西ローマ帝国が滅亡した後、西洋占星術は消滅したも同然の状態となってしまった。
しかし、幸運なことに、ヘレニズム時代に体系化された占星術は、そのままアラブ・ペルシアといったイスラム世界の占星術師らに受け継がれており、占星術の火は消えていなかったのだ。
イスラム世界で生き残った占星術
イスラム世界での研究拠点となったのは、ダマスカスとバグダットであった。そこで彼らはヨーロッパで忘れ去られていた占星術を始め、天文学、数学、医学などをアラビア語に翻訳していた。
この間、アラブ人たちは天文学の知識も多いに増大させている。今も残る様々な星の名前を最初に命名したのもアラブ人である。占星術の分野においては、実在してはいない擬似的な天体を数多く作成した。
これは「アラビック・パーツ」と呼ばれ、通常のホロスコープにさらなる細密な計算を加えて分析することができる。
それにより、あらゆる相手との関係を緻密に占う事ができる究極の宿縁占星術となった。
ルネサンス期での復活
こうしてアラブ人たちは知識を保存し、さらに自分たちの占星術システムと融合した世界を確立していった。
また、ヘレニズム占星術はサンスクリット語に翻訳され、インドにも渡っている。こうしてヨーロッパで忘れられていた占星術は、アラブやインドで生き残っていた。
ヨーロッパで再び占星術が着目され始めるのは、「12世紀ルネサンス」と呼ばれる時期になってからである。11世紀後半から13世紀半ばにかけて、アラビア語やギリシア語で書かれた占星術の著作が数多くラテン語に翻訳された。それにより、天文学、医学、数学、哲学といった他の学問と共に脚光を浴びたのだ。
1130年から1150年頃にかけて、クレモナのジェラルドによりプトレマイオスの『アルマゲスト』や、プラトーにより同じくプトレマイオスの『テトラビブロス』が翻訳された。さらにこの時期、アラブ最大の占星術師といわれたアブ―・マーシャルの著作も、数多くラテン語に翻訳されている。
ふたつの系統
【※トマス・アクィナス】
また12世紀にはイタリアのボローニャやフランスのパリに大学の礎となる教育機関が誕生し、教育科目の中には占星術が組み込まれていた。
こうして古代ギリシアの学問を復興しようという運動が続いた16世紀までは、占星術は揺らぐことなく繁栄を続けたのである。
もちろん、キリスト教からの反対がなかったわけではない。しかし、偉大なスコラ学者のトマス・アクィナスなどは、キリスト教神学と和解可能な範囲の占星術を認めている。さらに彼は占星術というものを、天の星が地上の物事へ物理的な影響を与えるという意味での「自然占星術」と、個人の運勢を判断する意味での「判断占星術」とに分けて考えたのである。その上で前者を肯定し、後者を否定している。
このような考え方はアクィナスに限ったものではなかった。当時、占星術の理論やルールなどの矛盾を指摘し、それを厳しく攻撃していた学者でも「自然占星術」的な考えを完全に否定することはなかった。例えば、ルネサンス期の哲学者ジョヴァンニ・ピーコ・デッラ・ミランドラによって書かれた占星術批判の書物でも、自然占星術的なものにはほとんど触れられていない。
占星術と地動説
【※天文学者でありカトリック司祭だったニコラウス・コペルニクス】
14世紀にイタリアで始まったルネサンスは、やがて西欧各国へと広がっていった。
これは様々な文化を復興させようとする運動で、12世紀頃に起こった運動よりもはるかに大規模であった。ルネサンスが占星術の世界に与えた最も重要な出来事は、コペルニクスが1543年に著した『天球の回転について』である。
これはそれまで占星術を支えていた、アリストテレスやプトレマイオスが説いてきた地球を中心とした狭い同心円の宇宙像を根底から覆した。これにより、宇宙はもっと大きな広がりを持っていると認識されたのだ。同時に、それまでは地球の近くにあると思われていた惑星が実は遥か彼方の存在と知ったとき、それが人の運命にどれほどの影響を与えるのか、多くの人が疑問を抱いた。
イギリスで生き残る占星術
そのため、占星術はこの時代には通用しない過去の遺物と捉えられてしまった。
特に「判断占星術」は、学問としての対象ではなくなったのである。また「自然占星術」に関しては、形を変えながら他の学問に吸収されていった。
しかし、イギリスは、占星術禁止令を度々出したローマ・カトリックにイギリス国教会が対抗していたことや、御用占星術師を使った大衆宣撫を狙っていたため、占星術先進国に躍り出た。この頃、御用占星術師として名を馳せていたのがウィリアム・リリーである。
彼は政治色の濃い占星術予言で、当時の人々や社会への影響力を発揮した。彼の著した『キリスト教占星術』は、重要な古典として読み継がれている。
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