どうする家康

『吾妻鏡』の外にもたくさん!徳川家康の愛読書や尊敬する人たちを紹介【どうする家康】

2022年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」最終回で『吾妻鏡』を読んでいた徳川家康(演:松本潤)。

ちょうどクライマックス「承久の乱」を読もうとしていたワクワク感が伝わって、2023年のNHK大河ドラマ「どうする家康」への期待感が高まったのを、昨日のように覚えています。

家康が『吾妻鏡』を愛読していたのは有名かと思われますが、読書家であった家康は他にどんな書籍を読んでいたのでしょうか。

今回は家康に仕えた侍医の板坂卜齊(いたさか ぼくさい。板坂宗高)が記した『卜齊記(板坂卜齊覚書、慶長年中卜齊記)』から、こんな記述を見つけました。

読書家で勉強好き、だけど芸術分野はちょっと苦手

学問が好きで芸術はちょっと苦手……いかにも家康らしい。

……家康公書籍を好せられ南禅寺三長老東福寺哲長老外記局郎水無瀬中納言妙寿院学校兌長老なと常々被成御咄候故学問御好殊之外文字御鍛錬と心得不案内尓て詩歌の會の儀式有と承り候根本詩作歌連歌ハ御嫌ひ尓て論語中庸史記漢書六韜三略貞観政要和本ハ延喜式東鑑也其外色々大明にてハ高祖寛仁大度を御褒め唐の太宗魏徴を御褒張良韓信太公望文王武王周公日本尓てハ頼朝と常々御咄被成候

※『卜齊記』中之巻

【意訳】家康は読書が好きで、常に様々な知識人を招いて話を聞いていた。学問も好きで特に書道の鍛錬に励んでいたが、詩作や和歌は嫌いだった。

愛読書は『論語』『中庸』『史記』『漢書』『六韜三略』『貞観政要』、和書では『延喜式』『吾妻鏡』ほかいろいろ。

尊敬する人物は、大明(ここでは中国大陸)において劉邦はじめ李世民や魏徴を高く評価。ほか張良・韓信・太公望・周の文王・同じく武王・周公旦など。日本では源頼朝と常々語っていた。

家康の愛読書

孔子。生涯にわたり不遇でありながら、その思想は現代も生き続ける。

『論語(ろんご)』

孔子(こうし。古代中国・春秋時代の思想家)や弟子たちの言行をまとめた思想書・教訓集。

『中庸(ちゅうよう)』

古代中国大陸における儀礼集『礼記(らいき)』より、中心的思想となる部分を凝縮したもの。子思(しし。孔子の孫)がまとめたと言われる。

『史記(しき)』

前漢王朝の歴史家・司馬遷(しば せん)による古代中国大陸の歴史書。天地開闢より武帝(前漢第7代皇帝・劉徹)までが記された。

『漢書(かんじょ)』

後漢王朝の歴史家である班固(はん こ)・班昭(しょう)父娘によってまとめられた前漢王朝の歴史書。特定の王朝に限って記した初めての断代史。

『六韜三略(りくとうさんりゃく)』

後述する太公望(たいこうぼう。呂尚)が記したとされる古代中国の兵法書。厳密には『六韜』と『三略』はそれぞれ別の書物。

『貞観政要(じょうがんせいよう)』

唐王朝時代に歴史家の呉竸(ご きょう)が記した太宗(後述する李世民)の言行録。政治の要諦がまとめられ、政治家必読書として多くの政治家に愛読される。

『延喜式(えんぎしき)』

平安時代に編纂された律令の施行細則集。政治の実務におけるテキストとして為政者や官僚に学ばれた。

『吾妻鏡(あづまかがみ)』

平安時代末期から鎌倉時代中後期にかけて、初代将軍・源頼朝(後述)の挙兵から第6代将軍・宗尊親王(むねたかしんのう)まで鎌倉幕府の歴史を記した書物。

家康の尊敬する人々

漢の高祖・劉邦。その寛容な度量は家康の模範となった……?

