西洋史

なぜイギリスでは『謎の人形』を毎年燃やすのか?奇祭ガイ・フォークス・ナイトの真実とは

11月5日の夜、イギリス各地の町では、夜空に花火が打ち上がり、巨大な焚火が人々を照らします。

これは「ガイ・フォークス・ナイト」あるいは「ボンファイヤー・ナイト」と呼ばれる、イギリス特有の伝統行事です。

画像 : ガイ・フォークス・ナイト wiki c Peter Trimming

初めてその光景を目にする人にとっては、秋の夜を彩る華やかな祭りのように映るかもしれません。

しかしその中心では、やや不穏な儀式が静かに始まります。

人の形をした「ガイ人形」が焚火の頂へと運ばれ、観衆の視線が集まるなか、火がくべられるのです。
炎は勢いよく燃え上がり、やがて人形の布が焦げ、詰め物が破裂しながら黒く崩れていきます。

その姿には、単なる見世物を超えた残酷さを感じさせる瞬間もあります。

実は、この奇妙な秋の風物詩の背後には、17世紀初頭の宗教対立と政情不安、そして実際にあった恐ろしい陰謀事件が横たわっているのです。

今回は、この祭りに隠された由来とその歴史を紐解いていきましょう。

国王からの弾圧と失望

17世紀初頭のイングランドは、宗教対立によって大きく揺れていました。

その発端は1534年、ヘンリー8世がローマ教皇と決別し、イングランド国教会(プロテスタント)を創設したことでした。

これ以降、国内のカトリック教徒たちは長年にわたって厳しい迫害を受け続けていたのです。

画像:ジェームズ1世 (イングランド王) public domain

1603年、エリザベス1世が崩御すると、スコットランド王であったジェームズ6世がジェームズ1世としてイングランド王に即位し、スチュアート朝が始まります。

一部のカトリック信者たちは、新たな王が信教に寛容な政策を取ることを期待しました。
しかし期待とは裏腹に、ジェームズ1世はむしろ国教会を強化し、カトリック弾圧を継続したのです。

こうした状況に失望した一部の過激なカトリック信者たちは、ついに武力による行動に出ます。

計画の中心人物は貴族のロバート・ケイツビーで、彼のもとには血縁や信仰で結ばれた13人の共謀者が集まりました。
そのうちの一人が、後に祭りの名の由来となるガイ・フォークスでした。

フォークスは軍事経験が豊富で火薬の扱いに長けていただけではなく、イングランド国外、特にスペインでの軍務にも就いており、宗教的情熱に加え、戦術的な知識と経験を兼ね備えた人物でした。

陰謀の計画と露呈

彼らの計画は、国会開会式が行われる1605年11月5日に、ロンドンのウェストミンスター宮殿の地下に大量の火薬を仕掛け、国王ジェームズ1世と議会議員を一挙に爆殺しようというものでした。

用意された火薬の量は36樽にも及び、当時の建物を吹き飛ばすには十分すぎる量でした。

しかし、この計画は実行直前に内部告発により露見してしまいます。

画像:火薬陰謀事件の発覚を描いた画(1823年頃ヘンリー・ペロネ・ブリッグス画) public domain

カトリック系の貴族に宛てた匿名の警告状が政府に渡り、警戒した当局が議事堂を捜索した結果、地下室で火薬と共に発見されたのがガイ・フォークスでした。

フォークスは尋問の末に拷問を受け、仲間の名を明かしました。
これにより共犯者たちも次々と逮捕され、計画は完全に頓挫してしまったのです。

そして翌1606年1月31日、ロンドン塔から引き出されたフォークスらは、セントポール大聖堂近くで公開処刑に処されました。

ただし、ガイ・フォークス自身は処刑の最中に首の骨を折り、即死したとも伝えられています。

こうして陰謀は未遂に終わりましたが、その衝撃は大きく、イングランド全土を揺るがす大事件として歴史に刻まれたのです。

反乱者から象徴へ

画像:フォークスの処刑を描いた1606年の版画 public domain

この事件は、結果的に国王と議会の命を救った出来事として、国家的な奇跡とみなされ、大きく称賛されました。

事件の翌年である1606年、イングランド議会は「11月5日の遵守法(Observance of 5th November Act)」、通称「感謝祭条例」を可決し、毎年この日を国家的な記念日として定めました。

国王を襲った陰謀を神が打ち砕いたとして、「神の導きに感謝する日」と位置づけられたのです。

この法律のもと、人々は11月5日に教会で特別礼拝を行い、夜には焚火を囲んで集い、事件の首謀者を象徴する人形を焼くようになりました。

初期にはローマ教皇を模した人形が用いられることも多く、次第にガイ・フォークスの名を冠した「ガイ人形」へと移り変わっていきます。

この風習はイングランド各地に広がり、恒例の年中行事として定着していきました。

画像:焼かれるフォークスの人形 wiki c William Warby.jpg

当初は宗教的意味合いが強く、カトリックに対する非難の色も濃かったのですが、時を経てそうした側面は次第に薄れ、焚火と花火を楽しむ庶民的な行事へと変化していきました。

18世紀以降には、子どもたちが手作りのガイ人形を担いで町を練り歩き、「A penny for the Guy!(ガイに1ペニーを!)」と声をかけて小銭をもらう風習も生まれました。

こうしてガイ・フォークスは、「失敗した反逆者」から「毎年燃やされる象徴」へと変貌を遂げていったのです。

現代にも残る影響

現代のガイ・フォークス・ナイトは、もはや宗教や政治とはほとんど関係ないエンターテインメントとして定着しています。

イングランド各地では、11月5日前後に大規模な花火大会やボンファイヤー(焚火)イベントが開催され、多くの人々が集まる「秋の祭り」として親しまれています。

「ガイ人形」以外にも、時事ネタに登場する政治家や有名人を模した人形が燃やされることもあり、風刺や皮肉の効いた演出も見どころの一つとなっています。

2005年に公開された映画『Vフォー・ヴェンデッタ』では、ガイ・フォークスの名前と象徴性が再び脚光を浴びました。

作中では、近未来の独裁政権に抗う主人公「V」が、ガイ・フォークスの顔を模したマスクを常に身に着け、政府の施設を爆破することで民衆に覚醒を促します。

この「ガイ・フォークス・マスク」は、映画の枠を超えて現実の社会運動にも影響を与えました。

画像:『Vフォー・ヴェンデッタ』で有名になったガイ・フォークス・マスクを着けアノニマスとして公の場に現れた人々 wiki c Vincent Diamante

国際的なハッカー集団「アノニマス」は、このマスクを象徴的に使用し、世界各地で政府や企業に対する抗議行動を展開しています。

2011年の「オキュパイ・ウォールストリート」運動をはじめ、香港のデモや中東の春など、抵抗の場にガイ・フォークスの仮面が登場するたびに、彼の存在は単なる歴史上の人物を超えて「自由への象徴」へと昇華されていることが分かります。

火薬による革命を試みたガイ・フォークスらの計画は失敗に終わりましたが、その記憶はイギリス社会に深く根付き、今日に至るまで花火や焚火の光を通して、自由と抗議の精神を照らし続けていると言えるでしょう。

参考:
『The Observance of 5th November Act 1605』
思わず絶望する!? 知れば知るほど怖い西洋史の裏側』/まりんぬ(著) 佐藤 幸夫(監修) 他
文 / 草の実堂編集部

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草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

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