『らんまん』第24週のタイトルは「ツチトリモチ」。
23週は寿恵子(浜辺美波)が待合茶屋「山桃」を開店し、二人の紳士が訪れるところで終わりました。
24週はどのような展開になるのでしょうか?NHK公式サイトによるあらすじと実在モデル、史実のエピソードを紹介します。
目次
第24週あらすじ
図鑑は完成間近となりましたが、版元が見つからず、自信をなくす万太郎(神木隆之介)。
一方、寿恵子(浜辺美波)が開店した待合茶屋「山桃」に、逓信省鉄道庁の相島(森岡龍)と小林一三(海宝直人)がやってきます。相島は、以前「菊くらべ」に参加していた役人です。
大学で酵母菌の研究を行っていた藤丸(前原瑞樹)が、竹雄(志尊淳)と綾(佐久間由衣)に研究成果を伝えると、竹雄たちは新しい酒造りを決意。屋台で稼いだお金で沼津の酒蔵を手に入れ、東京を離れます。
ある日、南方熊楠から万太郎に手紙と標本が送られてきます。その中には、120年に一度しか咲かないという珍しいハチクの花もありました。
しかし、植物学教室に届いた熊楠の手紙を目にした徳永(田中哲司)は、万太郎に熊楠とは深くかかわらないようにとくぎを刺すのでした。
繁盛する寿恵子の店に、高知の自由民権運動家・早川逸馬(宮野真守)と永守徹(中川大志)が訪れ、万太郎の研究に共感した資産家の永守は、図鑑発刊の投資を申し出ます。
(参考:NHK「らんまん」公式サイト)
小林一三は、実在の実業家
小林一三(こばやし いちぞう)は、阪急電鉄をはじめとする阪急東宝グループ(現・阪急阪神東宝グループ)の創業者です。
慶應義塾を卒業後、銀行マンを経て箕面有馬電気軌道を創立。阪急百貨店や宝塚歌劇団などの設立も手がけ、茶人、美術蒐集家としても名を残しています。
史実での牧野富太郎と小林一三の接点は、後述する池長孟が小林の知人であったことくらいで、直接的なやりとりはなかったようです。
余談ですが、鉄道と言えば、昭和の初期に小中学生を対象とした「自然科学列車」がありました。植物や昆虫の採集、野鳥観察といった野外体験学習を目的とした、列車で行く旅です。牧野は植物採集の講師として活躍しました。
永守徹のモデルは、牧野の人生最大の危機を救った池長孟
中川大志さん演じる永守の実在モデルは、神戸の資産家・池長孟(いけなが はじめ)だと思われます。
池長孟は、膨れに膨れ上がった牧野家の借金3万円(現在の価値で6000万円から9000万円くらい)を肩代わりし、牧野の人生最大の危機を救ってくれた人です。
牧野家の借金と池長孟について、詳しくはこちら。
・植物学者・牧野富太郎の借金人生 【その額月給の1000倍】~NHK「らんまん」主人公のモデル
https://kusanomido.com/study/history/japan/shouwa/65261/・【NHKらんまん】最終章 ~寿恵子の今後と図鑑発刊の行方。史実をもとに解説
https://kusanomido.com/study/history/japan/shouwa/72334/
久々に高知の自由民権運動家・早川が再登場。永守によって、図鑑発刊の夢は実現へ向けて大きく動くことになりそうです。
待合茶屋「山桃」のある渋谷・荒木山は現在の円山町
荒木山は、江戸時代には大山街道の宿場町として栄え、明治20年頃、「弘法湯(こうぼうのゆ)」の前に芸者屋ができたのをきっかけに花街となりました。「らんまん」によく出てくる「鍋島様」とは、佐賀藩藩主の鍋島家です。
明治9年、鍋島家は、紀伊徳川家の下屋敷の払い下げを受け茶畑を開墾。茶畑は「松濤園」と名付けられ、とれたお茶は「松濤」の銘で売り出されました。寿恵子がおいしいと言っていたお茶です。
「荒木山」は、鍋島藩の荒木氏が所有していたことが名前の由来であり、昭和に入ってから円山となります。当時花街で有名でしたが荒木山には住宅地もあり、牧野家はその一角に住んでいました。
藤丸のモデルは菌類学者・田中延次郎
田中延次郎(旧姓 市川)は、江戸・千住南組の酒問屋生まれ。
牧野の出入りしていた東京帝国大学植物学教室を卒業後、1897年にはドイツに私費留学し酵母の研究をしています。
史実でも、田中と牧野はお互いの家を行ったり来たりするなど、深い親交があったようです。
自分の道を見つけた藤丸は、新天地で竹雄たちと試行錯誤しながら新しい酒を造ることになりそうです。
牧野富太郎と南方熊楠の関係
南方熊楠は、和歌山生まれの博物学者・生物学者・民俗学者です。
明治期にアメリカ、ロンドンで様々な研究を行い、帰国後は在野の研究者として生涯を過ごしました。
研究分野は民俗学、博物学、人類学、生物学、植物学、動物学など多岐にわたり、生涯で『ネイチャー』誌に掲載された論文は51本。「知の巨人」と呼ばれています。
熊楠は牧野の5歳年下です。ほぼ同年代を生きた二人が直接会うことはありませんでしたが、熊楠は約400点もの植物の鑑定を牧野に依頼しています。
その一つとして「らんまん」では、ハチクの標本が登場します。ハチクは120年に1度の周期で開花するといわれ、現在でも詳しい生態は分かっていません。
実は、牧野と熊楠には共通の知人がいました。イチョウの精子を発見した平瀬作五郎です。
平瀬は東京大学を追われたのち滋賀や京都で教師をしていましたが、明治40年ごろ熊楠と出会い、二人は14年にわたってマツバランの共同研究を行いました。
ドラマでは、万太郎と野宮のやり取りが再び見られるかもしれません。
南方熊楠と神社合祀令
神社合祀令とは、神社を合祀して、一町村一神社とするという政策でした。
熊楠は、集落ごとに祀(まつ)られている神社は、住民の心や信仰のよりどころであり、神社合祀は歴史や伝承の亡失につながると主張しました。
さらに合祀によって神社林が伐採されると、自然や景観の破壊だけでなく、貴重な生物が絶滅するなどの理由から熊楠は神社合祀に激しく反対。新聞各社に反対意見の原稿を送り、大学の学者に応援を求めるなどの働きかけを行っていました。
明治44年、熊楠は神社合祀反対を訴えた長文の書簡を植物学者・松村任三教授に送っています。
ドラマの中で徳永教授が万太郎に熊楠と関わるなと言うのは、神社合祀の反対運動のことだと思われます。
寿恵子は商売に、竹雄たちは酒造りにと大きな一歩を踏み出しました。万太郎はどんな一歩を踏み出すのでしょう。来週も目が離せません。
参考文献:大原富枝『草を褥に 小説牧野富太郎』
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