戦国時代

戦国時代「小田原北條五代祭り」の武者行列に一般公募で参加してみた!【北条早雲公顕彰五百年】

少し前の話になりますが、小田原市(神奈川県)で毎年5月3日(祝)に開催される「小田原北條五代祭り」に参加させて頂きました。

小田原市民でなくても参加できるので、戦国時代の武者行列や甲冑体験に興味がある方の参考として、こちらにまとめておこうと思います。

さっそく応募!当たるかな……?

さて、武者行列の一般公募は例年2月中ごろから3月半ばごろにかけて行われます。募集枠は当時把握している限りで、おおむね以下の通りでした。

一、総大将 2名(第2代 北条氏綱公、第3代 北条氏康公)
※初代 北条早雲公は小田原ふるさと大使の合田雅史(俳優)さん、第4代 北条氏政公は大河ドラマに出演した高嶋政伸(俳優)さんでした。また第5代 北条氏直公は小田原市自治会総連合、要は地元の顔役的な人が勤めていました。

一、重臣 数名(歴代当主に各1~2名程度。総大将に洩れた人向け?)

一、馬廻 数十名(歴代当主に各4~5名程度)

※他にも各関連団体の募集はあるようですが、そちらについては判りません。

武者行列に参加する皆さん。

採否については基本的に先着順で決められるようなので、情報をつかんだら早めの応募がおすすめですが、総大将と馬廻の「併願」は認められていません(どっちかしか応募できません)。

また、総大将は騎馬武者となるため、事前の乗馬講習に複数回参加できることも条件に加えられます。ついでに甲冑も立派な大鎧(≒相応に重量がある)を着用するため、体力にもある程度の自信が求められます。

筆者は当日しか都合がつかないため、馬廻で応募。料金は5,000円(総大将は10,000円、重臣は?)、これを「安い」と思える方なら、参加して損はない体験が出来るでしょう。

果たして無事に当選したので、好天を願いながら当日を待つのでした。

黄色い声援を受けながら、小田原城下をぐるりと一周

いよいよ当日。さっそく集合場所へ行ってみると、体育館(小田原スポーツ会館)には武具甲冑やら旗印がびっしり。

今回、筆者が着用した装備一式。軽いのはいいのですが、黒い兜は日差しで頭が熱くなります。

「往時の戦国大名たちも、合戦に際して徴募した農民たちにこうして武具甲冑を用意してやったんだろうなぁ……さぞかしカネもかかった事だろう」

などと思いつつ自分の名札の貼られている場所を探し当てたら、ワクワクしながら入り口に戻って受付を済ませ、貰った弁当を掻っ込みました。

「腹が減っては戦が出来ぬ」

さぁ、そろそろ出陣の支度。周囲を見ると、衣装業者さんらしき人たちが忙しそうに飛び回って、次々と甲冑を着付けていきます。

「判るところは自分でやろう」

業者さんにも手伝ってもらってテキパキと甲冑をまとい、大小を差して旗指物を背負えば、にわか武者の出来上がり。

「よし、行くぜ野郎ども!」「いや、大将の下知を待てよ」

「どうぞよろしくお願いします」

今回は合田雅史さんの扮する北条早雲公の馬廻ということで、同じ部隊に配属された人たちに挨拶も済ませ、いよいよ出陣です。

ワラワラと小田原城内へと参集し、メインキャスト達によるセレモニーが終わるまで、後方でワラワラと待機していました。

「早く終わンねぇかなぁ」

「あ、あんなところに玉縄の連中がいる!」

「よぅ、角田君お久しぶり」

地元の鎌倉には北条早雲公が築き、滅亡まで代々守り継がれてきた玉縄城があり、その初代城主・北条氏時の部隊として有志が参加していたのでした。

鎌倉市玉縄城址まちづくり会議(青い甲冑)の皆さん。黄八幡の旗印は、猛将・北条綱成のトレードマーク。

ともあれ、遠く前方でワーワーと何か盛り上がった後(高嶋政伸さんの声がちょっと聞こえたくらいでした)、景気づけに火縄銃がバンバカと撃ち放たれ、いよいよの出陣。

せっかくなので、北条五代武者行列の陣容(歴史上の人名のみ。敬称略)を先頭から紹介します。

一、風間出羽守(風魔小太郎)
一、初代 北条早雲……合田雅史さん
一、第2代 北条氏綱……一般公募
一、玉縄城主 北条氏時
一、北条長綱(北条幻庵)
一、第3代 北条氏康……一般公募
一、川越城主 北条綱成
一、津久井城主 内藤康行
一、瑞渓院(氏康正室。今川氏親の娘)
一、黄梅院(氏政正室。武田信玄の娘)
一、督姫(氏直正室。徳川家康の娘)
一、第4代 北条氏政……高嶋政伸さん
一、八王子城主 北条氏照
一、鉢形城主 北条氏邦
一、第5代 北条氏直
一、韮山城主 北条氏規

その他小田原内外から参加した北条五代ファンの皆さんによる武者行列が、13:30~15:00くらいまでの約1時間半~2時間弱かけて、小田原城城下をぐるりと一周するのでした。

いよいよ出陣。後ろに合田雅史さん扮する北条早雲公の姿。

自分のすぐ後ろに合田さんがいるので、沿道から黄色い声援がしきりに投げかけられる中、主君・北条早雲公の威厳を保つべく、真剣に馬廻の役目を果たしたつもりです。

凱旋後は流れ解散

かくして予定されたルートから小田原城内に凱旋すると、後は流れ解散の空気。誰に何を言われるともなくスポーツ会館へ戻って甲冑を脱ぎ、私服に着替えると、実に名残惜しく感じました。

時に令和元2019年は北条早雲公の没後500年(永正十六1519年8月15日没)当たり、こうした大きな節目の年に(扮した俳優とは言え)そのご奉仕が叶うことは、誠に冥加の至りでした。

また参加したかったのですが、新型コロナウィルス感染拡大の影響により、第56回(令和ニ2020年度)は中止となってしまいました。来年は、再開できる状況になっているといいですね。

※参考:
北條五代まつり|リトルトリップ小田原[小田原市観光協会]

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角田晶生(つのだ あきお)

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フリーライター。日本の歴史文化をメインに、時代の行間に血を通わせる文章を心がけております。(ほか不動産・雑学・伝承民俗など)
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