私は過去、初犯刑務所である愛媛県の松山刑務所の大井造船作業場に務めました。広大な造船場の中にその収容施設があります。
建物は普通の会社の寮のような感じです。その施設から平尾被告が脱走した事件で、ニュースでもその建物が流れていたので、ご存じの方もいらっしゃると思います。
いわゆる、「塀のない刑務所」です。
大井造船作業場に入る為の条件
造船場に職業訓練として行くには多くの条件があるようです。まず身柄引き受けがしっかりしている事、更生意欲がある事、ある程度の知能指数をクリアしている事などです。
私は関東の刑務所から移送されました。移送元の刑務所で約1月間の考査期間があり数学、国語などの試験や面接を受けました。どこの刑務所にいくのか不安に思いながらも移送待ちをしていました。
「なぜ俺だけ移送されずに残されているのか?」日がたつにつれ段々と不安になってきました。
初めての刑務所だったのでわけが分からず、他の人が私をどんどん抜いて移送されていくので他に何か問題があったのか不安になりました。私も当時、叩けば埃の出る身。別件事件でもあり再逮され拘置所に戻されるのかと思いきや、いきなり早朝の4時ごろ叩き起こされ「支度しろ!」です。約二か月も待たせられました。
移送場所などは移送当日の朝に言い渡されます。初めて松山刑務所に移送されるのが分かったのは、階下にある領置調べ室で荷物をまとめていた時です。準備が終わり、少し偉そうな人が出てきて生年月日、氏名、番号などを聞かれ「あなたを松山刑務所に移送する!」と、初めて言い渡されました。
「松山刑務所?どこ?」 埼玉県に東松山という地名があるのを思い出し、「その辺りなのか?」
ところがとんでもない!
松山刑務所 移送日当日
朝5時の始発で電車に乗り、両手錠、腰縄付で引っ張られ、ゴッツイ親父が二人も付きました。犬の散歩じゃないことくらいは一般の人も見れば分かる事でしょう。
東京駅に着き、通勤で混み合ってきた駅の構内を歩く我々の姿を見て、「あの人、縄みたいな尻尾が出てた」なんて思う人もいたかも知れません。
あまり揺れない新幹線に乗り込み混雑する車内ではボックスシート貸し切り。
弁当、ジュース、チョコレート、冷凍ミカンなどを内緒で頂き腹もようやく落ち着き、恐る恐る小さい声で親父に「用便お願いします」と、申し出たところ「よし行ってこい!」と心よく受け入れてくれました。
但し! 但しです! もちろん片手錠(利き手の手錠は外してくれる)にはしてくれましたが、トイレの扉は開けっ放し!小じゃなく、大なんですけど?
「そうか、じゃあ半分だけ閉めてやるよ」半分閉めたところで半ケツ丸見えです。しかも縄付。ゴッツイ男が二人で覗いているという状況です。
最初から「ただ今移送中です」と言う看板でも首から下げたほうが市民の皆様に「何なのあの人達は?」と惑わすことはないと思うのですが。
大井の寮の裏側はすぐに瀬戸内海の素晴らしい景観で小島や本州などが見え、小舟や大型船が行き来し、私も窓を開け景色を眺めながら、遠く離れた妻や子供を思い浮かべひとり感傷にしたっていました。私もそんな時代がありました。
中高年のおばさん方に人気のコメディアンのセリフではありませんが、あの頃は「お父さん!一日でも早く帰って来て!子供達も待ってるから」、あれから何十年・・・妻との別れ際には「あんたお願いだからそのまま刑務所に入ってて!その方が安心だから」と言われました。冗談で言ったのか?本気だったのか? 本気だったんでしょうね。
大井要員
寮の表側はグランドを挟みすぐに道路があり、一般の人が行き来していて普通の会社の寮となんら変わりはありません。
私の場合、未決通算、移送待ちで持ち込み残刑が2年2か月程で松山刑務所に落ちました。大井造船作業場は職業訓練の施設なので、本所の松山刑務所で新入訓練に編入します。
その時点で大井の職業訓練で来ている人は、帽子に白い線が巻かれ「大井要員」と呼ばれます。
新入工場では作業態度や居室での生活態度、規則などを教えられます。特にデカイ声を出す練習が印象に残っています。これ以上声が出ません! のどが潰れ赤くなるほど、デカイ声を出させます。何の為にデカイ声を出すのか?交談禁止なのに?意味不明です。
本所での新入訓練が終わると「大井要員」は金属工場に一度配役になります。細かい船の部品などを作っています。大井造船作業場にはすぐに行く事が出来ず、残刑が2~3年?になるまで本所の松山刑務所で消化してから行くようです。
半年待ち、1年待ちの人がたくさんいました。
私は運よく1か月で本所での訓練に入りました。私を含め4名でした。本所での訓練は1か月間行われ、体力づくりと動作訓練、溶接などの練習を行います。
溶接は下手ながらも何とか出来ましたが、体力づくりは広いグランドを何周も走らされ腹筋、腕立て伏せ、血反吐が出るまでやらされました!
こんなことで大井に行くまで身体が持つだろうかと思いながらも一ヶ月やり遂げました。
本所から大井造船所までバスで4人移送となりました。
その4人が同期生で、これからの大井造船作業場でのライバルとなりました。
しかし、そこには私を含め3人が想像していた以上に、というより想像もできない異常なところでした。
「こんな世界があるのか!」 その異常さは次回、UPできる機会がありましたら、その異常の凄さをご紹介したいと思います。
追記: 続きは→こちらです。
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