セイラム魔女裁判とは、17世紀末のアメリカで起きた闇深き魔女狩り事件だ。
セイラム魔女裁判では200名近い村人が魔女として告発されて裁かれ、そのうち19名は有罪判決を下されて処刑された。また、1名は拷問中に死亡、乳児2名を含む最低でも5名が獄中で死亡したといわれる。
処刑された村人たちは総じて「自らが魔女であることを否定した人々」であり、反対に「魔女であることを自白した人々」は、ただの1人も死刑になっていない。
無実の刑死者を大勢生み出した一連の裁判が始まったきっかけは、悪魔憑きと診断された10代の少女たちの告発だった。
今回は植民地時代のアメリカにおける「史上最悪の集団ヒステリー事件」ともいわれる、セイラム魔女裁判について解説していこう。
裁判の発端となった悪魔憑き騒動
セイラム魔女裁判の舞台となったのは、アメリカのニューイングランド地方、マサチューセッツ州エセックス郡セイラム町近郊にあった、セイラム村(現・ダンバース)だ。
セイラム町は、英国の牧師であったジョン・ホワイトという人物が設立した植民地会社が開発を行った町で、セイラム村はイギリスの弾圧から逃れてきた清教徒(ピューリタン)が興した村だった。
17世紀末時点のこの地域には、悪魔や魔女に対する畏怖の感情が色濃く残っており、それに加えて外部から移住してきた人々に対する偏見も強い土地柄だった。
セイラム魔女裁判の発端となったのは、9歳の少女ベティ・パリスと、その従姉妹である11歳のアビゲイル・ウィリアムズが、悪魔憑きになったことだ。
2人の少女は親たちの目を盗んで友人らと降霊会に参加したが、その最中にアビゲイルが発狂し、医師の診察を受けた結果、ベティとアビゲイルの2人ともが悪魔憑きと診断されたのだ。
ベティの父である牧師のサミュエル・パリスは、使用人として雇っていた南アメリカ先住民のティテュバという奴隷の女性を魔女として疑い、拷問を行ってブードゥー教の魔術を使ったことを、無理矢理自白させた。
ティテュバが自白を強要させられて以降、降霊会に参加していたほかの少女らにも異常が起き始め、悪魔祓いの儀式が行われたが失敗に終わる。
悪魔祓いを受けた少女のうちの1人、12歳のアン・パットナムは、セイラム村の有力者であったパットナム家の娘で、アンの言葉を信じたパットナム夫妻の意向により、魔女の正体についての追及は引き続き行われた。
サミュエルが少女たちに問いただしたところ、少女たちは最初に魔女として疑われた使用人のティテュバに加え、村の中で弱い立場にあったサラ・オズボーン、サラ・グットという2人の女性の名を上げた。
少女たちを悪魔憑きと診断した医師の姪である当時17歳だったエリザベス・ハバードは、魔女と疑われる人物の告発に関して特に積極的だったという。
魔女裁判が始まり、否認者に死刑宣告が下される
悪魔憑き騒動から約1ヶ月経った1692年2月29日、魔女として告発された3名の女性に対する逮捕令状が、少女らの父親たちによる正式な訴状に基づいて裁判官から発行された。
翌3月1日には3名を収監するために予備審査が行われ、サラ・グッドとサラ・オズボーンは自分たちが魔女であることを否認したが、証人としてその場にいた少女たちが暴れ出して「2人が悪霊を使役している」と証言したため有罪とされた。
ティテュバは自白による減刑を期待して自ら魔女であることを認めたうえに、証言の中で他の2名が魔術に協力したこと、他にも協力者がいることを示唆した。
そのため、その後も複数回に渡り少女たちに対する質問と告発が行われ、最終的には100名以上の村人たちが魔女として告発されることとなる。
同年5月27日には魔女裁判のための特別法廷が設置され、6月2日から告発された村人たちの審理が始まり、有罪となった者は6月10日から順次死刑に処せられた。
魔女であることを認めたティテュバは死刑を免れたが、容疑を否認したサラ・オズボーンは獄中死して、サラ・グッドは1692年7月に絞首刑に処された。逮捕時に妊婦だったサラ・グッドが獄中で生んだ赤子は、哀れにも母親の死刑が執行される前に死亡していたという。
この狂乱を極めたセイラムの魔女狩り騒動の中で、少女たちから告発されて死刑となった19名の中には、自他ともに認める敬虔な清教徒や牧師、地元の有力者としてセイラムの地域社会で尊敬されていた人物も存在した。
魔女として告発されたのはほとんどが女性であったが、中には男性もいた。
セイラム魔女裁判における最年少の逮捕者は、死刑となったサラ・グッドの4歳になる娘で、保釈金が支払われて釈放されるまで約9ヶ月間にも渡り勾留された。
死刑になった人々は皆自分が魔女であることを否定しており、告発の根拠となるような行動もしていなかった。しかし魔女である証拠もないまま少女たちの告発によってのみ逮捕され、罪を認め悔い改めなかったことで断罪され、絞首刑に処されたのだ。
また、逮捕されて収監された者には多くの金銭的負担が強いられた。
