西洋史

かつて「パリの恥」だったエッフェル塔 〜20年で消えるはずだった

画像:エッフェル塔 public domain

パリの空にそびえ立つエッフェル塔は、現在では「鉄の貴婦人」という愛称で親しまれる世界的なランドマークです。

しかし、その誕生は決して祝福に満ちたものではありませんでした。

エッフェル塔は、1889年のパリ万国博覧会の目玉として建設されましたが、当初はわずか20年で解体される予定の仮設建造物だったのです。

しかも当時の知識人や市民のあいだで強い反発が起こり、「パリの恥」「醜い鉄の塊」などと激しく罵倒されました。

もし当初の計画通りであれば、エッフェル塔は1909年12月31日をもって姿を消していたはずでした。

では、当時強い批判を受けていたエッフェル塔が、どのようにして解体を免れて現代まで生き残ったのでしょうか。

今回はエッフェル塔が歩んだ、驚くべき生存の歴史をたどっていきます。

エッフェル塔の原案は、二人の主任技師の構想から始まった

画像:ギュスターヴ・エッフェル public domain

「エッフェル塔」という名称は、建設を請け負ったギュスターヴ・エッフェルに由来します。

しかし、この巨大な塔の原案を最初に形にしたのは、彼の会社に所属していた二人の技師でした。

1884年、技師のモーリス・ケクランとエミール・ヌーギエは、高さ300メートルに及ぶ鉄の塔という大胆な計画を考案し、詳細な構造計算と図面を作成します。
そこへ建築家ステファン・ソーヴェストルが加わり、塔の脚部に巨大な装飾アーチを設け、各階層にガラス張りのホールを加えるなど、建築的な意匠を取り入れました。

こうしてこの計画は単なる技術案から、万国博覧会の象徴となりうる建造物へと磨き上げられていったのです。

エッフェルもこの計画に大きな可能性を見いだします。
彼は二人の技師とともに設計特許を取得し、1889年のパリ万国博覧会に向けた設計コンペティションへ応募しました。

これは単なる名誉欲ではなく、巨大な建設費を回収するための極めて現実的なビジネス判断でもありました。

実際、エッフェルは建設費の約8割を自己資金で調達し、その見返りとして万博終了後20年間の運営権と収益権を得る契約をフランス政府と結んでいます。

この契約こそが、後に訪れる解体危機の際、エッフェルが塔の存続を主張するための法的かつ経済的な根拠となるのです。

芸術家たちの罵倒と科学技術への貢献

画像:ギ・ド・モーパッサン public domain

1887年にエッフェル塔の建設が始まると、パリの景観を愛する芸術家や知識人たちは強く反発しました。

作家のギ・ド・モーパッサンやアレクサンドル・デュマ・フィスら著名人は新聞紙上で抗議文を発表し、エッフェル塔を「巨大な工場の煙突」にたとえて、パリの美しい街並みを破壊する存在だと激しく非難しています。

石造りの伝統的な街並みの中に突如として現れた巨大な鉄骨の塔は、彼らにとって美意識を踏みにじる異物のように映ったのでしょう。

しかしこうした四面楚歌の状況の中で、エッフェルは塔を存続させるための新たな道を模索しました。
それが、科学技術への活用です。

塔の頂上には気象観測所や天体観測設備が設けられ、さらに物理学や生理学などの実験研究にも利用されました。
エッフェルは名だたる科学者たちに研究の場を無償で提供し、この巨大な建造物を科学研究の拠点として活用していったのです。

そして1909年に予定されていた解体期限を前に、エッフェル塔を最終的に救ったのが無線通信技術でした。
当時としては最先端だった無線通信において、塔の圧倒的な高さは電波の送受信に大変有利だったのです。

フランス軍はこの利点に注目して塔を軍事通信の拠点として利用し、第一次世界大戦が始まると、設置されたアンテナはドイツ軍の無線通信を傍受し、マルヌの戦いにおけるフランス軍の勝利にも大きく貢献したとされています。

こうした軍事的価値は、エッフェル塔が解体を免れて現在まで残ることになった大きな要因となりました。

詐欺師も惹きつけたエッフェル塔

画像:ヴィクトール・ルスティヒ public domain

塔の存続が決まった後の平和な時代、エッフェル塔は思いもよらない事件の舞台となります。

1925年、ヴィクトール・ルスティヒという詐欺師が、この有名な建造物を利用した大胆な詐欺を企てたのです。
当時の新聞には「エッフェル塔の維持費は大変高額である」といった記事が掲載されており、ルスティヒはそれを巧みに利用した詐欺を思いつきました。

彼はまずフランス政府の高官になりすまし、鉄屑業者を密かに集めました。
そして「エッフェル塔は老朽化している。解体して君たちに鉄材として売却する」と偽の入札を持ちかけ、業者の1人から巨額の金と賄賂を受け取ると、そのままオーストリアへ逃亡したのです。

被害者が自らの不名誉を恐れて警察に届け出なかったため、ルスティヒは大胆にも数か月後に再びパリへ戻り、別の業者に同じ詐欺を仕掛けます。
しかし2度目は相手に疑われ、警察に察知される前にアメリカへ逃亡しました。

その後、ルスティヒはアメリカで偽札事件に関与して逮捕され、最終的には刑務所の中で生涯を終えています。

驚きの構造計算と著作権

画像:夜明けのエッフェル塔 wiki c Tristan Nitot

このように数々の歴史の舞台となってきたエッフェル塔ですが、その長寿を支えているのは鉄の性質を計算に入れた巧妙な設計でした。

鉄は気温の変化によって伸び縮みするため、夏の強い直射日光を受けると鉄材が膨張し、塔の高さは十数センチほど変化します。
さらに太陽光が当たる側だけが膨張することで、塔の頂部は太陽を避けるようにわずかに傾きながら、ゆっくりと円を描くように動くのです。

こうした繊細な構造を守るため、エッフェル塔では建設以来、定期的に全面塗装の塗り替えが行われてきました。
一度の塗装に使用される塗料は約60トンにも及び、熟練した職人による手作業で進められます。
さらに地上から見上げたときに塔全体が均一な色に見えるよう、下部から上部にかけて三段階に色の濃度を変えるグラデーション塗装も施されているのです。

また、エッフェル塔の価値を守るための法的な仕組みも整えられています。
塔本体のデザイン著作権はすでに消滅していますが、夜間のライトアップは現代の照明デザインによる芸術作品として扱われています。
そのため、夜のエッフェル塔を撮影した写真を商用利用する場合には、管理会社の許可が必要とされています。

このようにエッフェル塔は構造技術だけでなく、維持管理や法的保護によっても守られてきたのです。

130年以上の歳月を経て、かつて「パリの恥」と呼ばれた建造物は、今では「パリの象徴」として世界中の人々に親しまれています。

参考文献 :『エッフェル塔ものがたり』/倉田 保雄(著)
文 / 草の実堂編集部

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草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

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