鎌倉殿の13人

中世日本の物流を支配した海や川の豪族たち 「北条時政にはなぜ金があった?」

鎌倉幕府を支え、代々将軍を補佐する執権を勤めた北条氏だが、源頼朝の後ろ盾になった当初は、中クラスの豪族に過ぎなかった。

しかし、北条政子の父・時政は京都から牧氏夫人を連れて後妻にしている。

今風に言えば、オシャレな品々で溢れる都会に住み慣れた女性を、野暮ったく品物が少ない田舎に迎える事と同じである。

だとしたら、牧氏夫人は東国に下るに当り、都会暮しに近づく様々な注文をしたに違いない。

つまり金が掛かったという事だ。

北条時政は、どうやってそのお金を都合したのだろうか?

北条氏は海運・河川運搬に関係ある?

中世日本の物流を支配した海や川の豪族たち

画像 : 北条家家紋三つ鱗を授ける弁財天と押し頂く北条時政

伊豆の中豪族に過ぎなかった北条氏が、源頼朝政権下で執権になれた大きな理由の一つとして「財力」がある。

その財力は何処から生まれたのだろうか?

1つのヒントは、弁財天から家紋を授けられて押し頂く時政図にある。

弁財天とは水の神様と云われ、元はインドの神聖な川から由来する。
北条氏は、国府(奈良から平安時代までの地方行政施設)設置場所と狩野川流域に接する本領を有し、軍事・交通の要所を抑えていた。

国府には、各所から年貢が集められ、京都へ運ばれる。

北条氏は京都まで年貢を届ける警護役でもあり、運搬業者との交渉役でもあったのではないか。
そして役職を利用し、京都や西国と物品交換する交易により富を蓄えたと考えられる。
狩野川を辿れば駿河湾に抜けられる。海路を進めば、大阪湾まで行き着くことが出来る。

大阪湾から淀川を登れば、京都である。
東国は京都から遠い理由で、主な年貢は絹や布(麻・苧・葛・藤・楮から繊維を取った織物)が多い。

伊豆から京都までの間、港に着く度に船を換える廻船方式だったとしても、年貢品の移動は容易だったと推測出来る。

江戸時代、江戸・大阪間を往復した航路は、既に中世では出来上がっていた。
中世は水上交通が盛んに行われ、海路や大きな河川には物流を支配する武装集団がいた。

時には通行料の他に荷物の差し押さえも辞さない半ば海賊集団に武力で応じ、馴れ合って交渉出来る武士が北条氏だったのではないか。

中世の海領主「渡辺氏」とは?

中世日本の物流を支配した海や川の豪族たち

画像;七里渡船着(宮宿側)『尾張名所図会』 前編 巻4 愛智郡 岡田啓 (文園) , 野口道直 (梅居) 著    
   国立国会図書館デジタルコレクション

中世の水上交通を管理・統括していた一族に、第52代嵯峨天皇の皇子・源融を祖とする「渡辺氏」がいる。

当時は、大阪湾から生駒山の麓まで入り江が至り、「日下の江」と名づけられた。
この入り江に淀川が流れ込む付近に、瀬戸内海で最大の港「渡辺津」が存在した。

因みに「」とは船着き場・渡し場・港を示す言葉である。

「渡辺津」は、瀬戸内海と京都を結ぶ水上交通や交易・軍事の拠点だった。

渡辺氏は土地開発領主ではなく、水上交通(河川・海路)と陸上交通の要を本領とした一族だった。
交通の要所とは物資集積所であり、ここを攻められたら朝廷の財政は逼迫する。

渡辺氏は、天皇の警護役「滝口」武者や京都の治安維持や民政を司る役職「検非違使」などの武官として朝廷に仕える一方、河内(大阪府東大阪市)にあったと云われる皇室領の管理補佐役「渡辺惣官」に取り立てられ、朝廷へ納める鳥や魚介類の漁に携わる者や運送者、又は売り買い商人まで統制した。

朝廷からの「渡辺惣官」役職手当は150貫文だった。
因みに鎌倉時代は1貫で米1石が買えた。1石とは米150kgに相当する。

つまり、1.25tの米を貰ったと同様の金額が貰えた訳であり、渡辺氏が大きな利権を持っていたと理解出来る。

文献に見る中世の川の領主「真木島邑君」

中世日本の物流を支配した海や川の豪族たち

画像:藤原為隆像 菊池容斎(江戸後期から明治初期の絵師) 作

海の領主「渡辺氏」対し、川の領主「真木島氏」が存在する。

「真木島氏」は、宇治川( 京都府京都市伏見区を流れる淀川水系)の川の民の管理者であった。

魚が群れて集まる場所に仕掛けをして漁をする川の民は、古くから天皇家や摂関家(正統藤原氏で朝廷に仕える貴族中最高家格の近衛家・一条家・九条家・鷹司家・二条家を指す)、賀茂神社などに魚を納める役割をしていた。

彼らは「供御人・供祭人・神人」という名称で呼ばれていたことが、文書や記録に見られる。

1197年(建久8年)賀茂神社供祭人が「真木島住人」を摂関家に訴えるという事件が起きた。

「鰻を取るために川に大石を置くのは、仕掛け漁の妨げになる」

という訴えであった。

これに対し「勝手に石を取った」と逆に賀茂神社供祭人を非難する「真木島住人」の言い分が、平安後期朝廷に仕えた公卿・藤原為隆(ふじわらのためたか)の日記「永昌記}に記録されている。

また、1239年(延応元年)に京都に置かれた鎌倉幕府出先機関「六波羅探題」には、次のような公文書がある。

近江国(滋賀県)にある佐久奈度神社に供える魚類の独占的漁業権を持つ「真木島邑君」(網引きリーダー、村長を指す)は、近江国大石(滋賀県大津市大石)住人を自分達の権益を侵す者と訴えた。

大石住人は地頭の権威を借りて自分達を脅かす」と告発しているのである。

年貢や神社仏閣の供物を運ぶ宇治川は、京都へ至る物流の要であり、関を設けて通行料を取れる。
当然大きな権益が生まれる。

「真木島住人」達は、漁業だけに従事していたとは考えにくい。

宇治川流域を含む広い領域を活動範囲にして、運送にも携わったと見るべきである。

終わりに

中世日本の物流を支配した海や川の豪族たち

画像:常滑灰釉壺 平安時代 個人蔵 重要文化財

中世の海・河川交通は、想像以上に活発に行われていた。

物流は、船による海・川の水上運搬を主とし、陸の道は海や川沿いを中心に発展している。
水上交通は日本列島を港から港で繋ぎ、河川を辿って内陸地へ続き、物資を届けた。

例を挙げるなら、常滑焼(愛知県常滑市付近で生産される知多半島内の焼き物)は、全国で発掘され、東北・平泉でも発見されている。

能登半島の珠洲焼(石川県洲市付近生産の中世・陶器)は、北陸に限らず、長野県・東北・北海道南部まで運ばれた。

中世日本における地方は、京都や鎌倉から離れた孤立し自給自足で生きるという地域ではなかった事になる。

当時の人々は水上交通により物流を盛んにし、足りない物を手に入れ、想像するより豊かに暮していた。

この様な交易を担った者が、海や川の領主として港湾や川を本領とする人々だった。

参考図書
日本の中世6「都市と職能民の活動」

 

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