戦国時代

会津の名将・蘆名盛氏【蘆名家最盛期を築き信玄から称賛された戦国大名】

蘆名盛氏 とは

蘆名盛氏

蘆名盛氏肖像画

蘆名盛氏(あしなもりうじ)は会津の戦国大名で、蘆名氏の最盛期を築き上げた名将である。

同時に蘆名氏の衰退も招いた人物でもあり、蘆名盛氏が亡くなると会津は伊達政宗によって奪われることとなる。

しかし甲斐の武田信玄は優れた武将として蘆名盛氏を称賛していたという。今回はそんな蘆名盛氏に迫る。

生い立ち

盛氏は大永元年(1521年)会津国(現在の福島県会津若松市)の守護・蘆名盛舜(あしなもりきよ)の次男として生まれる。

蘆名盛氏

伊達稙宗肖像

父・盛舜は蘆名家の第15代の当主であり、盛氏は天文6年(1537年)隣国の伊達稙宗(だてたねむね)の娘を正室に迎えて、天文10年(1541年)には父・盛舜から家督を譲られる。

この当時、大きく台頭した勢力としては会津の蘆名氏と奥羽の伊達氏などが挙げられる。

蘆名氏の周りは北に伊達氏、南に二階堂氏・結城氏と常陸国の佐竹氏、東に田村氏・大内氏・畠山氏・相馬氏、西に上杉氏と周りを囲まれていた。

この地域での勢力争いは多く戦が頻繁であったために、和睦や同盟など婚姻による姻戚関係や養子縁組が多発していたという。

会津の中では一番の勢力を誇っていたのは蘆名氏であったが、一族間や親戚の間で争いごとも多かったという。

そんな中で家督を継いだ盛氏は、一族や親戚の結束を固めて会津統一と勢力拡大を目指すこととなる。

天文の乱

蘆名盛氏

伊達晴宗肖像

当主となった盛氏に大きな問題が勃発する。

それは隣国の奥羽地方の覇者となった伊達稙宗とその子・晴宗との争いとなる天文の乱である。

当時の蘆名氏と伊達氏とは盛氏の父・盛舜の頃からの同盟関係であったために、盛氏は当初は稙宗に味方をして晴宗と戦うことになる。

天文の乱の初期は稙宗側が優勢であったが、その頃、盛氏は隣国の田村氏と抗争となり、田村氏は稙宗側であったためになんと盛氏は逆に晴宗の味方をすることになった。

蘆名が味方についたことで晴宗側が勢いを増し、天文の乱は晴宗の勝利となった。

これで蘆名と伊達の新たな主君同士の同盟関係が結ばれた。

勢力拡大

伊達の脅威がなくなった盛氏は天文19年(1550年)に本格的に隣国(中通り)の侵攻を開始して田村隆顕と戦うが、今度は田村氏を支援する常陸国の佐竹義重により侵攻が妨害される。

そこで盛氏は佐竹氏の敵である相模の北条氏康と、甲斐の武田信玄と同盟を結んで佐竹氏に圧力をかけた。

また、外敵の他にも蘆名一族内でのお家騒動が勃発し、その沈静化のために永禄4年(1561年)盛氏は家督を嫡男・盛興(もりおき)に譲っている。

しかし実権は盛氏が握っており、二頭政権で蘆名家を取り仕切った。

永禄6年(1563年)には二階堂氏、天正2年(1574年)には二本松氏と大内氏を破り田村氏を従属させ、会津での勢力を拡大した蘆名家は最盛期を迎えた。

信玄に認められた武将

蘆名盛氏

武田信玄

勢力を拡大していた盛氏に甲斐の武田信玄が近づき「越後の上杉謙信を会津から牽制してくれないか」と頼まれた。

佐竹義重に対抗するために北条と手を結び、信玄とも同盟関係を築こうとしていた盛氏はそれを承諾し、永禄6年(1563年)に越後に出兵している。

謙信が会津に目を光らせている隙をついて信玄は信濃に侵攻を開始して領土を拡大している。

信玄は「近頃優れた武将は丹波の赤井、江北の浅井、会津の盛氏、若手の大将では三河の家康、この4人であろうか」と盛氏を称賛したという。

次のページへ

1

2

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Audible で聴く
Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 戦国武将が名前を何度も変えた理由とは? 「氏・姓・名字・幼名・諱…
  2. 戦国武将はどうやって「教養」を身につけていたのか?
  3. 【大河ドラマを楽しむための武家用語解説】 外様、譜代、一門、家老…
  4. 三好長慶について調べてみた【信長に先んじた畿内の覇者】
  5. 『戦国時代』 武士たちは戦中の食事やトイレなどはどうしていたのか…
  6. 【謎だらけの戦国時代屈指の才女】 小野お通とは 〜真田信之が想い…
  7. 真田昌幸【徳川軍を2度撃退し家康から恐れられた智将】
  8. 10倍の敵も恐るに足らぬ!滅びゆく武田家に殉じた戦国武将・諏訪頼…

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

【失明しても来日】5度も渡航に失敗した「鑑真」の壮絶な旅 ~日本仏教に尽力

奈良時代の仏教と聞くと、多くの人が東大寺の大仏や全国に建立された国分寺を思い浮かべるだろう。…

尼子晴久 ~謀神・毛利元就を何度も破るが、なぜか評価の低い大名

尼子晴久とは尼子晴久(あまごはるひさ)は、中国地方を制した出雲の戦国大名・尼子経久(あま…

【大阪歴史紀行】 聖徳太子にゆかりが深い、四天王寺と夕陽丘周辺の寺社を歩いてみた

夕陽丘に聖徳太子ゆかりの寺社を訪ねる聖徳太子が創建したとされる寺院の代表は、やはり「法隆…

【ソロモン72柱】 ソロモン王に仕えた悪魔たち 「バエル、アモン、アスモデウス 他」

ソロモン72柱とはソロモン72柱とは、古代イスラエルの第3代国王であったソロモン王が、神より…

【27回結婚した女性も】バツイチ、出戻り当たり前! 江戸のトンデモ結婚事情

「永遠の愛を誓いますか?」教会の結婚式で有名な牧師さんの言葉ですが、実際にこの言葉でパートナ…

アーカイブ

PAGE TOP