NHKドラマ「ばけばけ」で、英語教師ヘブンのもとで女中として働き始めたトキ。
「ラシャメン」の誤解も解け、少しずつ距離を縮めていく二人に、これからどんな波乱が待っているのか目が離せません。
ところが、史実をたどると、ヘブンのモデルであるラフカディオ・ハーンには、小泉セツと出会う前に心を寄せた、もう一人の日本人女性がいたのです。
その女性とは、いったいどんな人物だったのでしょう?
※史実に基づいておりますが、一部ドラマのネタバレを含む可能性がありますのでご注意ください。
県知事令嬢・籠手田よし子との出会い

画像 : イメージ public domain
明治23年の夏、ハーンは英語教師として松江に赴任しました。
前任の外国人教師は日本人を「野蛮人」と言ってはばからない、およそ教師としてふさわしくない人物でした。
ところが、ハーンは大の日本好き。日本人がつまらないと思うようなものにも興味を持っているような人です。
彼が日本を愛してやまないということが市中に伝わると、松江の人々はハーンを敬愛し温かく迎え入れました。
やがて人々は彼のことを「ヘルン先生」と呼び、親しみを込めて接してくれるようになります。
この「ヘルン」という名は、赴任辞令に「ラフカデオ・ヘルン」と記載されていたことがきっかけでした。
ハーンは「―」の記号が好きではなかったため、以後「ヘルン」で通すようになったのです。
また、その呼び名をとても気に入り、自ら「へるん」と刻んだハンコまで作ったほどでした。
もともと人付き合いが得意ではなく、静かな生活を好む性格でしたが、自分を受け入れてくれる人々にもっと近づきたいという思いが芽生え、彼は積極的に人々と関わるようになっていきました。
9月27日、ハーンは西田千太郎とともに籠手田安定知事の邸宅を訪れました。
ここでハーンは、知事の令嬢・よし子と初めて出会います。
雛人形を眺め、舞妓の踊りに見入り、よし子の奏でる琴の音に耳を傾けながら、日本文化の奥深さに触れたひとときでした。
よし子は松江婦人会の会長を務めるほどの才女で、社交的で気配りも抜群。
正妻の娘ではありませんでしたが、内妻の娘として松江に暮らし、ハーンにも親切に接しました。
その姿に、ハーンは自然と心を寄せていったようです。
よし子の父、籠手田安定(こてだ やすさだ)とは

画像 : 籠手田安定 public domain
よし子の父である籠手田安定(こてだ やすさだ)は、滋賀県知事、島根県知事、新潟県知事、貴族院議員を歴任した人物です。
幕末の平戸藩に生まれ、旧名は桑田源之丞。
明治に入り、約300年ぶりに籠手田姓を名乗るようになりました。
剣術の達人として知られ、山岡鉄舟の高弟とも称された安定は、古武士の風格を漂わせる人物で、強い剣客を従えて道場破りを繰り返したという逸話も残っています。
明治18年から6年間、島根県知事として努めた彼は、武術の復興に力を注ぐ一方、松江の発展のために尽力しました。
そして英語教育の必要性にも目を向けていた彼が、ハーンを松江に招いたのです。
日本文化を深く愛したハーンは知事を心から敬愛しており、撃剣や槍の試合があるたびに観戦を楽しんだといいます。
明治24年に安定が松江を離れた後も、二人の交流は続いたのでした。
病床のハーンを癒したよし子からの贈り物

画像 : 小原古邨「枝垂れ桜と鶯」(1900)public domain
松江で心通う友人を得て、日本の暮らしにすっかり馴染んでいたハーンでしたが、松江の冬は彼にとってあまりにも厳しかったようです。
寒さに慣れないハーンは風邪をこじらせ、長く床に伏すことになりました。
彼は病のつらさだけでなく、慣れない地で孤独と不安をひしひしと感じていたことでしょう。
そんなある日、ハーンのもとに贈り物が届きます。
送り主は籠手田知事の令嬢・よし子で、見舞状とともに珍しい形の籠に入った一羽の鶯(うぐいす)が届けられたのです。
「ホーホケキョ」という美しい鳴き声は、病床のハーンの心を優しく癒しました。
よし子の思いやりに深く感動したハーンは、感謝の気持ちを何度も西田宛の手紙に綴っています。
ある手紙にはこう記されています。
「親愛なる西田さん
昨晩は大変気分がよく、今日は出勤することができそうに思いましたが、まだ声が出ません。昨夕、八時三十分頃、知事からの使者が参られまして丁重な御見舞状と御見舞いの品物をいただきました。私には読めないのでありますが、返事を出したく思います。私はその御見舞いにお礼を一生懸命述べましたが、私の日本語は野蛮人の言葉でしたので、西田さんに習って、明日礼状を出すと言っておきました。」池野誠『小泉八雲と松江 : 異色の文人に関する一論考』より
また別の手紙では、よし子への思いがさらに深く語られています。
「親愛なる西田様
昨夜籠手田知事の使者が、珍しい形の箱に入れて籠手田令嬢からの贈物-鶯-を拙宅へ持參しました。(中略)
しかし私はこの贈主に対して感謝を表せんがために、何と申すべきか、何をなすべきかを知らぬ。実に親切この上もない。それで、昨日は嫌な天気ではあったものの、幸福な日でした。その日は私の宅へ神聖な鳥と貴君の愉快なる郵信をもたらしたのです。して、一切のことに対し、私の感謝と好意を表します。『小泉八雲全集』第十巻より
さらにハーンは、この鶯の贈り物について、『知られぬ日本の面影』でも触れています。
「『ほー、け、けう!』私のウグイスがいよいよ眼をさまして、朝の祈を唱えた。(中略)その歌いようの美しさ!いかにも悠然、惚れぼれと有頂天になって、その美妙至極な一音一音を玩味しつつ歌う。(中略)けれども、彼は貴重なものだ。遠いところを探がし、隅々を求めてやっと得らるる稀有な高価のものだ。実際、私の力では買うことはできなかったろう。日本の最良なる淑女の一人なる、出雲の知事の令嬢が、外人教師が一寸した病気の間、淋しく感ずるだろうと思って、この珍奇な小鳥を見舞品として贈ってくれたのだ。」
『小泉八雲全集』第三巻より
よし子の気品ある振る舞いと、武士の娘らしい細やかな心遣いに、ハーンは好感を抱いたのでしょう。
ハーンの心には、よし子の優しさが深く刻まれていました。
籠手田知事が新潟へ赴任した後も、ハーンはよし子のことを気にかけ、知事宛ての手紙の中で彼女の近況を尋ねています。
病の孤独を癒した鶯の音と令嬢の細やかな気遣いは、彼にとって忘れがたい思い出となり、よし子の幸福をハーンは遠くから静かに祈り続けていたのでした。
【参考文献】
池野誠『小泉八雲と松江 : 異色の文人に関する一論考』,島根出版文化協会,1970 国立国会図書館デジタルコレクション
『小泉八雲全集』第三巻,第一書房,大正15 国立国会図書館デジタルコレクション
『小泉八雲全集』第十巻,第一書房,昭和2 国立国会図書館デジタルコレクション
田部隆次『小泉八雲』,中央公論新社 2025
文 / 深山みどり 校正 / 草の実堂編集部
























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