戦国時代

「下克上した大名のその後」について調べてみた

戦国時代で一番魅力的なのは、農民や商人から下剋上などで一国の大名に成り上がった人物がいたことだと思う。
今回は下克上した人物のその後の家のことについて書いていこう。

美濃の蝮 斎藤家のその後

「下克上した大名のその後」について調べてみた

※美濃の蝮 斎藤道三 ※wikiより引用

まず最初に紹介する家は斎藤家。下克上を成し遂げた斎藤道三は一介の油商人から美濃守護土岐家の家臣となり、ついには美濃をとったまさしく下克上の人である。

しかしその道三は息子である義龍と不和であったことが原因で長良川の戦いで息子に攻められ討死した。

こうして斎藤家は義龍が当主となるが、道三を討ったことによって道三と同盟を結んでいた尾張の織田家と対立し始め戦争が度々起こってしまう。しかし、義龍は道三にも負けない軍才と内政スキルを持っており、道三ができなかった内政改革をどんどん推し進め、斎藤家の戦国大名としての地位を確立させていった。

しかし、長良川の戦いの5年後の1561年に義龍は病没。息子である龍興に後を継がせる。

しかし、この龍興がとんでもないバカ殿であり、さらに義龍が急死だったために斎藤家は大混乱。さらに織田家が美濃へと度々侵攻していき1567年には本拠地稲葉山城を織田家に占領され龍興は国を失ってしまった。

龍興は長島本願寺に身を寄せたのち朝倉家の家臣となり信長に反抗するが、その後、刀根坂の戦いで討死。斎藤家は滅亡してしまう。

暗殺の名手 宇喜多家のその後

宇喜多直家の木像 wikiより引用

次に紹介するのは宇喜多家。下克上を成し遂げた宇喜多直家は色々な手段でなりふり構わず敵対する家や同僚を手にかけ、最終的には主君の浦上家も追放。備前一国を支配するまでになった。

しかし、家を乗っ取った時には東には織田家、西には毛利家に挟まれており、直家はその対応に明け暮れる。結局、宇喜多家は織田家に臣従。織田家の配下となって毛利家と戦っていくことになった。そして1582年に直家は病没。息子の秀家が宇喜多家を継いだ。

しかし、直家が亡くなってからわずか4ヶ月後、本能寺の変が起こり信長は自害。秀家自身はその後天下人となる秀吉について最終的には岡山57万石の大大名となり、さらに五大老の一人に数えられるまでに成長したが、1600年の関ヶ原の戦いで西軍についたことが原因となり領地は没収。秀家は八丈島に流された。

その後秀家は八丈島で悠々自適な生活を送り、1655年に73歳で亡くなった。

ちなみに宇喜多家の子孫はまだ存在し、明治時代に一部の家は東京に戻ったそうである。

※八丈島にある宇喜多秀家とその妻豪姫の石像

関東の覇者 後北条家のその後

※北条早雲 wikiより引用

最後に紹介するのは後北条家 北条早雲が堀越公方を滅ぼして伊豆を支配して以降、関東の覇者となった家である。

後北条家は3代目の北条氏康が河越夜戦において山内・扇谷上杉家を駆逐して関東のほとんどを支配し、次の4代目の氏政の頃には250万石の大大名となるが、1590年真田家の名胡桃城を攻撃したことによって小田原征伐を引き起こしてしまう。

氏政はこの迫り来る秀吉の大軍に対処しようと努めるも、後の世に言う小田原評定の状態が続き、どんどん後北条家の城は陥落していく。
結局、後北条家は降伏。氏政と弟であった氏照は切腹して後北条家は滅んでしまった。

が、実は後北条家の家系はなんだかんだで大名として明治維新まで残っているのである。

北条氏康の五男である氏親は親秀吉派で、さらに5代目の北条氏直は家康の婿だったことが功を奏し、なんとか後北条家という家は存続していった。

その後氏規が大阪の狭山というところに1万1000石の領地をもらい、狭山藩として後北条家は明治時代を迎えることになる。

狭山陣屋

最後に

下克上した人物の子孫はほとんどが滅ぼされたか、小藩として辛うじて残っているかの少しさみしい結末が待っていた。
しかし、その子孫たちはその志を受け継ぎ、戦国時代を渡り歩いていったに違いない。そう感じる。

 

このカテゴリーの新着記事をメールでお知らせします。

右大将

投稿者の記事一覧

得意なジャンルは特に明治以降の日本史とピューリタン革命以降の世界史です。

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く
Audible で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 太田道灌について調べてみた【江戸城を最初に作った人物】
  2. 北条早雲 56歳から乱世に身を投じた天才武将【戦国時代最初の大名…
  3. 上杉景虎について調べてみた
  4. 柿崎景家 ~常に先陣を切った最強の上杉四天王
  5. 【裏切りだらけの戦国時代】 名将たちの見事な人心掌握術とは 「上…
  6. 尼子晴久の残念な最後 「戦の天才・毛利元就を何度も破るも、水浴び…
  7. 『死と隣合わせだった戦国武将たち』 どんな「娯楽」を楽しんでいた…
  8. 甲斐の虎・武田信玄の兜の白い毛は何だったのか?

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

大奥の仕組みについて解説【お給料、階級、城での場所】

大奥の歴史徳川家康が江戸城にいた頃には「大奥」と呼ばれる場所はあったのだが、当時は政治を行う…

本多忠勝はどのくらい強かったのか?【戦国最強武将】

戦国最強と言われる武将アンケートで、必ず登場する武将が 本多忠勝 です。選ばれる大きな理由と…

飯篠家直 ~有名剣豪を育てた諸流派の祖で無益な殺生を諌めた剣豪

飯篠家直とは戦国乱世、数多くの武芸者を育て上げ「剣聖(けんせい)」と謳われた二人の有名な…

織田信長が最も愛した女性 「生駒吉乃とお鍋の方」とのラブロマンス

織田信長がメインキャストとして登場する大河ドラマでは、齋藤道三の娘・濃姫が注目されがちである。…

平安貴族の出世システム「官位相当制」とは? わかりやすく解説 ~位階が低いと低収入

蹴鞠に舟遊び、歌合せ……豪華で優雅な平安貴族。そんな彼らも宮中に出仕してきちんと仕事をしていました。…

アーカイブ

人気記事(日間)

人気記事(月間)

人気記事(全期間)

PAGE TOP