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『世界一寒い村の住人は世界一幸せだった?』最低気温「-71.2°C」オイミャコン村の暮らしとは

画像:2013年2月のオイミャコン近郊の風景 wiki c Maarten Takens

2025年も既に3月となり、暦の上では啓蟄を迎えたが、関東以北の地域ではまだ雪が降る日もあり、春を感じる日は少なく、特に朝晩は冷え込む日々が続いている。

一説に、冬の寒さには「人の気持ちを落ち込ませる作用」があるという。
これは主に日照時間の短さが原因とされ、気分の落ち込みの他、眠気やだるさ、集中力の低下などを引き起こすといわれている。

国土のほとんどが温帯に属する日本でも、冬特有の気候で抑うつ症状が引き起こされるというのであれば、地球上最も寒い人里に住む人々の幸福度はどれほど低いのかと考えてしまうものだ。

しかし調べてみた結果、世界一寒いとされる村に住む人々の幸福度は意外にも高いというのである。

そこで今回は、世界一寒い村でありながら「世界一住民の幸福度が高い村」ともいわれる「オイミャコン村」について触れていきたい。

世界で最も寒い定住地・オイミャコン村の環境

画像:オイミャコンの気象観測所 wiki c Ilya Varlamov

オイミャコン村があるロシア・サハ共和国は、日本の面積の約8倍の広さを誇る国土の土壌はすべて永久凍土であり、面積の約40%は北極圏に含まれている。

オイミャコン村は、サハ共和国の首都ヤフーツクから東に約900km、通称「骨の道」を進んだ先にある、北極圏からわずかに南にあたる場所に位置する村だ。

北極点からは約3000km離れているが、凍り付いたシベリア大地によって大気が冷やされる上に標高も高いため、北極点よりも気温が下がりやすい地域である。

これまでオイミャコン村で観測された最も低い気温は、測定方法に議論はあるものの1926年1月26日に記録された「-71.2°C」とされている。

この記録は北半球においての観測史上最も低い気温であり、オイミャコンは北半球の「寒極」にも認定されている。正確な気温の測定方法が確立され、世界的に温暖化が進みつつある近年でも、2018年1月17日には-65℃を記録した。

オイミャコンという地名は、ツングース系民族の言語・エヴェン語で「kheium(ヘイユム)」に由来するといわれ、この言葉は「不凍の水」を意味する。

これは永久凍土であるにもかかわらず、オイミャコンの近くに天然温泉が湧いていることや、真冬でも川が凍らないことが理由だとされているが、本来はツングース語で「凍った湖」を意味する「heyum」のスペルミスだったのではないかとも考えられている。

冬季のオイミャコンの平均気温は-40℃で、村民は-30℃の日は暖かい日だと感じ、-50℃の日はまあまあ寒いと感じる。
ちなみに日本の最低気温の公式記録は、1902年1月25日に北海道旭川市で観測された-41.2℃だ。

極寒の地であるオイミャコンだが、意外なことに6月~8月の夏季には、最高気温が30℃以上になることがしばしばある。

しかし夏季でも平均最低気温は5℃前後であり、最も平均気温が高い7月でも夜は氷点下になることもある。

オイミャコンは世界一寒いだけでなく、寒暖差が極端に大きい地域でもあるのだ。

オイミャコン村での暮らし

画像:オイミャコンの住宅街 wiki c Ilya Varlamov

オイミャコンには、2010年から2019年にかけては、500人弱の住民が定住していたことが国勢調査により判明している。

住宅街もあり、他の町や村と同じように電気も通っているが、ほとんどの家庭が薪ストーブを使用して室温を20℃前後に保っている。

水道管が凍結してしまうため、水道はない。かつては住民が川まで水を汲みに行き、牛や馬に運ばせていたというが、現在では給水車が凍らない川から水を汲み上げて、各家庭を回って水の供給を行っている。

