反ユダヤ主義の著書 19世紀の基礎
ナチス・ドイツの思想・政策に大きな影響を及ぼした「19世紀の基礎」という著作があります。
この著作は当時のヨーロッパにおける通俗的な人種論、反ユダヤ思想に基づいて書かれたものでした。
この「19世紀の基礎」を著した人物はヒューストン・スチュアート・チェンバレンという生粋のイギリス人でしたが、後にドイツに移住・帰化した人物でした。
チェンバレンの「19世紀の基礎」は1900年代初頭のドイツで広く受け入れられ、後のナチス・ドイツによるユダヤ人迫害に繋がる思想として、アドルフ・ヒトラーも熱心な愛読者であったと伝えられています。
生粋のイギリス人
チェンバレンの「19世紀の基礎」が出版されたのは1899年でした。チェンバレンは1855年にイギリス海軍少将の子として生を受けた生粋のイギリス人でしたが、1882年にドイツに移住すると音楽家・ワーグナーを礼賛する伝記を著し一躍著名な人物となりました。
その後、人種に纏わる歴史感を披露した「19世紀の基礎」を世に出し、この種の著作としてはベストセラーといえる25万部・30版を重ねるものとなりました。
但し、主に注目を集めたのはドイツにおいてであり、時のドイツ皇帝ヴィルヘルム2世からは勲章すらも授与されました。しかしチェンバレンの祖国イギリスにおいてはほとんど耳目を集めませんでした。
自動書記で記述
奇怪なことにチェンバレン自身が、この「19世紀の基礎」は自動書記で書かれたものと告白していました。当時のチェンバレンは神経性の病に罹患しており、その発作の最中に無意識のうちに書かれたものだと述べていました。
その真意の程は定かではありませんが「19世紀の基礎」の中では、「人類の文明のすべてはアーリア人種が想像したもの」であり、「ゲルマン民族がアーリア人種によって世界を統べるべき」というテーマで書かれていました。
そして「人も犬・馬と同様に血筋で判断されるべき」という血統優先の考え方と、反ユダヤ主義とを結びつけたものとなっていました。
ワーグナーとの関係
チェンバレンは、ワーグナーの伝記で一躍著名な文筆家となっていましたが、それだけではありませんでした。ワーグナー自身が1850年に「音楽におけるユダヤ主義」と言う著作を発表した熱心な反ユダヤ主義者であり、アーリア人の優越性を唱えてた人物でした。
こうした背景から、ワーグナーの妻であったコジマとチェンバレンとは親交を深め、コジマの娘エヴァとチェンバレンとは結婚し、ワーグナー家の一員となったのでした。
チェンバレンはこの結婚でワーグナーを義理の父親とする事になり、一層その反ユダヤ・アーリア人崇拝の思想を受け継ぐ存在してクローズアップさらたのでした。
ローゼンベルクへの影響
チェンバレンの「19世紀の基礎」は、ナチス・ドイツの理論的指導者の一人として悪名高い政治家のアルフレート・ローゼンベルクにも大きな影響を与えました。
ローゼンベルの著書で、ナチス・ドイツのバイブルともなった「20世紀の神話」ではチェンバレンをゲルマン民族の位置づけを明確にした始まりの人物として好意的に紹介していました。
第三帝国の預言者
イギリス人でありながらチェンバレンがドイツで広く受け入れられた背景には、その内容は言うまでなくドイツ語そのものに堪能だったことから、著作がドイツ語で執筆されていた点も大きいと考えられます。チェンバレンはドイツで大きな評価をもって迎えられたことから、第一次世界大戦時には自らの祖国イギリスを批判する文章を発表し、1916年にはドイツへと帰化しました。
1927年に死去したチェンバレンはナチス・ドイツが実際に政権を掌握する場面は見ていませんが、ヒトラーは、チェンバレンに対し「第三帝国の預言者」という賛辞を与えました。
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