幕末明治

「世論」と「民意」の危うさを説いた福澤諭吉 〜150年前の警鐘

福澤諭吉の教え

画像 : 福沢諭吉 public domain

昨今、SNSで発進した情報が、その結果に大きな影響を与えた選挙が東京・兵庫で相次いだ。

その一つ、東京都知事選では、現職に挑んだ候補者のうち、現職と争うかと思われていた候補者がまさかの3位転落。一方、出直しとなった兵庫府知事選では、大どんでん返しの結果となった。

いずれも当初は劣勢に立っていた候補者が、選挙戦中盤から後半にかけて、SNSで流れた情報・発信を有権者が支持した結果、SNSを有利に利用した候補者に票が大きく流れたのだ。

この動きは国内だけでなく、世界の動向に大きな影響を与えかねない次期アメリカ大統領選挙でも起きた。

だが、テレビ媒体を中心とする多くのマスコミは、これをSNSという新たな情報伝達手段から生まれた「民意」と称した。また、旧態然とした情報提供しかできなかった自らを戒めるコメントを、各社が発していたのも記憶に新しい。

では、本当にマスコミが自戒したように、最早、彼らは選挙における報道機関としてふさわしくないのか。

そしてSNSこそが、これからの選挙戦における情報の中心となるのだろうか。

こうした疑問について、150年前に実に明確な論理を展開していた人物がいる。その人物こそ、幕末から明治を生きた啓蒙思想家・教育家の福澤諭吉である。

今回は、福澤諭吉が述べた現在の政治危機にも通じる考えを紹介しよう。

大衆世論が政治をダメにする

画像:文明論之概略 wiki.c

福澤諭吉の著作といえば、『学問のすゝめ』が広く知られている。

だが、彼が現在の政治危機に通じる論説を述べたのは、1875年(明治8年)8月20日に刊行された『文明論之概略』である。

福澤は同書の中で、以下のように論説を展開している。

近年の政府は十分な成果を挙げていない。役人・行政府の中心人物は極めて優秀なのに政府は成果を挙げられない。その原因は、政府が「多勢」すなわち「衆論」=「大衆世論」に従っているからだ。

役人も政治家も「世論」に従うしかない。「衆論」の向かうところ天下に敵なしで、優に一国の政策を左右する力を持っている。だから、行政が上手く機能しないのは、役人の能力のせいではなく、「衆論=世論」の罪だ。

福澤は同書の中でこのように述べ、一刻も早く「衆論」の非を正すことが必要だと強調する。

世論を民意と見なすことの危険さ

画像:SNSイメージ(unsplash camilo jimenez)

ここで、「世論」とは何かということを考えてみよう。

「世論」は英語で訳すと「パブリック・オピニオン」。パブリックは、公共・公衆の意味で、オピニオンは、意見・考え・主張だ。

すなわち、「パブリック・オピニオン」は、公共の意見ということになる。言い換えれば、多くの人々が共有している意見ともいえるだろう。

もちろん、その意見を述べる公共は、「国民」のことを指す。だから、「世論」は多くの「国民」が共有している意見・主張となる。

しかし実は、「世論」の主体を成すこの「国民」という存在が厄介なのだ。

「国民」は、様々な思想・イデオロギーの寄せ集めであり、各々の知識・関心が全く異なった人々の集合体だ。だから、バラバラの思考を有する「国民」が、同じ「世論」を共有することはあり得ない。それぞれが異なった立場にある「国民」は、それぞれに異なった「世論」を持つことになる。

こうして「世論」は複数に分かれるが、もし多くの「国民」が支持するものを「世論」とし、それを絶対的な権力とみなすことで問題が生じるのだ。

まして「世論」は、安定した「パブリック・オピニオン」であることは、ほとんど皆無だといえる。しばしば、その時の社会的な情緒・雰囲気に大きく左右される。

従って、「世論」は常に不安定であり、これを国民の意志である「民意」とみなすことは大いに危険なのである。

それは過去の史実を振り返れば明白だろう。

その端的な例の一つが、日本が近代に入り起こしてきた戦争だ。
日露戦争時には「ロシア憎し」、太平洋戦争時には「英米憎し」という「世論」が広がった。戦争の発端が全て「世論」のせいだとは言うつもりはないが、後押しした一因であったことは否定できないだろう。