永久凍土には配管が通せないため、トイレは屋外に穴を掘って設置しているが、排泄物もすぐに凍ってしまうので臭いなどはほとんど気にならないという。

村内には学校もあり、冬季ももちろん開校しているが、気温が-52℃を下回る日は小学校1年生から4年生までの子どもたちは休みとなり、さらに-56℃を下回れば小学校5年生以上の子どもたちも休みになるという。

日本では、洗濯物の外干しには晴れた暖かい日が適していると考えられているが、世界一寒い村ではそのような常識は通用しない。

オイミャコンでは手洗いした濡れた洗濯物を外に干すとたちまち凍り付き、全体に霜がついたようになる。凍った洗濯物を叩いて氷を払い落とせば、すぐに乾くというのである。

画像:代表的なヤクート料理。冷凍生魚の薄切り、ストロガニーナ wiki c UR3IRS

日常の食事はボルシチやピロシキなど、ロシアの他の地域とさほど変わりない内容だが、トナカイや馬などの肉や魚を生のまま食べる文化(ヤクート料理)もあるという。
寒い地域であるため必要とするカロリーは多く、特に冬は脂質や炭水化物の摂取量が多くなる。

市場には凍り付いた魚や肉が丸のままで並んでおり、野菜や穀物は夏季に収穫したものを貯蔵して少しずつ使ったり、商店で買い足したりしながら毎日の食事を準備する。搾りたての牛乳やベリー類も、オイミャコン村の食生活には欠かせないようだ。

極寒の地ではあるが、オイミャコン村では冬にインフルエンザや風邪などの病気が流行ることはほとんどない。
オイミャコンの冬の気温では、そもそも細菌やウイルスが増殖できないからだ。

厳しい寒さで体を鍛えられている上に、感染症のリスクが低いオイミャコン村の住民は長生きで、平均寿命は100歳ともいわれ、中には120歳まで生きる人もいるという。

極限の寒さの中で、なぜオイミャコン村民は幸福に過ごせるのか

画像:オイミャコン村の住民 wiki c Ilya Varlamov

いくら冬は寒いと言っても温帯に住み、電気やガス、水道が日常的に使用できる日本人にとっては、オイミャコン村での生活は話に聞くだけでかなり過酷なものに感じられる。

しかしオイミャコン村の住民たちの多くは、1年のほとんどを氷と雪に覆われた土地で、幸福を感じながら暮らしているというのだ。

オイミャコンの人々は、誰もが家族や地域の繋がりを何より大切に考えている。オイミャコンでの生活は基本的に自給自足であり、小さな共同体の中では皆が助け合って暮らしていかなければ、長く厳しい冬を乗り越えることができない。

オイミャコン村で暮らす人々にとっての幸福とは、他人から羨まれるような地位を得たり、贅沢な生活を送ることではなく、信頼して支え合える家族がいること、そしてその家族が健康でいることだという。

顔も良く知らない大勢の他人の評価に幸福の基準を委ねないからこそ、オイミャコン村の住民は家族と支え合いながら生きていける自分を幸福であると感じているのだ。

訪れる者の誰もが「美しい村」と賞賛する、氷と雪に閉ざされた極寒の地で、オイミャコン村の住民たちは今日もシンプルかつ懸命に、家族や仲間と支え合いながら生活している。

私たちが幸せの基準を見直すヒントが、オイミャコン村での暮らしに秘められているのかもしれない。

参考文献
宇田川勝司 (著) 『謎解き世界地理 トピック100
米原 万里 (著), 山本 皓一 (著, 写真) 『マイナス50℃の世界
文 / 北森詩乃 校正 / 草の実堂編集部

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北森詩乃

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娘に毎日振り回されながら在宅ライターをしている雑学好きのアラフォー主婦です。子育てが落ち着いたら趣味だった御朱印集めを再開したいと目論んでいます。目下の悩みの種はPTA。
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