西洋史

エカテリーナ二世 「王冠を被った娼婦と呼ばれたロシアの有能な女帝」

エカテリーナ二世

(エカテリーナ2世)

エカテリーナ2世 (エカチェリーナとも : 1729~1796)とは、ロシア帝国の黄金時代を築き上げた唯一無二の女帝である。

当時の愛人と共謀し、自らの夫をクーデターで殺害、さらに生涯に約10人もの愛人を持っていたという。
その情熱的な私生活から、“王冠を被った娼婦”とまで言われていた。

しかし、本当に彼女は愛欲に溺れた娼婦のような女性だったのだろうか?
ここでは、エカテリーナ二世の成し遂げた改革や、彼女の知られざる孤独や苦悩について触れていきたいと思う。

ドイツの少女・ゾフィーの結婚

エカテリーナ二世

(ドイツにあるエカテリーナ二世の銅像)

ロシア帝国に君臨したエカテリーナ2世だったが、実はロシア人ではなくドイツ人であった。

幼名をゾフィーと言い、北ドイツ(現在はポーランド領)の神聖ローマ帝国領邦君主クリスティアン・アウグストの娘として生まれた。

母のヨハンナ・エリーザベトはデンマーク王家の血筋であり、北ドイツ領の少邦君主の家系出身であった。

このヨハンナがかなりの教育熱心な母であったようで、ゾフィーはわずか2歳の頃からフランス人の家庭教師に育てられ、フランス語が得意で、合理的な精神を持つ少女へと成長していった。
ゾフィーは美貌の持ち主ではなかったが、優れた頭脳を活かし、教養や知性を磨いて魅力的な女性になるために努力を重ねた。

そうしてゾフィーは、家柄こそ低いものの、母・ヨハンナの長兄が当時のロシア女帝エリザヴェータ・ペトロヴナの元婚約者であったことから(その長兄は早世した)、14歳で皇太子のお妃候補となる。
母の縁故もあるだろうが、ゾフィーはたゆまぬ努力を続けたのである。

自らつかみ取った女帝の王冠(クーデター)

エカテリーナ二世

(ピョートル3世)

当時のロシア帝国女帝エリザヴェータ・ペトロヴナは独身であったため、姉の息子を養子とした。

それが、ゾフィーの夫となるピョートル3世(1728~1762)である。

ゾフィーはロシア帝国に嫁ぐので、それまでのドイツの名前を捨てて、エカテリーナ二世となることを受け入れた。

しかしドイツで育ったピョートルはロシアに馴染もうという努力をまったくせずに、妃であるゾフィーともドイツ語で会話していた。
ロシアの文化を学び、ロシアの皇太子妃の名に恥じないように努力していたゾフィーにとって、この夫とは考え方が相容れず、二人の溝はどんどん深まっていったのだ。

女帝エリザベータが死去するとピョートル3世が王位についたが、独断で戦争を講和させ無条件で降伏してしまったり(降伏した理由は敵であるフリードリヒ大王への忖度だったと言われている)、ロシア正教に自身の信仰しているルター派の宗教儀礼を押し付けたり、ついには妻であるエカテリーナ二世を修道院送りにし、愛人と結婚しようとした。

エカテリーナ2世の堪忍袋の緒はついに切れ、彼女は貴族らとともに反旗を翻すことを決心したのである。
ピョートルは泣く泣く退位し、その一週間後には獄死している。
癇癪を起して看守ともみ合いになり死んだとか、持病の痔が悪化して死んだなどと言われているが、真意のほどはわかっていない。

こうしてエカテリーナ2世は、ロシア人の血を一滴もひいていないにも関わらず、女帝として君臨することになるのである。

余談だが、エカテリーナ2世がクーデターを起こした際、なんと出産直後だったようだ。自身も馬にまたがり軍部を指揮したとか。
まさに女傑と言っていいだろう。

エルミタージュ

エカテリーナ二世

(ロシア・サンクトペテルブルクにあるエルミタージュ美術館)

エカテリーナ二世の出身に不満を漏らす層は一定数いたが、彼女の君主としての手腕はかなり優れたものであった。

啓蒙専制君主としての改革を進め、各身分の代表を招集して委員会を設立、国家機構の整備に努めた。
また、アメリカの独立戦争の際にはイギリスを圧迫してアメリカを助け、オスマン帝国との戦争によってロシア帝国の領土を大きく広げた。
教育や文化の整備にも力を注ぎ、女性側近であるダーシュコワ夫人をアカデミーの長官に任命し、ロシア語辞典の編纂を行った。

中でも彼女の文化的功績として知られているのが、離宮エルミタージュ宮殿の建設である。

エルミタージュ美術館公式youtube

そもそもエカテリーナ二世のヨーロッパ美術品の収集は、文化的に後進国であったロシア帝国の威信を国内外に示すための手段であった。
建設には莫大な資金を注ぎこみ、収集品の数は300万点にも及んだ。

1917年からは一般公開され、現在はエルミタージュ美術館として、ロシアの代表的な観光地のひとつになっている。

最後に

エカテリーナ2世は67歳で没するまで、ロシア帝国の近代化を進め、帝国にはなくてはならない存在になっていた。

彼女が寵愛した愛人は、公的な存在だけで12人も居たというが、その中の誰一人として彼女の夫になった者はいなかった。
これはエカテリーナ2世が、「愛人を配偶者にすれば、自分の地位や権力を欲しがるのではないか」と危惧したからだと言われている。

たくさんの愛人を持ったことで、『王冠を被った娼婦』などと言われた彼女だが、エカテリーナ2世の人並外れた努力のことを思うと、恋愛という息抜きくらい許されてもいいように思う。

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