中世のヨーロッパでひとりの騎士をモチーフにした伝説が広まった。
「聖騎士」「聖遺物」「聖剣」
それらの言葉によって飾られた伝説は、ロマンチックな物語、中世ファンタジーそのもの。まるでファンタジーRPGの世界である。
ローランの伝説とは、どのようなものなのだろうか。
騎士ローラン
※ローランの歌
11世紀に成立したフランス最古の叙事詩「ローランの歌」で有名な騎士ローランは、実在した人物であった。
当時の資料によると、君主のシャルルマーニュが778年にイスパニヤ(スペイン)に遠征した際の帰り道、ピレネーでバスク人の奇襲を受け、最後尾にいた兵はほとんど殺されたが、その中にブルターニュ辺境伯のローランがいたと記述されている。
ピレネーとはスペインとフランスを隔てるピレネー山脈のことである。このように、資料においてはローランの名前と肩書きのみが記載され、詳しいことは判らない。
しかし、「ローランの歌」が書かれたのは最古の写本で11世紀半ばのことであり、イスパニヤ遠征の約200年後の物語であるため、どれほどの信憑性がある資料となるのかはわからない。
なお、ブルターニュは、その名が示す通り、ケルト系のブルトン人が住んでいるところであり、現在でもその要素が濃い。またローランのデュランダルは「聖剣伝説」という点で、同じくケルト系に由来するアーサー王のエクスカリバーと酷似している。
カール大帝
※カール大帝
ローラン自身も有名な伝説としてその名を残しているが、彼の名を実際に広めたのは、中世・ルネサンス期の文学作品「シャルルマーニュ伝説」によるところが大きい。シャルルマーニュ伝説とは、シャルルマーニュ、つまりシャルル大王とその部下の騎士たちを題材にした英雄物語である。
「シャルル」はフランス語だが、ドイツ語で言うと「カール大帝」となる。
カール大帝(カールたいてい、742年4月2日 – 814年1月28日)は、フランク王国の国王(在位:768年 – 814年)。
教皇から西ローマ帝国の王冠を授けられたことにより、西ローマ皇帝(在位:800年 – 814年)でもあった。カール大帝の死後843年にフランク王国は分裂し、のちに神聖ローマ帝国・フランス王国・ベネルクス・アルプスからイタリアの国々が誕生する。
そのため、彼とローランの伝説西ヨーロッパ各地に広まったのである。
シャルルマーニュ伝説
※シャルルマーニュに忠誠を誓うローラン(武勲詩の写本より)
シャルルマーニュ伝説は、ひとつの物語ではなく、時代や国の異なるいくつかの物語の総称であり、実質的な主人公はローランとなる。
古い時代のものは、11-13世紀に成立した、作者未詳の叙事詩群「シャンソン・ド・ジェスト」(フランス語の武勲詩)。「ロランの歌」も、こちらに含まれる。新しい時代のものは、15-16世紀に成立した、ボイアルド、プルチ、アリオストの3人の詩人による、ルネサンス時代の文学である。
さらにややこしいのは、シャルルマーニュ伝説そのものがローランの歌と呼ばれたり、後世にはシャルルマーニュの騎士たちはギリシア人、中国人、果ては魔物と戦ったりと伝説どころか、完全な創作となっている。
これらの散在した物語をまとめ、1863年「シャルルマーニュ伝説」として系統立てたのがアメリカの作家、トマス・ブルフィンチだった。
「ローランの歌」あらすじ
物語は、シャルルマーニュがイスパニアに侵攻したことに始まる。作中ではローランはシャルルマーニュの甥となっており、シャルルマーニュの聖騎士(パラディン)において、知的なオリヴィエに対し、ローランは勇敢であると対比される。
ローランは追い詰めた敵軍への和睦の使者として、養父のガヌロンを推薦するが、元より不仲だったこともあって危険な役目に据えられたガヌロンはローランを激しく憎み、国を裏切って敵軍と結託しローランを罠に掛けようとする。偽りの和睦を勝ち得た帰り道、ガヌロンの陰謀によりローランはオリヴィエたちと殿軍(しんがり)を勤め、襲い掛かる40万のイスラム軍に対して2万の手勢で戦うこととなってしまった。
