西洋史

キャサリン・パー ~義理の娘に夫を寝取られたイングランド王妃

キャサリン・パー

(キャサリン・パーの肖像画)

キャサリン・パー (1512~1548)とは、イングランド王のヘンリー8世が娶った6人の王妃の最後の1人である。

16歳と21歳の時に2度の結婚をしたが、どちらの結婚も夫に早く死に別れ、若くして未亡人となっていた。

過去に2人の妻を処刑し、2人の妻と離婚しているヘンリー8世に求婚されるも、その恐ろしい暴君ぶりに承諾するか迷っていたそうだが、31歳の時にヘンリー8世と再婚した。

今回はそんなキャサリン・パーについて詳しく調べてみようと思う。

継母と3人の子どもたち

キャサリン・パーはヘンリー8世との間に子どもは授からなかったが、ヘンリー8世の3人の子どもたちにとって大きな影響を与えた継母であった。

キャサリンはヘンリー8世と結婚するとすぐに、当時は庶子の身分に落とされていたメアリー(ヘンリー8世の最初の妻、キャサリン・オブ・アラゴンとの娘)とエリザベス(2番目の妻、アン・ブーリンとの娘)を宮廷に呼び戻し、王位継承権を回復できるようにヘンリー8世へ嘆願したと言われている。

キャサリン・パー

(のちにイングランド女王となり、“血まみれメアリー”の異名を持つほどに過激な宗教戦争を行ったメアリー1世)

メアリーはのちにイングランド女王としてプロテスタント信者を排除していく恐怖政治を行い、“血まみれメアリー”として恐れられた。

(のちにイングランドとアイルランドの女王として、イギリスの黄金時代を築き上げたエリザベス1世)

また、エリザベスはのちのイングランド・アイルランドの女王、エリザベス1世として君臨、イギリスの黄金時代を築き上げた人物で、どちらもイギリスの歴史に不可欠な女性である。

しかし、この2人が王位継承権を回復されていなければ、大きく歴史が変わっていたに違いない。

そういった意味で、キャサリンは間違いなく歴史の立役者であったと言える。

この嘆願がきっかけで、キャサリンはエリザベスと弟のエドワード(3番目の妻ジェーン・シーモアとの息子)の教育係を引き受けることになる。

キャサリン・パー

(9歳で即位したが、病弱であったために15歳で早世したエドワード6世)

彼女にはかなりの教養があり、特に神学について明るかったというが、それだけではなく芸術全般にも深い造詣があったそうだ。

最も年長のメアリーは、キャサリンと3歳しか年が変わらなかったというが、彼女のことを姉のように慕っていたという。

幼少のエリザベスもキャサリンのことを慕い、彼女のことを「大好きなお母さま」と呼んだ手紙も残っているようだ。

このエリザベスが成長したとき、キャサリンは彼女から大きな裏切りを受けるのだが、そのことについては後ほど触れることにしよう。

政治的手腕を発揮したファーストレディ

キャサリン・パー

(ヘンリー8世は男子に後を継がせたいがために、6人もの女性を妃にした)

キャサリンと結婚した頃、ヘンリー8世はすでに中高年期に差し掛かっており、キャサリンとは21歳もの歳の差があったという。

晩年のヘンリー8世は体調が悪く、肥満や足の腫瘍、慢性性の頭痛などによる持病で非常に気難しくなっていた。

キャサリンは夫の看護を従者にさせるのではなく、自ら献身的に看護を行い、ヘンリー8世の信頼を勝ち得たのである。

先ほども述べたが彼女にはかなりの教養があり、イングランドでも有数の才女だと言われていた。

ヘンリー8世がフランスへ遠征をしていた3か月間、キャサリンは国王代理として摂政に任命された。

またヘンリー8世は、自分の死後に息子のエドワードが成人するまでの間、キャサリンに摂政を務めるようにとも命じている。

キャサリンは、愛情面からも政治面からも夫を助けることのできるスーパー・ファーストレディだったのである。

エリザベスの裏切りと不幸な晩年

(キャサリン・パーが再婚したトマス・シーモア)

ヘンリー8世は自分の死後も、キャサリンと王妃として処遇するように遺言を遺しており、キャサリンの身の上は死ぬまで保証されたことになるが、彼女は王妃の椅子にとどまることはなかった。

ヘンリーの死後、初恋の相手であったトマス・シーモアと再婚したのである。

王宮を出た彼女はチェルシーにある自分の館へと移り住み、初恋の相手と幸せな結婚生活を送った。

しかし、キャサリンは自らの幸せだけを考えるのではなく、まだ少女であり王宮で後ろ盾のなかったエリザベスと、ヘンリー8世の妹の孫であるジェーン・グレイを引き取り、自らのもとで教育を続けていた。

だが、やがてキャサリンが妊娠すると、夫のトマス・シーモアはあろうことかエリザベスと肉体関係を持つようになる。

小さな館の中ではその噂はすぐに広まった。キャサリンは夫と義理の娘の両方に裏切られてしまったのだ。

キャサリンは悲しみに暮れながら女児を出産するが、産後の肥立ちが悪く、出産から6日後に息を引き取ったのである。

エリザベスとの恋愛に夢中になっていたトマスは、キャサリンの葬儀にも出席しなかったそうだ。

罰が下ったのか、トマスは数年後に大逆罪で処刑されている。

おわりに

キャサリン・パーはヘンリー8世の6人の妃の中で唯一、ヘンリー8世がこの世を去ってからも生きていた女性である。

血なまぐさい陰謀が渦巻く宮廷の中で、自分の教養を生かしながら血のつながらない子どもたちの面倒まで見るという愛情深い女性だったと言えよう。

目先の権力に目をくらませるのではなく、夫の死後は潔く表舞台から去り、「本当の自分でいられる場所」で生活をしようとしたのではないだろうか。

最後は愛する人たちからの裏切りに遭い、35歳という短い生涯を終えてしまうが、その慈悲深い生き方と優れた能力は6人の妃たちの中でも群を抜いていたと言えるだろう。

 

 

アオノハナ

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