客家(はっか)の人達
客家人(はっかじん)とは元々は漢民族であり、ルーツを遡れば古代中国(周から春秋戦国時代)の中原や、中国東北部の王族の末裔とされている。
客家人は歴史的には、戦乱から逃れるために中原から南部へと移住し、定住することを繰り返してきた。
移住先では、先住民から見ると「よそ者」であり「客家」と呼ばれるようになった。
客家人の主な居住地域は、中国の広東省、福建省、江西省などの山間部である。特に梅州、恵州、汀州、贛州といった地域は、「客家四州」と呼ばれている。
客家人は海外華僑や華人としても多く存在しており、タイ、マレーシア、シンガポールなどの東南アジア諸国にも多くの客家人が住んでいる。
華人の中でも3分の1は客家人とされている。
台湾の客家人
客家人は台湾においては、北中部の桃園市、新竹県、苗栗県などに居住しているが、筆者が住んでいる台湾の一番南の県である屏東にも、沢山の客家人の集落がある。
山の方に行くと原住民であるパイワン族の集落がいくつもあり、全く違った文化が近隣で展開されている。
客家人には特有の言語「客家語」があり、台湾語にも中国語にも似ていない独特な言語である。
電車に乗ると客家語のアナウンスもあり、テレビでも客家語のチャンネル・客家電視台がある。
日本のアニメも客家語で吹き替えされ、放送されている。
客家人の特徴としては、勤勉で節約家ということである。
代々、客家人は教育を重視してきたことから、教師や教育関係の仕事に就く人が多く、子供の教育にも非常に熱心である。
また客人として各地に移民してきた歴史から、移住先の環境に順応していくために、苦労に耐えながら人と環境に馴染み、良好な関係を築くという特性が培われている。
苦しい環境の中で生活するために、教育面での実績で社会的・経済的な地位を築こうとしたのである。
このような言葉がある。
「一等人忠臣孝子,兩件事讀書耕田」
客家人にとって最も美徳とされるのは、国に忠誠を誓って親孝行すること、学習と農業を重んじることである。
客家人の住居
客家人の家には特徴がある。
「三合院」と言って、簡単に言うとコの字型の平屋に住む者が多い。コの字の真ん中には庭があり、そこで穀物を乾燥させたり憩いの場として活用するのである。
コの字型の真ん中には、多くの場合、先祖や家の神が祀られた祭壇がある。
その祭壇を中心に家族の居住スペースが広がっており、親族が何世代かで居住している。
中は平屋ではあるが、天井は高く広々とした印象だ。天井が高いため、夏場も風通しがよくとても涼しい。
玄関には「氏名堂号」と呼ばれる表札があり、その家の家族の苗字が分かる。
そしてその苗字の発祥まで分かるという。
例えば氏名堂号が「西河堂」であれば、その家の人、もしくは先祖は、内モンゴルから移民してきた「林」か「卓」という苗字なのである。
現在研究が進んでいるが、認定されているものだけで、82堂、267姓あるという。
福建土楼
福建土楼(ふっけんどろう)とは、円形の土壁の中に集落がある建築物で、一つの福建土楼の中には80家族以上が生活している。
この独特の集合住宅は、福建省の一部の山間部に住む客家人に見られる建築様式である。
外部からの襲撃を防ぐための建築物で、中に一族がまとまって居住している。そして土楼は単に雨風をしのぎ、敵からの襲撃を防ぐだけではなく、一族の結束を強める役割も担ってきた。
外見はまるで要塞のようだが、内側はとても快適な居住空間となっている。
映画ムーランの実写版に出てくる、ムーラン一家の住居がこれに近い。土楼の中では生活に必要な物が何でも揃っている。
ちなみにムーラン一家の花家は客家ではなく、遊牧民族の一つで騎馬民族として知られる「鮮卑族」であるとされている。
客家人の花布
台湾のお土産では花布(はなぬの)が人気である。台湾花布とは、簡単に言えば台湾で生産されたプリント生地のことである。
カラフルな紅色やターコイズブルーが特徴的で、牡丹の花が沢山あしらわれている。花布で作られた服やかばん、ポーチなどは台湾のお土産として大人気だ。台湾の古き良きイメージである。
真偽は定かではないが、この花布のルーツは客家人だという説もある。
客家人は前述した通り、節約家で物を捨てられない性格だ。
小さな端切れや使わなくなった布なども、捨てずに再利用して使った。色んな柄の布をまるでパッチワークのようにつぎはぎして使ったことで、自然と花布のように、にぎやかな布になっていったのである。
それ以降、花布は客家人のものというイメージがついている。
花布は現在、台湾の代表的な文化品として世界に認知され始めている。
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