毎年7月4日、アメリカ全土は熱狂に包まれる。それは特別な記念日。
アメリカでは小学生でも知っている歴史の話。祖国がどのように独立を果たしたのか、7月4日に込められた思いとはなにか。
日本では独立記念日を知っていても、それがアメリカ人にとってどれほど意味の大きなものかは話題にならない。
その意味に迫ってみた。
イギリス植民地時代
北アメリカは16世紀にヨーロッパ諸国からの入植により植民地化が始まった。フランスの北米植民地と比べると、イギリスの植民地のほうが人口が多く、1732年までに東海岸に13植民地が形成された。
イギリス人入植者は自営農民として生活をする家族が多く、南部植民地ではプランテーションとよばれる大規模農業経営が広まった。やがて労働者不足を解決するために、アフリカ大陸から黒人を奴隷として輸入するようになる。
これが現在でも南部に残る「アフリカ系アメリカ人(黒人)差別の起源である。
※13植民地
当初はイギリス国王の特許状による自主的な運営がおこなわれ、政治的自由が認められていたが、フレンチ・インディアン戦争により転機が訪れる。この戦争はイギリスからの視点で見れば「フランス・インディアンの同盟軍との戦い」であった。これに勝利したイギリスだったが、イギリスは戦費支出の増大による財政難から13植民地に対する課税を強化した。
これに植民地側も反発。いくつかの事件を経て、1775年両者はついに武力衝突し、アメリカ独立戦争に突入した。
アメリカ独立戦争
1775年4月19日、イギリス本国と13植民地との戦争が起きる。
このときアメリカは東部の植民地だけで形成されており、戦力的にもイギリス軍との差は大きかった。そもそも、開戦当初にはアメリカには職業的な軍隊もなく、各植民地は民兵隊が存在するだけである。以前はイギリス軍が各植民地の民兵隊を補助的に用いていた。開戦時、一部を除いてこの民兵隊のほぼ全てがアメリカ軍に加わった。
※イギリス軍
それでも、装備は貧弱であり軍人として正規の訓練も受けていないアメリカ軍は大規模な作戦を行うレベルにはない。しかし、大西洋を渡ってこなければいけないイギリス軍は輸送できる人員、物資に限界がある。それに対して、アメリカ軍は数や物資で勝っていた。それにより一定の戦果を上げていたのだ。
1775年6月、各植民地の代表による「大陸会議」により、ジョージ・ワシントンが総司令官に任命された。
※ジョージ・ワシントン George Washington (1732–99)の肖像
その後は、アメリカ海軍が発足、大陸海兵隊(後の海兵隊)などが結成され、軍隊としての体裁を整えつつあった。しかし、装備面ではまだイギリス軍に遅れていたようである。
アメリカ独立宣言
そのような中、アメリカの住民の間でも植民地代表者の間でも、イギリスからの独立論が過熱した。
1776年6月、バージニア植民地代表のリチャード・ヘンリー・リーは大陸会議に『独立の決議』を提案し、独立宣言起草委員会が発足した。宣言案の起草は合衆国3代大統領となるトーマス・ジェファーソンである。
それまで、本国に対する植民地の抵抗だった戦いは、独立戦争へとフェーズを進めたのだ。
※独立宣言への署名
後日、わずかの修正により、1776年7月4日『アメリカ独立宣言』は採択された。
その内容は基本的人権と革命権に関する前文、国王の暴政と本国(=イギリス)議会、本国人への苦情などによる本文、そして、独立を宣言する3部構成である。
そのなかにはエイブラハム・リンカーンが「ゲティスバーグ演説(1863年)」で語った「人民の人民による人民のための政治」のような日本でも印象的なフレーズはない。だが、人民の権利という理念だけは独立当初から存在していたのである。
独立宣言は抜粋だけでも長くなるので、さらに要点だけをまとめてみた。
『人間はすべて平等である。神によって生存、自由、幸福を求める権利を与えられている。これらの権利を確保するために、人は政府(国)を作る。その主権は国民にあり、もし政府がその権利を奪おうとするのならば、それを改め、または廃止して、新たな政府を設置する。新しい政府を設けることは人民の権利である』
※独立宣言 1823年の複写
つまり、自分たちを苦しめる政府(イギリス本国)があるのなら、新しく良識ある政府(アメリカ国)を作らなくてはいけない。自分たちにはその権利がある、ということだ。人間はすべて平等であるというならば、黒人奴隷も解放されるべきだが、それを行うと困る有力者がいたこと、黒人を白人と同等に見ていないことなどから解放宣言は行われなかった。
なお、独立宣言書の草稿は現在、議会図書館に収蔵されており、複写は国立公文書館にある。
ニコラス・ケイジ主演の映画「ナショナル・トレジャー(2004年)」においてもこの独立宣言書はキーアイテムとなっているので、興味のある人には観てもらいたい。
フィラデルフィア
アメリカ合衆国北東部、ペンシルバニア州フィラデルフィア。
アメリカによくある地方都市だが、この街は特別な意味を持つ。ここでアメリカ独立宣言に署名されたのだ。
※独立記念館
1749年にペンシルバニア州の議事堂として建設されたが、独立宣言によりそれ以来独立記念館と呼ばれるようになった。
さらに、1787年にはアメリカ合衆国憲法が制定された場所でもある。1790年~1800年には、この街がアメリカの首都になったこともあった。
フィラデルフィアもアメリカ人にとっては特別な街なのだ。
独立記念日
独立宣言後も独立戦争は続いた。いや、より激化し世界規模で影響が広がったのである。その後は知ってのとおりアメリカが勝利し、独立を勝ち取ったが詳しくはまたの機会にしよう。
そして、冒頭で述べた「アメリカ人にとっての独立記念日」の意味についてである。
※フィラデルフィアの祝賀
それは「アメリカ人として先人たちの偉業を讃える」と共に「人間の権利とは国家とともにある」ということを再確認する日である。アメリカという自由な国に生きることの喜び、祖国がここにあることへの喜び。
はるか昔から独立国家であった日本人の感覚からすれば、理解できるようなできないような、そんな感じだろう。
しかし、アメリカ人にとっての独立記念日とは「アメリカ合衆国民としての誇り」を感じる特別な日なのである。
最後に
アメリカ人の愛国心の強さは良く知られている。
さらに7月4日を題材にした映画も「インディペンデンス・デイ」や「7月4日に生まれて」など多くある。
それほど大切な日でありながら、調べてみるとまだまだ知らなかったことが色々と出てきて嬉しい悲鳴を上げている状態なのだ。
機会があれば、この時代のことをさらに調べてみたい。
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