魔女狩りのバイブル魔女に与える鉄槌
世の中には多くの本が存在し、社会に大きな変革を起こしてきた。
新約聖書はキリストの教えに沿い隣人愛の精神を説いて西洋文明の礎を築いた。カールマルクスの資本論は労働者階級による闘争による共産主義を唱え、ロシア帝国を打倒しソビエト連邦を作り上げる原動力になった。
社会に変革をもたらした本の中でも一際異彩を放っている本が「魔女に与える鉄鎚」である。
16世紀~19世紀にかけて多くの人が魔女狩りによって命を落としたが、魔女に与える鉄槌はそのバイブルと呼べるものである。
この本の誕生にはある男の偏った思想と憎悪があり、瞬く間に世界に広がることになる。
魔女に与える鉄槌とは、いかなる経緯によって書かれた本なのだろうか?
魔女に与える鉄槌に関係のある人物
『ハインリッヒ・クラーマー』
魔女に与える鉄槌の著者、ドミニコ会士で異端審問官。
彼の行き過ぎた思想と憎悪、執念は魔女の行いを超える悪魔的な書物を生み出し、多くの人が犠牲になる。
『ヤーコプ・シュプレンガー』
魔女に与える鉄槌の共同制作者とされた人物であるが、実際は学識者として名の通っていたシュプレンガーの名を本の権威付けのために利用されたと言われている。ドミニコ会士でもある。
『教皇インノケンティウス8世』
クラ―マーの思想にお墨付きを与えたと言われているが、シュプレンガー同様に権威を利用されたにすぎない人物。
『ゲオルク2世・ゴルザー』
ブレッサノーネの司教。クラーマーの強引な異端審問に異を唱え、裁判によってクラ―マーを失脚させることに成功した人物。
しかしこの裁判がきっかけで魔女狩りのバイブルを生み出す結果になる。
魔女狩りとは
魔女とは、悪魔と契約してキリスト教の教えに背いた背教者の事で、単に女性だけを指す言葉ではなく、男性にも使用された言葉である。
15世紀中ごろから大規模な魔女狩りが行われ始めた。
魔女と認定された人は異端審問官によって魔女裁判が行われ、取り調べの際には拷問によって残酷な方法が用いられた。自白したものは処刑され、自白を拒み続けたとしても拷問による死が待っていた。
魔女狩りは16世紀後半から17世紀にかけて最盛期を迎え「大迫害時代」と呼ばれた。
4万~6万人の犠牲者が出たと言われている。
ハインリヒ・クラーマーという人物
「ハインリヒ・クラ―マー」は、1430年頃フランスの北東部に生まれ「ドミニコ修道士会」に入会している。
ドミニコ修道士会とは「聖ドミニコ」の教えに共感した者たちによって結成された修道士会で、清貧をモットーにしていた。
神学や学者も多く輩出し、異端審問官に選ばれることが多かった。
1474年、クラーマーはドミニコ会より異端審問官に任命された。
彼は魔女の撲滅が一番の関心事であり、特に女性に対して異常なまでの清貧を求め、好色な女性に対して容赦がなかった。
1484年、クラーマーは教皇勅書(教皇自らの指令や命令)を教皇インノケンティウス8世から引き出すことに成功し、悪魔術に手を染める男女を糾問する権限を得た。
1485年、ティロル伯領内のブレッサノーネ司教領において魔女狩りを開始した。
彼の取った魔女狩りの方法は
・拷問
・弁護の禁止
・尋問記録の改ざん
など当時の基準で考えても厳しすぎる非合法な方法であり、市民や貴族、同じキリスト教聖職者からも強い反発があった。
クラーマーの強引な魔女裁判に異を唱えた司教・ゲオルク2世・ゴルザーは、彼の不当な裁判による被害者に弁護人を付けクラ―マーに対抗した。結果クラ―マーの審問に問題があった事が認められ被害者の無実を証明するに至り、クラ―マーはこの土地からの立ち退きを言い渡されている。
この時、クラ―マーは最後まで反抗した。立ち退きを申し渡されているにも関わらず居座り続ける等、自身の行いに対して正当性を主張し続けていたが、翌年になってようやく土地から離れることになった。
ゴルザーは友人にあてた手紙の中で
「クラーマーは耄碌して幼児化し、狂っているようにも見える」
と評している。
この裁判の敗北は彼にただならぬ憎悪の念を抱かせ、わずかな期間で魔女に関する様々な文献をまとめ上げ、魔女に対しての法的手続きをまとめた書物を執筆した。
この書物こそが魔女狩りのバイブルとなった「魔女に与える鉄槌」である。
魔女に与える鉄槌が広まった訳
魔女に与える鉄槌は、瞬く間にヨーロッパ世界に広がった。
魔女に与える鉄槌が15世紀において聖書に次ぐ発行部数を誇っていたことを考えると、いかに多くの人に読まれていたか伺える。
この本がなぜここまで広まったのかというと、クラーマーによる本の権威付けが上手かったからである。
クラーマーの権威付けの方法は
・教皇勅書(このうえない熱情をもって願わくば)を、正当性が認められたとして勝手に本の序文に利用。
・ドミニコ会士であり学者として著名であったヤーコプ・シュプレンガーは、クラーマーと共に異端審問を認められていた。彼の名声を利用して本の学術的正当性に箔をつけた。
・ケルンの大学に本を送り学術的な承認を得ようとしたが承認されなかった、しかしケルン大学公認と偽って本を販売した。
このように、教皇、学者、大学などを利用して、偽りで権威付けられた魔女に与える鉄槌は、1669年までに16版が印刷されている。
魔女に与える鉄槌が世に広まった理由には他に「活版印刷」の発明も大きく関係している。以前は手書きの写本により本は作られており、一冊を書き写すのに時間がかかった。
活版印刷を利用することで多く書物を印刷できるようになり、ヨーロッパ中に広がる要因になったのである。
宗教改革の原動力となった「ルター版聖書」も、活版印刷によって広まった本の一つである。
魔女に与える鉄槌の内容
この本は、新たにクラ―マーが生み出した思想や方法が載っているわけではなく、過去に執筆されていた異端に関する内容をまとめた百科事典の様になっている。
特にクラ―マーが諸悪の根源としていた「女性」に対しての処罰方法に力を入れて校正されていた。
『魔女に与える鉄槌』は全三部から構成されている。
第一部 – 魔女の定義とその能力に関する問題
第二部 – 魔女による悪行の類例。また、魔女と産婆の関係について
第三部 – 魔女狩り人や魔女裁判の心得と手引き
ここには本文に載っている内容の一部を載せる
女はその迷信、欲情、欺瞞、軽薄さにおいてはるかに男をしのいでおり、体力の無さを悪魔と結託することで補い、復讐を遂げる。妖術に頼り、執念深いみだらな欲情を満足させようとするのだ。
『ユリイカ』(1994年2月号、青土社)より引用
クラ―マーの行った過剰な異端審問と女性に対する偏った思想によって、多くの人が犠牲になった。
彼の行った事は、まさに悪魔に魂を売った魔女の行為と言える。
「権威」というのは時に間違った行いを正当化し、魔女狩りのような悲劇を生むのである。
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