近年すっかり広がった話題のワード「LGBT」。レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーを指すセクシュアルマイノリティの代名詞だ。
さて、この言葉とよく似た「LGBTQ」という言葉をあなたは目にしたことがあるだろうか。
Qとは「クィア」のQ
このQは「クエスチョニング」、あるいは「クィア」を意味すると言われる。
「クエスチョニング」とは、自分の性のありかたにクエスチョンを抱いている模索状態を指す言葉だが、「クィア」はあまり聞き覚えのない言葉だ。Netflix利用者にとっては大人気ゲイ番組『クィア・アイ』ですっかりお馴染みかもしれない。
Queerとは元々「風変わりな」「奇妙な」という英単語。
その昔、ゲイやトランスジェンダーに対し「普通じゃない変態」「オカマ」という意味で使われていた蔑称だ。
しかし次第に当事者の間で意識が変わり、20世紀終盤頃から「変態上等!」「普通ではないけれど、それがどうかした?」というように逆手に取ったポジティブな使い方をされるようになった。
それが「クィア」だ。
クィアとは生き方、姿勢
「クィア」とは、LGBTのどれでもありうるし、いずれでもないと言える。
それは表現形態であり、態度のことだからだ。
「普通」で「地味」に生きているセクシュアルマイノリティはクィアではない。
クィアとは、「男らしさ/女らしさ」からあえて逸脱し、そのことを誇らしく称える人のありかたについて当てはまる。
例えば、女性として普通に生きようとするMTFトランスジェンダーや、男性らしくふるまおうとするゲイ男性は、クィアではない。
ド派手な衣装や身ぶりで独特のジェンダー表現をする男性(まれに女性も)をドラァグクイーンと呼ぶが、これがクィアだ。
また、映画『ファンタスティック・ビースト』シリーズでお馴染みの俳優エズラ・ミラーは以下のような言葉を2012年に残している。
“Queer just means no, I don’t do that. I don’t identify as a man. I don’t identify as a woman. I barely identify as a human.”
(クィアは「NO」、そんな事はしないという意味。自分は男とも女とも思っていない。ただ、「人間である」と思うだけ。)
エズラは男優として活躍しており、いわゆるドラァグクイーンではない。しかし、性別の窮屈なあり方にNOと言い、男とも女とも主張しない。
この態度はまさに、クィアの精神そのものだと言える。
LGBTは性別に囚われないという神話
「愛に性別は関係ない」
「男らしさ女らしさよりも、自分らしく」
そんなフレーズがLGBT界隈にはあふれている。
しかしよくよく見て見ると、セクシュアルマイノリティの世界であっても、性別や、らしさのジェンダー観念にこだわる人は少なくない。
ゲイ男性は男くささをインフレーションさせたようなルックスや言動を、セクシーと感じる傾向が強い。
また、言わずもがなトランスジェンダーは、それぞれの「心の性別」と「身体の性別」のミスマッチさに苦しむあまり、過剰な男らしさや女らしさを目指してしまうこともある。
それが心地よい、しっくり来るという当事者もいる一方、ゲイコミュニティで性の相手として「選別」され「あぶれて」しまうゲイの悲哀や、トランスジェンダー界隈で、より「本物らしい」「努力して男らしく・女らしく」を目指すあまり、マウンティングや自己否定が生まれてしまうという現実もまたある。
性別を超えたようでいても、また性別に囚われてしまう。
それほど、性(ジェンダー)にまつわる固定観念は根強いのだ。
性別・らしさから自由になるクィアの姿勢
これは、LGBTが矛盾した存在だということではない。
そもそも、「普通」の社会における、ジェンダー規範が強すぎるのだ。
「男はこういうもの」「女はこれだから」
こんな言いぶりは、令和になっても廃れることがない。
また、このように言語化されずとも、マスメディアでも社会生活でも、至るところでステレオタイプなメッセージが無自覚に振りまかれている。
どのような振る舞いが男性として適切か?どういった容姿が女性として価値が高いか?それは、ただ暮らしているだけで無意識に入り込む。そして、不必要な生きづらさが生まれる。
これほど固定観念の蔓延した社会では、普通に生きようとすること=型にはまった窮屈なあり方を選ぶこと のように感じられる人も多いだろう。
そんな金太郎飴的世界で、生まれ持った自分を最大限発揮して生きる術、それがクィアのアティチュードだ。
「普通じゃない?それ、誉め言葉ですね!」
「気持ち悪い?私は私のこと大好きだし最高だと思ってる!」
そんな逆境の中の自己肯定。
クィア性を心に持つことは、誰にでもできる。
クィアとは性のレッテルではない。
むしろ、性のレッテルを剥がしてありのままの自分を堂々と出していく人の勲章なのだ。
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