らんまん

【NHKらんまん】最終章 ~寿恵子の今後と図鑑発刊の行方。史実をもとに解説

らんまん』もついに最終章へ突入。植物図鑑を出版するという万太郎寿恵子の夢は実現できるのでしょうか?

今回は史実をもとに、寿恵子の今後と図鑑出版へのカギとなる二人の人物について解説します。

牧野富太郎の妻・壽衛(すえ)の商売とその後

・「待合茶屋(まちあいぢゃや)」の経営

【NHKらんまん】最終章

画像. 大正期の芸者遊び。public domain

おばの勧めで寿恵子は、「待合茶屋」の経営を始めます。

「待合茶屋」とは、政府の要人や財界人が芸妓を呼んで宴席や密談をする場所で、明治維新後とても人気がありました。

史実では、二番目の妻・壽衛(すえ)は渋谷の花街・荒木山に待合茶屋「いまむら」を開業しています。壽衛には商才があったのでしょう。店は一時とても繁盛し、家計も潤ったそうです。

しかし、店が繁盛すればするほど、大学からは「水商売などけしからん」と批難され、牧野は経営から手を引くよう催促されました。

・関東大震災

【NHKらんまん】最終章

画像. 関東大震災による惨状(横浜市中区)public domain

大正12年(1923年)9月1日、関東大震災が発生しました。

牧野家は火災をまぬがれたものの、大量の本と標本で床が抜けてしまいました。それまでも何度も床が抜けることはあったのですが、この時は比べものにならないほどの壊れようでした。

天変地異に興味を抱いていた牧野は、地震を心ゆくまで味わったといい、自叙伝で次のように書いています。

“隣家の石垣が崩れ出したのを見て家がつぶれては大変と庭に出て、庭の木につかまっていた。妻や娘達は、家の中にいて出てこなかった。家は幸いにして多少の瓦が落ちた程度だった。余震が恐いといって皆庭に筵(むしろ)を敷いて夜を明かしたが、私だけは家の中にいて揺れるのを楽しんでいた。”

・家を建てる

【NHKらんまん】最終章

画像. 牧野記念庭園 入口。public domain

震災を経験した壽衛は、牧野の膨大な標本を守る家が必要だと思い始めます。彼女が理想としたのは、都心から離れた火事の少ない田舎の広い家でした。

「いまむら」の経営がうまくいかなくなり破産への一途をたどっていくと、壽衛はさっさと店を処分します。店とその権利を売って得たお金で700坪の雑木林を購入し、一軒家を建てました。現在の練馬区東大泉にあるその土地は、当時は草木の生い茂る田舎でした。

昭和という新しい時代を牧野家は新しい家で過ごすことになったのです。牧野富太郎が64歳にして初めて持った自分の家でした。

新居に移った翌年(昭和2年)、壽衛の身体に異変が生じます。入院費が払えず何度も入退院を繰り返し、翌年の2月、壽衛は帰らぬ人となりました。
牧野は仙台で発見した新種のササに「スエコザサ」の名をつけ、彼女の墓標に

“家守りし妻の恵みやわが学び 世の中にあらん限りやスエコ笹”

という自作の句を刻みました。

※牧野富太郎の妻・壽衛について詳しくはこちら。

※NHK「らんまん」朝ドラのモデル~ 牧野富太郎を支えた二人の妻 【猶と壽衛】
https://kusanomido.com/study/history/japan/shouwa/ranman/65524/

ドラマでは絶対に描かれないと思いますが、史実では壽衛の亡くなった後、牧野はお手伝いさんとの再婚を切望し、家族に大反対され、再婚はかなわなかったというエピソードがあります。

『牧野日本植物図鑑』発刊へ

・『牧野日本植物図鑑』とは

【NHKらんまん】最終章

画像. 『牧野日本植物図鑑インターネット版』.高知県立牧野植物園

牧野日本植物図鑑』は、1940年9月29日、北隆館から発行されました。

執筆を始めてから約10年の月日を経て出版された、牧野富太郎の代表作です。
読者に分かりやすく、植物の知識を広めたいという牧野の強い願いから、校正は5回も6回も繰り返されたといいます。

『牧野日本植物図鑑』はロングセラーとなり、現在でも改訂を重ね広く親しまれています。

・万太郎の右腕になる虎鉄くん

画像.ヤマツバキ ※山田寿雄ほか『日本産ツバキの図』. 国立国会図書館デジタルコレクション

山元虎鉄(演・濱田龍臣)のモデルは、明治の終わりから昭和初期にかけて活躍した植物画家の山田壽雄(やまだ としお)と思われます。

牧野から植物図の才能を見出され、直接描画指導を受けた山田はその才能を開花させました。

牧野が自身の最高傑作と言った『大日本植物志』の全16点の図版のうち、4点が牧野と山田との協同制作によるものです。また、『牧野日本植物図鑑』には160枚ほど山田の描いた植物画が利用されています。

このことから、後に山田は「牧野富太郎が最も信頼した植物画家」といわれるようになりました。

ドラマでは、画家として活躍する虎鉄くんが見られるかもしれません。

・図鑑発刊の費用を支援する永守徹(演・中川大志)

画像.神戸市文書館(旧 池長美術館).「神戸市文書館」

最終章の新キャストとして登場する永守徹。おじの莫大な資産を継いで資産家となった青年で、図鑑発刊の費用を支援する人物です。

永守の実在モデルは、神戸の資産家・池長孟(いけながはじめ)だと思われます。池長孟は、南蛮美術の収集で知られる美術品収集家で、昭和15年(1940年)、池長美術館を開館しています。

史実では、牧野家の借金は増え続けその額3万円。にっちもさっちも行かなくなった牧野は、知り合いの新聞記者に自身の困窮を相談します。

大正5年(1916年)、牧野家の窮状が記事になると、池長が支援の名乗りをあげます。当時池長は京都帝国大学法学部の学生で、父親から受け継いだ莫大な資産をもち、多額納税者となっていました。

池長は牧野の標本を3万円で買い取ることにし、さらに牧野への経済援助も約束してくれました。池長孟は、牧野の人生最大の危機を救ってくれた人だったのです。

その後、牧野は池長とうまくいかなくなり、経済援助は打ち切られています。
金のいかがわしい使い方や標本の整理が進まなかったこと、月に1度の神戸への出張をおろそかにしたことなどが原因のようです。

ドラマでは植物画の弟子も育ち資金の目処もついて、万太郎と寿恵子の夢は実現に向けて大きく動くこととなります。

史実では残念ながら、壽衛は図鑑の完成を見ることなく亡くなっています。ドラマではどうなるのでしょうか?

奇しくも『牧野日本植物図鑑』が初めて出版された日が、ドラマの最終回です。

涙腺崩壊は必至ですが、最後まで見届けたいと思います。

参考文献
渋谷章『牧野富太郎 私は草木の精である』
牧野富太郎『牧野富太郎自叙伝』

 

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