「お寿司」といえば、今や世界に浸透した日本を代表する和食のひとつ。
その代名詞ともいえる「トロ」も国際語として通じるようになりました。
アメリカやインドネシアには「TORO SUSHI」というお寿司屋さんがありますし、ポルトガルには「SUSHI TORO」というお店があるほどです。
そんなお国を問わず大人気の「トロ」ですが、現在の呼び名になったのは「三井物産の社員」が関係していたという逸話があります。
今回の記事では、そんな「トロ」の呼び名誕生秘話について紹介していきます。
そもそもマグロはいつから食べられるようになったのか?
マグロの刺身が日本でよく食べられるようになったのは、江戸時代くらいからと言われています。
しかし、当時のマグロと言えば赤身の部分のみ。現在私たちがありがたがって食べているお腹の脂の部分は捨てられてしまっていました。
あの高級部位を捨てていたとは驚きですが、赤身に比べるとトロの部分は腐りやすく、味もすぐに悪くなるので当時は食用として向かなかったのです。
捨てられたトロの部分は、魚が好きな猫すらまたいで通りすぎてしまう(それくらいまずくなってしまう)という意味で、江戸時代はトロのことを「ねこまたぎ」と呼んだと言われています。
その後、時は進み1920年ごろから船の性能が飛躍的に向上して、遠くの海で獲ったマグロを早く港に持ち帰ることができるようになりました。
さらに1960年代になると、船の上でマグロを凍らせることができるようになります。
現在でもこの技術は使用されており、マグロを獲ったらすぐにマイナス60度で、すばやく瞬間冷凍させているのだそうです。
こうした科学技術の進歩により、マグロはおよそ2年間、新鮮なままで保存することが可能になりました。
私たちが新鮮で美味しいマグロを食べられるようになったのは、瞬間冷凍の技術が向上したからなのです。
トロっとするから『トロ』名づけ誕生の瞬間
「トロ」とはマグロの脂身の部分を指しますが、いつからそう呼ぶようになったのかを立証する明確な資料は残っていないと言われています。
「トロ」という呼び名が誕生する以前は、脂が多い部分を「大アブ」少ないところを「中アブ」と呼んでいたそうです。少し脂っぽい名前ですね。
ではいつ、どのようにして「アブ」から「トロ」になったのかについては『鮓・鮨・すし−すしの事典』にヒントが載っています。
この本は日本橋にある「𠮷野鮨本店」の3代目・𠮷野曻雄さんが書いたもので、鮨の研究者としても有名な方です。
本書ではすしの歴史から調理技術まで幅広く網羅されており、「わたしどもの店での…」という内容でトロの呼び名に関するエピソードが記載されています。
大正7、8年(1918、19年)𠮷野さんの父の時代、当時は安かったマグロの腹側(現在はこの部位が最上とされる)を仕入れ、他の高級店よりも安く売って、これが大ヒット。
𠮷野鮨本店は、以前よりもさらに多くの客でにぎわうようになりました。
そんな頃、前々からお店を御贔屓にして毎日にように食べに来ていた三井物産の社員がいました。
このお客様が大の脂身好き。
あるとき同僚5、6人を引き連れて一緒に来店されてきたそうです。
その際、マグロの脂身について「もっと呼び名はないか?」という話になり、我々で考えてみようということになったそうです。
みんなで話し合いながら色々な案が出ましたが、社員のうちの一人がこう言いました。
「どうだい、口に入れるとトロっとするからトロにしては」
すると皆は大賛成しました。
こうしてマグロの脂身多い部位を「大トロ」、中位は「中トロ」と呼ぶようになったそうです。
たった数年で「トロ」がという呼び名が一般的に広がった
しかし、このエピソードがあった1、2年後に発表された志賀直哉の代表作「小僧の神様」では、まだ「トロ」という呼び名は出てこず「脂身」という表現に留まっています。
ところがさらに5年ほど経った大正15年(1926年)になると、実業家・政治家の波多野承五郎が書いた「古渓随筆」にこんな一文が載っています。
「鮨は鮪に止めを刺すと言ってこそ、本当の鮨通だ、然かも鮪のトロ身で、部厚のものでなかればならぬ」
「トロ」というワードが出てきています。
この数年の間には関東大震災が発生し、東京の食文化は軒並み停滞したと考えられますが、それでもわずか数年で「トロ」という呼び名が一般的に広がったのです。
おわりに
私たちが日ごろ慣れ親しんでいる「トロ」。
この逸話が本当であれば、意外にも呼び名の歴史は浅く、なんとも単純な理由で名前が決まったのは驚きです。
今後、お寿司屋さんで「トロ」の名前や歴史に思いを馳せながら食すると、また違った味わいを楽しめるかもしれません。
参考 :
読む寿司 オイシイ話108ネタ 著:河原一久
『鮓・鮨・すし−すしの事典』 著:𠮷野曻雄
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