裁判の結果無罪となっても、出獄する際に支払う費用が捻出できず、獄中死する者もいたのである。
セイラム魔女裁判の収束
1962年の秋ごろになると、多くの容疑者と刑死者を出した少女たちの告発と証言に、疑問を呈する者が現れ始めた。
10月3日にはハーバード大学の学長イングリーズ・マザー牧師が裁判における霊的証拠の使用を糾弾し、10月12日にはマサチューセッツ州総督のウィリアム・フィリップスが、イングランド国王ウィリアム2世とスコットランド・アイルランド女王メアリー2世の枢密院に対して、被疑者逮捕の手続きの中止を訴えた。
10月29日、総督フィリップスは魔女容疑での村人の逮捕を禁じて、被告人の多くを解放し、特別法廷を散会させた。
刑務所に残った被告人たちの審理はその後、高等裁判所にて行われ、一部の被告人は保釈金が払えず獄中で命を落としたが、多くの者が無罪と判断され、その時点で死刑判決を受けていた者の処刑も取り消された。
そして、被告発者の逮捕が開始されてから約1年3ヶ月後の1963年5月に、収監者に対する大赦が宣言され、セイラム魔女裁判は収束したのだ。
セイラム魔女裁判の原因と告発者たちのその後
悪魔憑きや魔女狩り騒ぎが歴史的事件になるまで拡大した原因としては、児童に対する虐待にも匹敵する過剰な躾が原因となった説や、宗教的抑圧による集団ヒステリー説、麦角菌中毒による集団幻覚説、土地の権利や財産を巡る村人間の争いが原因となった説など、様々な説が唱えられている。
歴史上、魔女を告発した者の多くは実際にてんかんや痙攣発作などの病気を患っていたと考えられているが、セイラム魔女裁判の告発者である少女たちは当初、関係者に「みんなで楽しく過ごすための遊び」として、告発を行っていることをほのめかしていたという。
無邪気で残酷な遊び心で、多くの無実の村人たちを魔女として告発した少女たちは、その後どのような人生を送ったのだろうか。
最初に悪魔憑きの症状を呈したベティ・パリスとアビゲイル・ウィリアムズについては、アビゲイルの消息は1962年以降不明で17歳頃に死去したという説があり、ベティは28歳頃に結婚して4人の子を生み、77歳で死去したという記録が残っている。
セイラムの有力者であったパットナム家の娘アン・パットナムは、当時62名の村人を告発した。
他の少女たちに比べて抜きんでた頭脳を持っていたアンは、ほぼすべての裁判において証言台に立ち、周りの大人を驚かせるほど文学的で真に迫る状況描写を述べるなど、魔女弾圧に熱心だった。
しかし、魔女裁判が終息した後は体調を崩し始め、1699年には両親を失って9人の弟妹たちの養育者となり、苦労の多い生活を送るようになる。
アンは、1706年にセイラム魔女裁判においての自らの行動について謝罪し、被告人となった生存者や遺族はその謝罪を受け入れたという。
その後、アンは36〜37歳頃に独身のまま死去し、両親と共に旧セイラム村であるダンバースにおいて、不名誉の象徴である無墓標の墓地に埋葬された。
その他の魔女の告発者となった少女たちの多くは裁判終息後、両親や親戚と共にセイラムを離れたが、特に罪に問われることもなく生涯を過ごした。
セイラム魔女裁判をエスカレートさせたのは、後に裁判に霊的証拠が使用されていることを糾弾したイングリーズ・マザー牧師が、当初は魔女や魔術に対する恐怖を扇動し、少女たちの証言を後押した影響だとも言われている。
謎多きセイラム魔女裁判だが、多くの無実の人間を魔女として告発し、25名を死に追いやったことは、まぎれもない事実だ。
本当に悪魔に魂を売り渡したのは、はたして誰だったのであろうか。
「セイラムの血統」とセイラムのその後
「セイラムの血統」とは、セイラム魔女裁判の関係者の子孫や親戚にあたる人々や、セイラム魔女裁判の研究を行う人々への資金提供のため、または研究そのもののために設立された団体だ。
同団体の調査により、映画『ハリー・ポッター』でドラコ・マルフォイを演じた俳優のトム・フェルトンや、アメリカ合衆国大統領を務めたジョージ・H・W・ブッシュとジョージ・W・ブッシュなど、多くの著名人がセイラム魔女裁判の関係者の子孫、または親戚であることが判明している。
セイラム魔女裁判の主任判事であったジョン・ホーソーンの子孫である作家のナサニエル・ホーソンは「自らの祖先が歴史に残した汚点」として魔術についての記述を小説の中に頻繁に登場させている。
その影響もあり、セイラムの名を残したセイラム市は「魔女の街」と呼ばれ、観光地として有名だ。
300年以上も前に起きたセイラム魔女裁判の痕跡は、今も様々な文学や場所に残され、現代を生きる私たちに暴走する正義や集団心理による弾圧の恐怖を伝えている。
参考文献 :
チャドウィック ハンセン (著), 飯田 実 (翻訳)
『セイレムの魔術: 17世紀ニュ-イングランドの魔女裁判』
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