高松宮記念(4歳以上オープン 国際・指定 定量 1200m芝・左)は、日本中央競馬会(JRA)が中京競馬場で毎年3月に施行する重賞競走(GⅠ)である。オールドファンには「宮杯」という方が馴染みがあるだろう。
この高松宮記念について創設からの歴史をひもといてみる。
なお2001年(平成13年)から競走馬の年齢表記が数え年から満年齢に変更された。この記事では現在の表記で記す。
中京大賞典
高松宮記念の前身は中京大賞典である。
1967年(昭和42年)に中京競馬場の砂(現在のダートとは異なる)2000m、3歳以上の別定重量の重賞競走として創設された。第1回中京大賞典の優勝馬はタイヨウ(牡4歳)であった。
1969年(昭和44年)(第3回)出走資格を4歳以上に変更。
1970年(昭和45年)中京競馬場は砂コースを芝コースに改修するなどの工事中のため、京都競馬場で芝2000mで施行された。このとき名称が「松籟ステークス(第4回中京大賞典)」と変更された。
松籟ステークスはそのまま京都競馬場に残り、1月末か2月頭に芝2400mで行なわれている。
中京競馬場は1953年(昭和28年)に名古屋競馬株式会社が建設した。1993年(平成5年)まで公営の名古屋けいばが開催されていた。
公営競馬場には芝コースがなく、改修工事後は地方競馬所属馬が芝のコースの適性を見極めるために出走することがあった。その一例がオグリキャップである。現在は1996年(平成8年)に新設された盛岡競馬場のみ芝コースを有する。
高松宮杯
1971年(昭和46年)、中京大賞典に高松宮宣仁親王(昭和天皇の弟)から優勝杯を下賜されたことを機に、3歳以上・別定重量の重賞競走「第1回 高松宮杯」と改称して新設された。この年から中京競馬場に新設された芝コースの2000mで争われ、開催時期も6月末か7月頭に移動して夏の中京開催を代表するレースとして親しまれるようになった。
第1回高松宮杯の優勝馬はシュンサクオー(牡5歳)である。
1984年(昭和59年)(第14回)グレード制導入によりGⅡに格付けされた。
1989年(平成元年)(第19回)混合競走となり、外国産馬に門戸が開放された。
《ハマノパレード事件》
1973年(昭和48年)の第3回高松宮杯の優勝馬はタケデンバード(牡4歳)であった。
高松宮杯の歴史で最も大きな出来事は「ハマノパレード事件」だろう。
ハマノパレード(牡5歳)は素質はあるが身体が小さいうえに気性が荒く、4歳の終わりからやっと素質が開花し重賞競走に勝てるようになった。
春の天皇賞では8着に敗れたものの宝塚記念で優勝。次の高松宮杯で悲劇が起きた。脚がもつれて転倒し左第一関節脱臼ならびに左第一指節種子骨粉砕骨折を発症してしまい、予後不良(安楽死処分)の診断が下った。
現在は診断が下ったのち薬物を投与して苦痛を取り去って安楽死の処置をする。しかしハマノパレードはそのまま放置され、翌日屠殺場に送られた。
その日食肉市場に売りに出た「さくら肉『本日絞め』400キログラム」はハマノパレードではないか、とスポーツ新聞紙に取り上げられ大きな反響を呼んだ。
この事件が契機になって現在の安楽死のシステムが整備された。
GⅠ 高松宮杯
1996年(平成8年)(第26回)JRAの短距離路線の整備に伴い、距離が2000mから1200mに短縮された。
施行時期が5月に変更され、GⅡからGⅠに昇格した。中京競馬場で初めてのGⅠであり、春のスプリント王決定戦と位置づけられた。
第26回高松宮杯の優勝馬はフラワーパーク(牝4歳)である。
《三冠馬ナリタブライアンの参戦》
この第26回高松宮杯で最も大きな出来事は、三冠馬ナリタブライアン(牡6歳)の参戦である。中京競馬場には三冠馬を一目見ようと史上最多の74,201人が詰めかけた。(この記録は未だ破られていない)
ナリタブライアンは三冠馬となった翌年に右股関節炎を発症し、休養に入った。6歳になって復帰し、阪神大賞典にてマヤノトップガン(牡5歳)をのちに伝説となる熱戦の末に破った。
春の天皇賞で惜しくも2着になり、次走は宝塚記念ではなく1200mの高松宮杯が選ばれた。このレース選択には、ナリタブライアンを管理する大久保正陽調教師とマスコミとの対立がより一層深まり、競馬ファンも加わって物議を醸した。
GⅠ 高松宮記念
1998年(平成10年)(第28回)に現在の「高松宮記念」に改称された。競輪で高松宮家への謝礼金が問題となって優勝杯の下賜がなくなり、合わせて競馬でもなくなったことによる。
第28回高松宮記念の優勝馬はシンコウフォレスト(牡5歳)である。
2000年(平成12年)(第30回)施行時期が5月から現在と同じ3月に変わり、出走資格が4歳以上になった。
2001年(平成13年)(第31回)国際競走(外国の馬も参戦できる)になり、外国馬は5頭まで出走可能となった。初めての海外からの参戦は2003年(平成15年)(第33回)のディスタービングザピース(せん5歳)とエコーエディ(せん6歳)(どちらもアメリカ)だった。
2007年(平成19年)(第37回)SITA(国際サラブレッド競売人協会)により日本がパートI国に昇格したことに伴い、外国馬の出走枠が9頭に拡大された。
初めて高松宮記念で優勝した海外馬は、2015年(平成27年)(第45回)のエアロヴェロシティ(せん7歳 香港)である。
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