西洋史

【稀代の魔術師】 実在していたカリオストロ伯爵 「華麗なる詐欺師の謎とフリーメイソン」

実在していたカリオストロ伯爵

画像:カリオストロ伯爵 public domain

カリオストロ」の名を、名作アニメ「ルパン三世」で耳にしたことがある方も多いでしょう。

「カリオストロ」は18世紀に実在した人物が名乗ったもので、彼は時に妖しげな術を駆使し、宮廷や上流階級の人々を魅了したとされています。

今回は、この謎めいた人物、カリオストロ伯爵の足跡を辿ってみましょう。

カリオストロが幽閉されていたサンタンジェロ城

実在していたカリオストロ伯爵

画像:サンタンジェロ城 public domain

サンタンジェロ城は、ローマを流れるテヴェレ川の右岸に位置する堅固な城塞で、その名は「聖天使」に由来します。
ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂と城壁で繋がっており、訪れる者はその歴史的な建造物の重々しさを感じることでしょう。

サンタンジェロ城は、そもそも華やかな城ではなく、ローマ帝国の五賢帝の一人であるハドリアヌスが自らとその後継者のための霊廟として、西暦135年に建造を開始したものです。ここにはカラカラ帝までの歴代の皇帝たちと、その家族が眠っています。

その後、この建物は軍事施設としても利用されました。

西暦590年のペストの流行時には、霊廟の上空に大天使ミカエルが現れて剣を一振りし、疫病が収束したという伝説があります。これにより、人々はこの城を「サンタンジェロ(聖天使)城」と呼ぶようになりました。

14世紀以降、城は要塞としてさらに強化され、避難所や牢獄としても利用されるようになりました。

画家のチェリーニや修道士ジョルダーノ・ブルーノなどが幽閉された歴史がありますが、特に名高いのがカリオストロ伯爵です。

カリオストロ伯爵の生い立ち

実在していたカリオストロ伯爵

画像:カリオストロ伯爵ことジュゼッペ・バールサモ public domain

カリオストロ伯爵こと、本名ジュゼッペ・バールサモは、1743年にシチリア島パレルモで生まれました。

彼は貴族の出自を自称していましたが、実際には貧しい靴屋の息子でした。
幼少期に父を亡くし、家族は離散し、母方の伯父の元に身を寄せますが、手がつけられない程の悪童だったそうです。

その後、神学校で医学的知識を学んでみたものの、1761年に18歳で殺人事件に関与して祖国を追われ、以後数年間を諸国で放浪します。

放浪中に彼は、魔術や錬金術の奥義を求めて地中海やオリエントを旅したとされていますが、その詳細は不明です。ヨーロッパに戻った後、彼は占星術や錬金術を駆使して「若返りの薬」を発明し、それを売って生計を立てるようになります。

1768年には、ローマでドンナ・ロレンツァという美女と結婚し、二人で占いや若返りの秘薬の販売、降霊術などを行いながら、西ヨーロッパの都市やロシア、東方諸国を旅して回りました。

金銭に困ると妻に身売りさせていたという噂もありますが、それでも「カリオストロ伯爵」としての名声は次第に高まり、熱心な信者が増えていきました。

その人気ぶりはかなりのもので、ロンドンではフリーメイソンに入会後、たちまち高位にまで上りつめます。

そして、現在のラトビア西部に位置したクールラント公国では公妃の姉の館に招かれ、降霊儀式や予言を行い、宮廷人たちの間で大旋風を巻き起こしたのです。

自らフリーメイソンを組織して、パリの貴族を篭絡

画像:カリオストロ邸宅跡のパネル 当時彼がパリ中の寵児であったことが記されている wiki c William Jexpire

こうして各地で評判を高めたカリオストロ伯爵は、1785年にフランスの社交界に進出し、パリのサン・クロード街に豪奢な邸宅を構えました。

そして彼はロンドンで見つけた古書を基に、自らが考案した「エジプト・フリーメイソン」なる一派を組織したのです。

法外な入会金にもかかわらず、パリの貴族やブルジョワたちは続々と「エジプト・フリーメイソン」に集まりました。

夫妻は煌びやかに飾った司祭服で彼らを迎え入れ、厳かに秘密の儀式を行ったのです。

イメージ

通常、フリーメイソンは男性のみが加入できる組織でしたが、ここでは女性も入会が認められていました。

ある時には、36人の貴婦人たちが全裸に薄い衣を羽織った姿で、同じく36人の覆面の男性たちと向かい合って食卓を囲むという、異様な光景も見られたといいます。

カリオストロとマリー・アントワネット

画像 : フランス王妃マリー・アントワネット public domain

カリオストロはパリで大成功を収めた後、ストラスブールに滞在中に「ヴェルサイユ宮殿の王妃マリー・アントワネットが男児を出産する」という予言を見事に的中させ、名声はさらに高まりました。そのため、彼の地位は揺るぎないものとなったかのように思われました。

しかし、彼の運命は1785年の「首飾り事件」によって一変します。

「首飾り事件」とは、ジャンヌ・ド・ラ・モット伯爵夫人と称する女性が、王室に取り入ることを目論んでいたロアン枢機卿に「マリー・アントワネットに渡す」と偽って、数百億円にも値する高額な首飾りを買わせて騙し取った詐欺事件です。

この事件で、カリオストロは枢機卿からの相談に対し、占術の結果を基に肯定的な返事をしてしまいました。このため、彼は事件に巻き込まれ、夫婦ともどもバスティーユに投獄されたのです。

裁判の結果、カリオストロは無罪となりましたが、財産の大半を没収され、パリを逃れます。

最終的には、1798年にイタリアのローマへと辿り着きました。

そして落日

画像:サン・レノの独房から見える光 wiki c Yuma

カリオストロは、ローマで再び再起を図ろうとしました。

しかし、よりによってフリーメーソンに強い敵意を抱くカトリックの中心地であるローマで、エジプト・フリーメーソンの支部を設立しようとしたため、すぐさま逮捕されてしまったのです。

これまでの活動が広く知られていたカリオストロは、徹底的に調査された結果、単なるシチリア出身の詐欺師であると判断されました。そして、彼はサンタンジェロ城に監禁されることとなります。

1791年には異端審問法廷で死刑を宣告されましたが、後に減刑され、最終的にはサンタンジェロ城での終身禁固刑に処せられました。

その後、現在のエミリア・ロマーニャ州に位置するサン・レオ要塞に移送され、1795年に法王への呪詛を残しながら狂乱状態で息絶えました。

しかし、カリオストロの名は今なお、人々に不思議な印象を抱かせ、その魔術の伝説はその素顔が暴かれた後もなお、人々の想像を掻き立て続けていると言えるでしょう。

参考文献:『ヨーロッパ三都物語 ローマ・パリ・ウィーン歴史秘話』新人物往来社

 

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草の実堂編集部

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草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

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