「国民世論」というものは、情緒的な動揺に左右され、短期的にかつ短絡的な反応をみせる。そしてそれは、しばしば一種の狂気さえも孕んでいるようだ。

福沢諭吉は、150年前にこの「世論」というものの危うさを予言していたのである。

民主主義という制度の限界

画像:デモイメージ(unsplash Svend Nielsen)

日本は言うまでもなく、民主主義国家である。民主主義の目指すところは、「民意の実現」にある。

その観点からすると、政治が上手くいかないのは、政治家が「民意」を無視しているからだということになる。これは逆説的にいうと、「民意」を実現すれば良い政治になるということだ。

しかし、どうだろう。
先述した通り、「世論」はその時々の雰囲気で、国民の声が一気に一つの方向へと流されるという懸念がある。

この現象は「大衆民主主義」と呼ばれることもあるが、民主主義という制度は、よりよい社会を実現するための手段であるにせよ、決して万能ではない。

しかし現在では、「民意」をとり入れることが第一だという理解が、民主主義そのものだという認識が広まっているように見受けられる。

歯止めをかける存在

画像:ジャーナリズムイメージ( unsplash Freddy Kearney)

福澤諭吉は、今から150年前に「世論」の危うさを説いた。

それは、民主主義を良しとする現在の日本では、大いなる誤解を生むことになるかもしれないが、「世論=衆論」は罪であると断定したのだ。

現代はまさに混沌とした時代だ。社会主義も資本主義も行き詰った。そうした中、日本だけでなく世界中で経済成長主義・グローバリズム・覇権安定による国際秩序など、従来の価値観が信頼を失いつつある。

こうした時代、日本の政治にとって何よりも必要なのは、将来に向けた方向性をしっかりと見据えたうえで示すことだろう。

「政治」も「世論」も、目先の利益やその時々の雰囲気に流されやすい中、それに歯止めをかけることができるのは「学者」だと福澤は述べる。

ここで福澤が言う学者とは、ジャーナリズムを含めた知識人層を指す。

知識層は、世論の動きを読み、単に同調するのではなく、時には抗いながら、正しい方向に動かしていくべきだと主張するのだ。

画像:福澤諭吉生誕の地 wiki.c

一言付け加えると、筆者は福澤諭吉の考えや、説くところの全てを肯定するものではない。

しかし、どうだろうか。SNSは今や「世論」や「民意」を象徴する存在として、その影響力をますます拡大している。

情報の拡散速度や双方向性の高さがその特性だが、それを安易に受け入れることで、フェイクニュースの拡散や感情的な言論の過熱といった危険な結果を招く可能性があることもまた事実だ。

こうした状況下で、マスコミを含むジャーナリズムには、より深い知識と見識を持つ知識人たちが真剣な議論を行い、それを発信する役割が求められるだろう。

特定の勢力に迎合するのではなく、正確で意義のある論戦を提供することで新たな価値を生み出し、現代の情報社会における役割を再定義できるのではないだろうか。

※参考文献
福澤諭吉著 松沢弘陽編纂 『文明論之概略』 岩波文庫刊 1995年
佐伯啓思著 『さらば、欲望 資本主義の隘路をどう脱出するか』幻冬舎新書 2022年

文 / 高野晃彰 校正 / 草の実堂編集部

高野晃彰

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編集プロダクション「ベストフィールズ」とデザインワークス「デザインスタジオタカノ」の代表。歴史・文化・旅行・鉄道・グルメ・ペットからスポーツ・ファッション・経済まで幅広い分野での執筆・撮影などを行う。また関西の歴史を深堀する「京都歴史文化研究会」「大阪歴史文化研究会」を主宰する。

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