわず)。所存有ら者(あらば)、後日を期す可し。
【意訳】せっかく楽しい宴会なのに、どうしてつまらぬ喧嘩などするンですか。アンタら長老がたはボケちまったンですか?広常殿はつまらんことを言いなさるな。どうしても喧嘩したいってンなら、改めて場所を設定しますが?

椀飯(おうばん。会食)は頼朝公の武士団・鎌倉政権下において重要な交流・親睦の機会であると共に、それをきちんと主催することで御家人の力量を示す場でもありました。

十郎義連の機転と勇気によって三浦の面目は潰れずに済んだのですが、同じ三浦党の一員である義実がトラブルの火種をつくっては示しがつきませんね。

(でも、あの場でバカにされたら義実ならずとも怒りを覚えてしまうでしょう。その気持ちはよく解ります)

孫に受け継ぐ忠義の心

こんな具合に老いてもまだまだ血気盛んな「悪四郎」義実でしたが、さすがに年齢が年齢なため従軍はほとんどしておらず、名前が見えるのは文治5年(1189年)の奥州征伐くらいでしょうか。

義実の館は由比ガ浜辺りにあったと考えられ、頼朝公が近くを訪ねると、しばしば立ち寄っています。

文治2年(1186年)9月7日……頼朝公が由比や深沢(現:大仏辺り)へ遊びに行った時、義実が食事を献上。

文治3年(1187年)7月23日……頼朝公が由比浦で小笠懸(こがさがけ。弓射の競技)を楽しんだ帰り、義実の館で酒宴。

笠懸に励む御家人(イメージ)

同年10月2日……頼朝公が由比浦で牛追物(うしおうもの。牛を使った弓射の訓練)を行った帰り、義実の館で酒を呑み、討死した与一義忠の遺児と対面。

この子は後に元服して岡崎実忠(さねただ)と改名しており、義実が自らと同じかそれ以上に頼朝公そして源氏に忠義を尽くす願いを込めたことが感じられます。

とまぁ父の代から忠義に尽くし、最も苦しい時期を共に乗り越えたこともあって、頼朝公は義実らを篤く遇したのでした。

そんな建久4年(1193年)8月24日。義実は老衰を理由に、挙兵以来の同志にして鎌倉の長老であった大庭平太景義(おおば へいたかげよし。景親の兄)と共に出家しました。

それから間もなく世を去ったかと思ったら「もうちょっとだけ生きるんじゃ」とばかり頼朝公よりも長生きします。

エピローグ

建久10年(1199年)1月13日に頼朝公が亡くなった後、同年10月の梶原景時(演:中村獅童)弾劾に際して義実も弾劾状に連名。鎌倉幕府においてなお相応の存在感を保っていたようです。

正治2年(1200年)3月14日、義実は杖をついて尼御台・北条政子(演:小池栄子)の御所を訊ね、我が亡き後に子孫へ受け継ぐ所領を求め、これが聞き届けられました。

北条政子。菊池容斎『前賢故実』

これに安堵したのか、その3ヶ月後の6月21日、義実は89歳の生涯に幕を下ろします。現在、義実の墓は居館であった岡崎城址(現:神奈川県平塚市)にあり、今も領民たちを見守っているようです。

ちなみにこの岡崎城、戦国時代には三浦一族の末裔を称する三浦道寸(どうすん。三浦義同)と三浦荒次郎義意(あらじろうよしおき。道寸の子)が伊勢盛時(いせ もりとき。後の北条早雲)との戦いに際して籠城。

最終的には陥落したものの盛時を大いに手こずらせた名城であり、後に手が加えられたとは言え、義実の着眼点や将としての才覚が偲ばれます。

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」ではたかお鷹が演じる岡崎義実、三谷幸喜の脚本でどのように活躍するのか、とても楽しみですね!

※参考文献:

  • 髙橋秀樹『三浦一族の中世』吉川弘文館、2015年4月
  • 永井路子『相模のもののふたち-中世史を歩く』有隣堂、1978年8月
  • 細川重男『頼朝の武士団 将軍・御家人たちと本拠地・鎌倉』洋泉社、2012年8月
  • 『NHK大河ドラマ・ガイド 鎌倉殿の13人 前編』NHK出版、2022年1月
  • 『NHK2022年大河ドラマ 鎌倉殿の13人 完全読本』産経新聞出版、2022年1月

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