第二次世界大戦の激戦地で、奇跡の生還を果たし「不死身の分隊長」としてその名を残した船坂弘(ふなさか ひろし)。
彼の驚異的なエピソードとして知られているのが、アンガウル島での戦いです。
この小さな島での熾烈な戦闘を経て、船坂はまさに「殺しても死なない」伝説的な存在として広く語り継がれることになりました。
今回は、船坂弘がアンガウル島でどのようにしてその名を轟かせたのか、わかりやすく解説していきます。
船坂弘の生い立ちと戦前の経歴
舩坂弘は1920年(大正9年)、栃木県上都賀郡西方村で農家の三男として生まれました。
幼少期から柔道や剣道を習い、近所の子供たちのガキ大将として知られていました。
肉体的な強さと忍耐力を備えていた船坂は、1940年に陸軍に入隊し、厳しい訓練を通じてさらにその力を磨いたのです。
特に銃剣術に優れ、中隊随一の腕前で何度も賞され、一番の模範兵として人望も厚かったといいます。
初めて戦場に赴いたフィリピンのアンガウル島で壮絶な戦いを経験し、そこで「不死身の分隊長」として名を轟かせることになります。
アンガウル島の戦いとは
アンガウル島は、南太平洋のパラオ諸島に位置する小さな島で、第二次世界大戦中に日本軍とアメリカ軍との間で激しい戦闘が行われました。
この島は、アメリカ軍がフィリピン攻略を進める上で重要な拠点として位置づけられ、1944年9月にアンガウル島攻略作戦が開始されました。
日本軍は島の防衛に全力を挙げ、船坂もその一員として参戦したのです。
アンガウル島は、周囲をジャングルと海に囲まれた過酷な地形で、気候条件も厳しく、物資の補給も困難でした。
その中で、船坂率いる日本部隊は、数において圧倒的に優勢なアメリカ軍と戦わざるを得ませんでした。
この島での戦いが、船坂の不屈の精神を表すことになるのです。
船坂弘の負傷と驚異的な生還
1944年9月、アンガウル島の戦いで、舩坂はその驚異的な戦闘力と生命力を発揮しました。
擲弾筒や臼砲を駆使して米軍兵士100人以上を倒し、激しい戦闘の中で筒身が真っ赤に焼けるほど弾を撃ち続けました。日本軍が壊滅状態に追い込まれる中、舩坂は大隊の残存兵と共に洞窟に籠り、ゲリラ戦に移行します。
その過程で、舩坂自身も何度も重傷を負っています。
特に左大腿部に裂傷を負った際には、数時間にわたり米軍の激しい銃火の中で放置されましたが、訪れた軍医は彼に自決用の手榴弾を手渡して去ってしまいました。それでも舩坂は日章旗を包帯代わりに足を縛り、夜通し這い続けて洞窟陣地に帰還します。
驚くべきことに、翌日には左足を引きずりながらも歩けるまでに回復しました。
舩坂は、このような瀕死の重傷を負いながらも数日で回復することが常で、後に「生まれつき傷が治りやすい体質で助かった」と語っています。
舩坂の奮戦ぶりは、仲間たちにも大きな影響を与えました。何度傷ついても戦場に立ち続ける彼の姿を見た部隊員たちは、「不死身の分隊長」と形容するようになり、部隊の士気を大いに高めたのです。
捕虜となるも脱走する
戦いが激化し、物資が尽きていく中、舩坂は手榴弾を手に米軍指揮官テントへの突撃を決行しましたが、ついにアメリカ軍に捕らえられ、捕虜として連行されます。
しかし、彼の物語はここで終わりません。舩坂は捕虜となっても屈することなく、重傷を負いながらも脱走を決意します。ペリリュー島の捕虜収容所に移された舩坂は、監視が甘かったことを利用して収容所から脱出に成功。しかし、日本軍に合流することはできず、最終的には再びアメリカ軍に捕らえられてしまいます。
その後、舩坂は終戦まで複数の収容所を転々としましたが、米軍側からも「勇敢な兵士」として知られ、一目置かれる存在となりました。
戦後の船坂弘
終戦後、1945年に帰国した舩坂弘は、戦争の体験を元に作家として活動を開始します。
自身の戦場での壮絶な体験を綴った『英霊の絶叫: 玉砕島アンガウル戦記』などの著書を発表し、多くの人々に戦争の現実を伝え、強い影響を与えました。
また、舩坂は渋谷駅前に「大盛堂書店」を開業しました。
戦争を通じてアメリカの先進性に触れ、それを日本の文化や教育の発展に役立てたいという思いから書店経営を決意したのです。この書店は、日本初の「本のデパート」として発展し、広く知られるようになりました。
さらに、舩坂は日本各地で講演を行い、戦争の悲惨さと平和の重要性を訴え続けました。
「ゴールデンカムイ」の杉元のモデル?
人気漫画『ゴールデンカムイ』の主人公「不死身の杉元」は、公式な発表はありませんが舩坂弘がモデルではないかと言われています。
物語の舞台こそ違いますが、日露戦争後の日本で、杉元が何度も死に直面しながらも生き延びる姿は、舩坂がアンガウル島で見せた奇跡的な生還と重なります。
舩坂弘の不屈の精神と驚異的な生命力は、戦後の文学や大衆文化に大きな影響を与えました。
「不死身の分隊長」として知られる彼の姿は、戦争の過酷さを超えて生き抜く人間の強靭さを象徴し、今なお多くの人々の記憶に深く刻まれています。
参考 : 『英霊の絶叫: 玉砕島アンガウル戦記』他
文 / 草の実堂編集部
出生地が違うと思います
ご指摘ありがとうございます。
修正させていただきました。