中国史

始皇帝と織田信長 【改革者の知られざる運命】

歴史上初めて中国を統一した始皇帝は、これまで続いてきた制度をことごとく破壊し、新しい統治システムを導入することで時代の変革を進めました。

王ではなく新しい称号「皇帝」を名乗り、封建制ではなく、中央集権的な郡県制を採用しました。また、文字・通貨・度量衡を統一して国家的統合を図るとともに、運河や道路網を整備して経済の発展を促し、国境を固めるために万里の長城を築きました。

このように始皇帝は伝統的な制度を一掃し、新しい統治システムを導入することで、秦による中国の統一を実現したのです。

旧時代を破壊し、新しい時代を切り拓く「破壊者」として、歴史上重要な役割を果たしたといえます。

始皇帝と織田信長

画像 : 始皇帝 public domain

改革には「過渡期」が必要

大規模な社会改革を一気に押し進めると、旧来のシステムに馴染んできた人々の反発が必ず生じます。

始皇帝が封建制を一掃して郡県制を導入したことは、それまで世襲の特権を持っていた諸侯たちの反発を招きました。

そのため新旧の特徴をうまく折衷した「過渡的なシステム」を設けることが重要となります。新しいシステムを段階的に導入し、旧来のシステムを一気に廃止するのではなく、徐々に縮小していく「並行期」を設ける必要があるのです。

社会の変化に段階的に適応でき、結果として改革への反発を最小限に抑えるためです。

始皇帝のように旧体制を一掃するだけの改革は、しばしば反動を招くことは歴史が示しています。

歴史が次のステージに進むために「過渡期」は欠かせないのです。

織田信長と始皇帝

前述したように始皇帝は、これまでの諸侯による分割統治の封建制を廃止し、「郡県制」へと移行しました。これは中央集権化を推し進めるための斬新な制度改革でした。

また貨幣・文字・度量衡の統一、都市間を結ぶ道路網の整備、大規模灌漑事業などを推進し、国家としての統合を加速させています。

さらに旧来の思想・学問を封殺する「焚書坑儒」を進める一方で、法家思想に基づく厳しい統治を進め、かつてない強力な中央集権国家を樹立しました。

このように始皇帝は、中国史上初の本格的な帝国を建設するため、従来のあらゆる統治秩序や慣習を根底から覆す改革を断行したのです。

同じような「旧システムの破壊者」として織田信長が挙げられます。

始皇帝と織田信長

画像 : 織田信長 public domain

戦国時代、信長は日本を統一する過程のなかで、多くの既存勢力や伝統的な制度を打破しています。

信長が進めた革命的な政策や軍事改革は、旧来の大名や寺社勢力に脅威として立ちはだかりました。

たとえば信長は比叡山延暦寺を攻撃しています。当時大きな権力を持っていた仏教勢力を破壊することで、武士に対する寺社の影響力を大きく低下させたのです。

また武士階級だけでなく農民や商人からも優秀な人材を採用し、社会の階級を超えた新しい組織を作り上げることで、既存の階級制度を改めたのです。

信長の政策は、日本の戦国時代を終わらせる大きなきっかけとなります。

信長の破壊的な活動は、日本の中世から近世への移行期における、新しい時代の到来を象徴するものでした。

信長においても新しい時代を築くために、旧システムを破壊する役割を果たしたのです。

急激な改革は保守派の強い反発にあう

始皇帝の封建制の廃止や焚書坑儒、厳しい法家に基づく統治は、保守派からの反発を招く結果となりました。

封建制の廃止は世襲の特権を奪われた諸侯の強い不満を生み、焚書坑儒は儒教思想の支持者の怒りを買い、過酷な法家による統治は民衆の不満を蓄積させる結果となったのです。

そのため始皇帝の死後、陳勝・呉広の乱など各地で反乱が起き、秦の統治システムは崩壊します。

そして、わずか15年で秦朝は滅亡してしまったのです。

始皇帝の死後、その反動が一気に噴出したことが、秦の崩壊につながったと言えます

信長も同じように明智光秀の謀反を受け、天下統一を目前にして命を落としました。「光秀の背後には保守派(天皇や足利義昭など)がいた」という指摘もあります。

改革者が示す歴史の法則とは?

始皇帝と織田信長

画像 : 徳川家康 public domain

始皇帝と信長の歴史は「急進的な改革を推し進める“破壊者”は短命に終わる」という法則を示しています。

既存の秩序や特権を一掃する急進的な改革は、今まで利益を得ていた旧勢力の強い反発を招く傾向があり、反発する旧勢力は改革派の打倒を必ず図ろうとします。

改革のペースを緩やかに保ちながら、過渡期を設けるなどして旧勢力の反発を緩和することが重要ですが、実際はそんなに上手く進みません。

急進的な改革は旧勢力の反動を招きやすく、政権の存続を困難にします。

始皇帝や信長のような「破壊者」は、新しい秩序の定着を見ることなく、短期間の政権となりがちです。

そして「破壊者」が短い命を終えたあと、新たな指導者が新秩序を受け継ぎ、さらに発展させていきます。

その継承者たちとは、漢を建国した劉邦であり、日本では徳川家康です。

彼らは先人が築いた新秩序と既存の旧秩序を融合させ、より安定した長期政権を築き上げることに成功します。

漢王朝は約400年、江戸幕府は約260年続きました。

「旧」と「新」が融合された新しい社会の秩序が確立され、歴史の流れは次のステージへと進んでいくのです。

参考文献:神野正史(2020)『「覇権」で読み解けば世界史がわかる』祥伝社

 

村上俊樹

村上俊樹

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