それでもローランたちは力の限り戦い、スペインの十二勇士を撃退し、ローランは敵将の右手首を切り落とす活躍をするものの、フランスが誇る十二勇将は一人一人と戦死していった。
やがて、ローランも力尽き斃れた。その直前、聖剣デュランダルが敵の手に渡るのを嫌がり、岩にぶつけて破壊しようとしたが、結局デュランダルを破壊することはできなかったのである。
ローランが力尽きたあともシャルルマーニュ軍は戦い続け、両軍合わせて80万の大軍勢が激突した。先ほどは敵が40万、シャルルマーニュ軍が2万と書いたが、伝わる話の違いによってなぜか80万になってしまったようだ。最後はシャルルマーニュと敵の王との一騎打ちとなるのだが、仮に史実であれば、なんともまとめようがない話である。
ローランのさらなる活躍
※オルランドは錨を武器にオルクと戦う。狂えるオルランドより
ローランの伝説はこれだけに留まらない。
後世のイタリアでは、「ローラン」でなく「オルランド」とされ、、ルイジ・プルチの『モルガンテ』、ボイアルドの未完に終わった『恋するオルランド』などがある。その中でもっとも知られている作品はアリオストの『狂えるオルランド』である。
『狂えるオルランド』のオルランドは、怪力で全身は全身が金剛石(ダイヤモンド)のような硬さを持ち、刃を受け付けない。
唯一傷を負う可能性があるのは足の裏のみという設定となっている。作中では、海魔・オルクを純粋な力技でねじ伏せて退治するなど常軌を逸するほどの戦闘能力を発揮している。そのため基本的に、精神に作用する魔法でも使わない限り負けることはない。
さらに、オルランドの所有する聖剣ドゥリンダナ(デュランダル)を狙う、セリカン(絹の国、古代中国をモデルとした架空の国)の国王グラダッソ、アフリカ王アグラマンテと三つ巴の戦いで勝利するなど活躍した。
聖剣「デュランダル」
実在したローランは、ブルターニュ辺境伯とされているが、ブルターニュとは、その名が示す通り、ケルト系のブルトン人が住んでいるところであり、現在でもその要素が濃い。またローランのデュランダルは「聖剣伝説」という点で、同じくケルト系に由来するアーサー王のエクスカリバーと酷似している。さらにローランの時代はキリスト教の地位こそ低かったものの、アーサー王も聖杯を求めるというキリスト教にまつわる伝説だったという共通点もある。
しかし、デュランダルの特徴は、その黄金の柄の中に4つの聖遺物が収められていることだ。
聖ピエール(聖ペテロ)の歯
聖バジル(バシリウス)の血
パリ市の守護聖人である聖ドニ(ディオニュシウス)の毛髪
聖母マリアの衣服の一部
がそれである。
由来には幾つか説があり、ローランの歌では天使からシャルルマーニュに渡すように授けられ、その後シャルルマーニュからローランに授けられた剣として登場している。イタリア語読みでドゥリンダナ (Durindana) とも読まれ、デュランダーナとも呼ばれる。
不滅の刃の意であり、作中では「切れ味の鋭さデュランダルに如くもの無し」とローランが誇るほどの切れ味を見せる。
ローランの死後、デュランダルはシャルルマーニュの元に帰り、その後の戦でも使われ続けたという。
最後に
ドイツにおいては、ローランは徐々に都市が地方貴族から独立していることの象徴となっていった。中世の終わり頃、多くの都市は広場に挑戦的なローランの像を展示していく。
ウェデルのローラン像は市場の正義の象徴として1450年に建設され、ブレーメンの町役場のローラン像は役場とともにユネスコから世界遺産として登録されている。
※ブレーメンのローラン像
辺境の騎士が、最強の騎士伝説になったことが独立の象徴となったのだろう。
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