フランスの知識人は誰かと言えば『ジャン=ポール・サルトル」の名前が必ず上がるだろう。
彼は哲学者でありながら、小説家であり劇作家でもある。
彼の残した思想や小説は、現在では時代遅れと言う意見もあるが、その全てが過去の思想というわけではない。
今回はそんなフランスの知の巨人、サルトルについてわかりやすく解説する。
ジャン=ポール・サルトルの生涯
1905年、ジャン=ポール・サルトルは、フランスの首都であるパリの16区に生まれた。
サルトルが生まれて間もなく父親が他界し、母型の祖父に引き取られる。
祖父のシャルル・シュヴァイツァーはドイツ語学者だったため、サルトルは高い教育水準の家庭で育つことになり、彼の探求心は祖父からも影響を受けている。
しかしサルトルは3歳の時に右目をほぼ失明、更に斜視になってしまった。
1915年、サルトルは、フランス・パリの名門リセであるアンリ4世校に登録。
1917年には、ラ・ロシェルのリセに転校することになる。
1928年、アグレガシオン(1級教員資格)(哲学)試験に落第する。
同試験の次席(哲学)であり、生涯の伴侶となるシモーヌ・ド・ボーヴォワールと知り合い、1929年には2年間の契約結婚を結んでいる。この結婚は互いの自由恋愛を尊重した結婚であり、彼の生涯にわたって続くこととなる。
1931年、ルアーブルのリセの哲学科で教師となる。
1933年から1934年にかけてベルリンに留学し、現象学を学ぶ。
1938年には小説『嘔吐』を出版して名声を博した。
第二次世界大戦のために兵役召集されるが、1940年に捕虜となったのち、1941年に偽の身体障害証明書によって、収容所を釈放された。
1943年、主著『存在と無』を出版する。『存在と無』は副題に「現象学的存在論の試み」と銘打たれており、フッサールの現象学とマルティン・ハイデッガーの存在論に色濃く影響されている。
1945年にはボーヴォワールやメルロー=ポンティらと雑誌『レ・タン・モデルヌ』を発行する。
以後、著作活動の多くはこの雑誌を中心に発表されることになる。評論や小説、劇作を通じて、戦後、サルトルの実存主義は世界中を席巻することになり、特にフランスにおいては絶大な影響力を持った。
1964年、サルトルは、ノーベル文学賞に選出されたが、辞退。
1973年に激しい発作に襲われ、さまざまな活動を制限することになる。また、斜視であった右目は3歳からほぼ失明していたが、残る左目からの眼底出血により、この時期に両目とも失明する。
1980年、肺水腫により74年の生涯を閉じた
哲学者としての活動
自身の講演「実存主義はヒューマニズムであるか」において実存は本質に先立つと主張。
『存在と無』では「人間は自由という刑に処せられている」と論じる。
彼はさらに一歩進んだ思想を掲げ、人間はその社会活動「アンガジュマン」の思想をもってして社会活動を行い、全てにおいて責任を負わなくてはならないとして社会活動も積極的に推奨した。
与えられた状況の中に身を投じ、主観的な判断に基づいて自らが下した判断の責任を引き受けつつ、そのような責任の中に生きることで自らの生きる意味を見出すのが、サルトルの考えるアンガジュマンの根幹思想である。
このことでサルトルは共産主義的であると批判され、アルベール・カミュやメルロー・ポンティとの決別につながる。
サルトルの実存主義
彼の思想は無神論的実存主義と言い、神は存在しない前提の哲学である。
彼の哲学の根幹をなすものは「実存は本質に先立つ」である。
「実存は本質に先立つ」とは、人間はまず生まれながらにして実態はあるがその本質は存在しておらず、人間の実存は自らが決めていく事になり、故に人間は悩み苦しむ。という事である。
この難解な思想を、彼はペーパーナイフのたとえで表現している。
「ペーパーナイフは封筒を開けるという目的が先にあり、その目的のために存在する」
が、
「人間は何かの目的のために生まれてきたのではなく、生まれたのちに自分の存在意義を決めていく」
という事である。
「ペーパーナイフには切るために作った職人という創造主が介入しているが、人間には存在を規定する創造主(神や職人)の介入はない」
ゆえに、サルトルは無神論の立場をとっている。
彼の思想は自分の人生は自分で切り開いていくというもので、第二次世界大戦後、絶望の中にあったフランス社会において称賛された。
作家としての活動
サルトルは作家としても非常に才能があり、特に「嘔吐」はノーベル文学賞に選出されるほどの作品であったが、彼は作家としての自由のために受賞を辞退している。
「嘔吐」に限らず、ほかの作品においても彼の実存主義的思想を色濃く反映した作品が多い。
代表作「嘔吐」の要約
「嘔吐」は元々「メランコリア」という題名の哲学書として執筆されたが、最終的には小説仕立ての作品として発表された。
