真珠湾攻撃の成功
太平洋戦争の初戦となったハワイ・真珠湾への日本海軍の攻撃は、1941年(昭和16年)12月8日3時22分頃(現地時間12月7日7時49分早朝)に開始されました。
攻撃の第一陣となったのは、南雲機動部隊に所属する航空母艦から発艦した合計183機の攻撃隊でした。
この攻撃で、アメリカ軍の戦艦ウェストバージニアを始めとする多数の艦船が爆発・炎上することになりました。
最終的にはアメリカ側は艦船が約30万トンに及ぶ損害を被り、陸上の基地にあった航空機の約7割を失うことになりました。
この大戦果は奇襲が成功したことと、攻撃を行った搭乗員達の驚異的な技量が成し得たことでしたが、使用した兵器にも大きな重要なポイントがありました。
九一式航空魚雷の特徴
この攻撃に使用されたその兵器とは 九一式航空魚雷改2 です。
この航空魚雷は第一次攻撃隊の97式艦上攻撃機合計40機が実装していたもので、放たれた40本の中で実に9割に及ぶ36本が命中するという驚異の成果を挙げました。
この91式航空魚雷はそれまでの航空魚雷と異なり、水深の浅い真珠湾での使用が可能な画期的な兵器でした。
先ず第一の特徴は、航空機から投下された際に空中での姿勢を保つ板が後部に取り付けられており、水面に突入した段階で自動的にこの板が外れる仕組みとなっていました。
加えて航空機からのローリングを安定的に制御する仕組みも備えていました。
これらの仕組みによって浅い水深での使用と、速い速度・荒れた海面での使用が可能となっていました。
真珠湾攻撃の結果
真珠湾攻撃の損害は日本側が29機損失・戦死59名で、アメリカ側の損害は戦艦5隻沈没・3隻中破・軽巡洋艦2隻大破・1隻中破、航空機188機が破壊され、戦死約2,400名(諸説あり)となっています。
この戦果をもたらしたもう一つの要因が搭乗員の技量でした。
真珠湾攻撃を企図した海軍では、この91式航空魚雷改2を用いた攻撃を行うために各地で雷撃機の超低空飛行の訓練を重ねました。91式航空魚雷改2の性能もさることながら、この搭乗員の技量と相まって、それまで水深が60mは必要とされた雷撃機からの攻撃を驚愕の10m以内に収める事ができました。
真珠湾の水深は12mしかなかったため、これが可能にならない限り作戦の成功はありえませんでした。
鹿児島での猛訓練
真珠湾攻撃に参加した日本海軍の雷撃機搭乗員の技量は、その頃の世界中の雷撃機搭乗員の中でも最高レベルにあったと言われています。
これをさらに真珠湾という浅い海での実戦で成功に導くために、真珠湾と似た地形だった九州の鹿児島湾において、実戦の約2ケ月前の1941年10月から猛訓練が行われました。
実際の使用機となる97式艦攻を使用したその浅海面雷撃訓練において、最終的には雷撃の命中率は約70%にまで達したと伝えられています。
因みにこの時の訓練飛行を間近で見た鹿児島の地元の人たちは、あまりに低い高さを飛行する雷撃機を見て、海軍の搭乗員が地上を覗き込んで遊んでいるのではないかと噂したとも言われています。
アメリカの航空母艦は不在
91式航空魚雷改2は真珠湾攻撃までに100本が準備されることになっていましたが、担当していた長崎の大村海軍航空廠での準備は難航したとされています。ようやく同じ長崎の佐世保軍港から作戦に加わった航空母艦・加賀に積み込むことが可能となり、何とか出撃に間に合わせたと伝えられています。
しかし日本の誤算は、攻撃の最大の標的としていたアメリカの航空母艦が真珠湾にいなかったことでした。
このことが巷説ではルーズベルトの陰謀論にも結び付いているようですが、偶然にもアメリカ海軍の航空母艦は他の場所へ移動しており、直前まで寄港していたレキシントンを最後に全航空母艦がいない状況だったのです。
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