日本が1932年に作った国である 満洲国。
しかしその国は実際どんな国だったということは、あまり詳しく知られていない印象がある。
当時の満洲は日本の生命線として泥沼の戦争に入ってでも手にしたかった土地であった。
今回はそんな満洲国について紹介していこうと思う。
そもそも満洲国とは?
満洲国は1931年の柳条湖事件(りゅうじょうこじけん)を発端とする満州事変によって、日本の独断で満洲の地に建てられた国家である。
国家元首は清朝の最後の皇帝 愛新覚羅 溥儀(あいしんかくら ふぎ)であった。
満洲国は建国にあたって日本人・漢人・朝鮮人・満洲人(女真族)・モンゴル人の五族が共存して国を動かすという「五族協和」と、満洲国をあたかも理想郷のような国に育て上げるという「王道楽土」というスローガンを掲げた。
しかし満洲国は完全に独立した国家ではなく、あくまでも大連にいた関東軍と南満州鉄道の強い影響下にあり、国際的にはあくまでも「日本の傀儡国家」と位置付けられていた。
満洲国による日本の影響
当時のイギリス、フランスを中心とした国際連盟は満洲国を認めず、あくまでも日本の立場を考慮して国際連盟が共同統治すべきという考え方を取っており、満洲国の独立を認めなかった。
このことが原因で日本は1933年に国際連盟から脱退し、世界から孤立してしまうという最悪の事態となってしまった。
満洲国の国家体制
満洲国という国は上にも書いた通り一応執政(皇帝)として愛新覚羅溥儀が即位していたが、実際は大連に駐留していた関東軍の言いなりとなっており、ただのお飾りでしかなかった。
満洲国の政治体制はとにかく日本に似せており、参議府(日本でいうところの枢密院)、行政として国務院、司法機関として法院、立法機関として立法院と、監察機関(官吏などが悪さをしていないかチェックする機関)として監察院を置いて政治をしていた。しかし、これらの機関の議長のほとんどを日本人が独占していた。
さらにおかしなことに選挙は一回も行われておらず、党は満洲国協和会という政府の操り人形の党しかなく、さらに一番国として必要である立法院が一度も行われなかった。
満洲国の文化・言語
満洲国の文化は日本の傀儡ということもあり、日本の文化が色濃かった。
しかし一応満洲は中国だったため、中国と日本の文化が混ざった独特なものであった。
ちなみに満洲国の共通語は、中国語と日本語と協和語である。
協和語とは、聞いたことがない人もいると思うが、簡単に言えば胡散臭い中国人が言うイメージの「〜デアルヨ」や「〜はきれいアルネ」のようなニュアンスである。
満洲国 の経済・交通
満洲国の交通を牛耳っていたのは、南満州鉄道株式会社という日本政府と民間の半官半民企業であった。
この満鉄は元々日露戦争後、日本の租借地となっていた大連から、満洲国の首都となる長春(新京)まで伸びている路線を経営していた鉄道会社だったのだが、1920年代に入ると満洲の製鉄・鉄鋼、商業や農業、大学などの教育機関、挙げ句の果てには都市丸ごと経営する巨大財閥に成長し、満洲国での影響力を強めていった。
また、満洲国には三菱や住友などの日本の財閥だけではなく、満洲国を認めていなかった国の企業もこぞって満洲国に進出していた。
例えば、アメリカのフォード社やゼネラルモーターズなどが支店を展開していたのである。
満洲国の交通の代表例は、満鉄が総力を挙げて作った超特急 あじあ号 であるといえよう。
あじあ号は、1934年に大連から新京(1935年にハルビンまで延長)までの路線で運転を開始した列車である。
最高時速はこの当時としては異例の時速140キロであり、当時の日本最速の列車であった燕(つばめ)を大きく超える速さを誇っていた。
満洲国の外交関係
満洲国は、当初はどこの国からも認められていなかったが、後に枢軸国であったドイツやイタリアを中心に国として承認されていくことになる。
満洲国を認めた枢軸国以外の国は、ファシズム体制だったスペインや日本と仲が良かったタイ、さらにはなぜかコスタリカやエルサルバドルなどである。
結果的に満洲国を国家承認をした国の数は23カ国となり、意外に多かったのである。
満洲国の最期
満洲国は第二次世界大戦では、日本の傀儡国であったため日本側について戦うことになった。
しかし日本はアメリカに対し1942年以降負け始め、遂には沖縄に上陸されて占領されてしまった。
もはや日本に勝つ望みはなく降伏するのは時間の問題だったが、ここで満洲国に驚愕の事態が起こる。
なんと8月8日に、ソ連が日本との中立を辞め、日本に宣戦布告したのである。
ソ連はドイツを降伏させた後、圧倒的な勢力で満洲国になだれ込み、8月11日に首都新京が陥落した。
皇帝・溥儀らは大栗子という場所に逃げこみ、なんとか国政を続けようとしたが8月15日に日本はポツダム宣言を受諾。
もはやどうすることもできないと判断した満洲国首脳部は、その2日後の8月17日に満洲国廃止を決定。その次の日に溥儀は退位したのである。
こうして満洲国は、建国してわずか13年にして滅んだのである。
参考文献 : 日本人が知らない満洲国の真実
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