長年の旅から帰ってきたアントワーヌ・ロカンタンは、18世紀の人物の伝記を毎日図書館に行き執筆する日々であった。
そんな退屈な毎日を過ごすロカンタンであったが、ある時マロニエの木を見た瞬間に吐き気に襲われる。
その後の彼は、何か物を見るたびにその吐き気に襲われるようになった。
彼にとっては世界にあるもの全てがただそこに「存在」している物体としか見れなくなってしまう。
だが彼は、レコードから流れてくる音楽を聴くと心が落ち着くようであった。
音楽とは音符の組み合わせの流れによって奏でられるものである。彼はこの旋律の流れの不可逆性に自由を見つけたのである。
ロカンタンはその後、伝記を書くことをやめて小説を書くことになる。
誰かの世界に生きるのではなく、自分の自由と創造をもってして物語を書いていく事を目指すのである。
この小説に彼の思想「実存は本質に先立つ」や、後の哲学書「存在と無」のエッセンスが詰め込まれている。
サルトルの作品一覧
小説
『壁』 Le mur(1937年)
『エロストラート』 Erostrate(1938年)
『水いらず』 Intimité(1938年)
『部屋 (小説)』 La chambre(1938年)
『一指導者の幼年時代』 L’enfance d’un chef(1938年)
『嘔吐』 La Nausée(1938年)
『自由への道』 Les chemins de la liberté(1945年、1949年)
第一部『分別ざかり』 L’âge de raison (1945年)
第二部『猶予』 Le sursis(1945年)
第三部『魂の中の死』 La mort dans l’âme(1949年)
第四部『最後の機会』(未完)La dernière chance(1949年)
『アルブマルル女王もしくは最後の旅行者』 La reine Albemarle ou le dernier touriste (1991年)戯曲
『蝿』 Les Mouches(The Flies)1943(1943年6月2日初演、シャルル・デュラン演出)
『出口なし』 Huis Clos 1945(1944年5月27日初演、R・ルーロー演出、ヴィユ・コロンビエ劇場)
『恭しき娼婦』 La putain respectueuse(1946年11月8日初演)
『墓場なき死者』 Morts sans sépulture(1946年11月8日初演)
『汚れた手』 Les Mains sales(1948年4月2日初演) (日本初演1967年9月29日-11月1日、砂防会館ホール、民芸、演出宇野重吉、出演滝沢修ほか)
『悪魔と神』 Le Diable et le Bon Dieu (The Devil and the Good Lord)(1951年6月7日初演)
『キーン』 Kean 1954(1953年11月14日初演、サラ・ベルナール劇場)
『ネクラソフ』 Nekrassov 1956(1955年6月8日初演)
『アルトナの幽閉者』 Les Séquestrés d’Altona 1959(1959年9月24日初演)
『トロイヤの女たち』 Les Troyennes 1965(1965年3月10日初演)
思想家としての活動
サルトルはアンガジェ / アンガージュマン(政治参加もしくは社会参加)の知識人として、自らの政治的立場をより鮮明に打ち出し、アルジェリア戦争の際にはフランスからの独立を目指す民族解放戦線(FLN)を支持する。
アルジェリア独立後も、サルトルはキューバ革命後のキューバの革命政権を支持するなど、脱植民地化時代における第三世界の民族解放運動への支持は一貫していた。
ソ連の立場を支持しながらも、ソ連派の共産党には加入せず、ソ連による1956年のハンガリー侵攻、1968年のプラハの春に対する軍事介入には批判の声をあげた。
やがてソ連への擁護姿勢を改め、反スターリン主義の毛沢東主義者主導の学生運動を支持するなど、独自の政治路線を展開していく。
サルトルは過去の人なのか?
1950年代の構造主義の台頭によってサルトルの実存主義が論破されたことにより、サルトルは過去の人というレッテルを張られ、急速にその名声を失っていった。
だがサルトルの思想は現在の私たちにも影響を与えている。むしろ現在その思想は見直されているのである。
アンガジュマンの思想は「社会の閉塞間の中でいかに希望をもち、自由に生きるか」
実存主義は「自由意志を持って強く自分の存在意義を確立していく」
という思想である、
インターネットでつながって、他人との比較の中で日々苦しみながら生きる現代人にとって大切な何かを教えてくれている。
サルトルは過去の人ではあるが、その思想は常に私たちに本当の自由とは何か?という事を考えるきっかけを与えてくれている。
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