劉邦(りゅう ほう。漢の高祖)

貧しい小役人から成り上がり、秦王朝やライバルの項羽(こう う)を滅ぼして中国大陸を統一。漢王朝(前漢)の初代皇帝となった。

張良(ちょう りょう)

劉邦の大器を見込んで、その天下取りを補佐した名軍師。

韓信(かん しん)

劉邦の天下取りに貢献した名将。国士無双(こくしむそう。一国に二人といない英雄)の語源となる大活躍を果たしたが、天下を取った劉邦に粛清される。

李世民(り せいみん。唐の太宗)

唐王朝の皇帝。父・李淵(り えん。高祖)の王業を受け継いで暴虐の限りを尽くしていた隋の煬帝を滅ぼし、天下に安寧をもたらした名君。

魏徴(ぎ ちょう)

李淵・李世民に仕えた名臣。主君に対しても怯むことなくズケズケと物申し、しばしばその道を正したやりとりが『貞観政要』に多く残されている。

周の文王(しゅうのぶんおう)

実名は姫昌(き しょう)。暴政を極めていた殷(いん)王朝の紂王(ちゅうおう)に対して挙兵を期待されながら、君臣のけじめを守り抜いた。

周の武王(ぶんおう)

文王の子。実名は姫発(き はつ)。父の死後に兵を挙げ、ついに殷王朝を滅ぼして周王朝を樹立する。

周公旦(しゅう こうたん)

武王の弟。実名は姫旦(き たん)。兄の王業を補佐して天下取りに貢献した名臣。

太公望(たいこうぼう)

文王の招きに応じて仕えた名軍師。巧みな兵法をもって武王の挙兵を助けた。明代の神怪小説『封神演義』では主人公として活躍する。

終わりに

そして源頼朝(みなもとの よりとも)。もう説明は必要ありませんね。

伝 源頼朝公肖像。家康が尊敬する唯一の日本人だった?

永年にわたる困難を乗り越えて天下を取るか、あるいは王者を補佐して天下泰平を実現するか。そうしたポジションを目指していたようですね。

まさに織田信長(おだ のぶなが)の盟友として歩みながら、その死後には自ら天下取りへ動き出した家康の人生そのままと言えます。

いずれにしても必要となる政治と道徳、そして歴史の教訓をしっかりと学んだ家康。NHK大河ドラマ「どうする家康」でも、そうした努力や素養の活かされる場面が楽しみですね。

※参考文献:

  • 『慶長年中卜斎記』国立国会図書館デジタルコレクション
角田晶生(つのだ あきお)

角田晶生(つのだ あきお)

投稿者の記事一覧

フリーライター。日本の歴史文化をメインに、時代の行間に血を通わせる文章を心がけております。(ほか政治経済・安全保障・人材育成など)※お仕事相談は tsunodaakio☆gmail.com ☆→@

このたび日本史専門サイトを立ち上げました。こちらもよろしくお願いします。
時代の隙間をのぞき込む日本史よみものサイト「歴史屋」https://rekishiya.com/

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Audible で聴く
Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 【戦国一の正直者】 仏の高力清長とは ~秀吉も欲しがった三河三奉…
  2. 武田信玄「幻の西上作戦」 前編~「なぜ家康との今川領侵攻の密約を…
  3. 岡崎体育が全力疾走!鳥居強右衛門こと鳥居勝商の壮絶な最期【どうす…
  4. 一向一揆はなぜ強かったのか? 「家康や信長を苦しめた信者たち」
  5. 【どうする家康 外伝】 なぜ伊奈忠家は、生涯に三度も徳川家を離れ…
  6. 武田信玄「幻の西上作戦」 後編 ~「信玄は北ではなく南へ向かった…
  7. 【大河予習】犬猫までも斬り捨てよ!武田勝頼を滅ぼした織田信長の大…
  8. 家康の側室は未亡人ばかりだった ~側室たちを解説【どうする家康】…

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

林芙美子とは 〜森光子が2000回上演し国民栄誉賞を受賞した「放浪記」の作者

林芙美子とは林芙美子(はやしふみこ : 1903~1951)は、日本の小説家である。…

【犠牲者1400人以上】日本史上最悪の海難事故~ 洞爺丸事故とは

昭和29年(1954)9月26日、青函連絡船・洞爺丸(とうやまる)が、台風15号(洞爺丸台風)で荒れ…

【現代に必要なリーダー】 上杉鷹山の成功に学ぶ、財政破綻からの改革術 「民福主義」

財政破綻をきたした米沢藩を卓越した手腕で改革を行い、再建を果たした上杉鷹山(うえすぎようざん)。…

毛利輝元は本当に無能な武将だったのか?【関ヶ原では一戦も交えず撤退】

毛利輝元とは毛利輝元(もうりてるもと)は毛利元就の孫であり、幼くして大大名家の跡取りとな…

武田信玄はどれくらい強かったのか? 【合戦戦績、天下を取れなかった理由】

武田信玄と言えば「風林火山」の軍旗が有名な戦国大名です。徳川家康や織田信長も恐れるほ…

アーカイブ

PAGE TOP