人物(作家)

【文壇一の負けず嫌い!?】 夏目漱石の癖が強すぎるエピソード

夏目漱石と聞くと「吾輩は猫である」「草枕」「坊ちゃん」など数々の優れた文学作品を思い浮かべる方も多いかもしれません。

そんな漱石自身は、かなり負けず嫌いで癖が強い人物だったと言われています。

今回の記事では、漱石の独特の性格や癖が強すぎる面白エピソードに焦点を当てて、彼の違った魅力を深掘りしていきたいと思います。

夏目漱石の生い立ち

夏目漱石の癖が強すぎるエピソード

画像 : 夏目漱石 public domain

夏目漱石は、1867年に江戸の牛込馬場下(現在の東京都新宿区)にて生まれました。

漱石の祖父はかなり浪費癖があり、死ぬ時も酒の上で頓死したと言われていわれるほどの道楽者でした。
そのため、夏目家は祖父の代で財政難に陥っていまいした。

しかし漱石の父の努力の結果、夏目家は何とか財政難を克服し、持ち直すこととなります。
とはいえ、当時は明治維新後の混乱期であり、夏目家は名主として没落しつつあったのか、漱石はその後、里子や養子に出され苦労が多い幼少期を過ごしたと言われています。

大学卒業後は中学や高校の英語教師になり、明治33年には留学生としてイギリスへ渡りました。
その帰国後、明治38年にかの有名な「吾輩は猫である」を発表し一躍有名になります。
続いて「坊ちゃん」「草枕」を発表して作家としての地位を築きました。

ちなみに「吾輩は猫である」のタイトルは「猫伝」と迷った末に決まったと言われています。
詩人の高浜虚子によると、漱石は「名前はどうでもいいから勝手につけてほしい」と言い、二人で相談した結果、「吾輩は猫である」に決まったそうです。

もし「猫伝」になっていたら、ここまで有名な小説になっていたかどうか気になるところです。

負けず嫌いの自覚あり?ペンネームの名づけ

夏目漱石の癖が強すぎるエピソード

画像 : 1891年の金之助(夏目漱石)。富士登山の記念に撮影 public domain

夏目漱石の本名は夏目金之助

漱石」は中国の故事からとったと言われています。

晋の国時代、孫楚(そんそ)という人物が「もう隠居生活をしたい」という気持ちを伝えるために「石を枕にして川の流れで口を漱(すす)ぐような生活がしたい」と言おうとしたところ、「流れを枕にして石で口を漱ぐような生活をしたい」と言い間違えました。
言い間違えてるぞ」と指摘されると、孫楚は「間違ってはいない!俗世間で汚れた耳を洗いたいから流れを枕にして、俗世間で卑しい物を食べたから石で歯を磨きたいのだ」と自分の間違いを認めませんでした。

そこから転じて「漱石」は負け惜しみ、頑固者という意味を持ちます。
この話を聞いた漱石が「これは良い話だ。よし、ペンネームにしよう」と決めたのです。

自分は負けず嫌いの頑固者である、という自覚があったのでしょう。

教師時代の夏目漱石の負けず嫌いエピソード

夏目漱石の癖が強すぎるエピソード

画像 : 愛媛県尋常中学校教師の漱石(1896年3月) public domain

漱石が教師時代に、生徒から「先生、辞書と違います」と間違いを指摘された際、「それは辞書が間違っている。後で直しておくように」と言い放った話は有名です。

例え生徒から間違いを指摘されても自分の非を認めなかったと分かるエピソードは、他にも多数あります。

漱石が「I love you」を「月が綺麗ですね」と翻訳したという逸話も有名です。
これは当時、英語教師をしていた夏目漱石が、「I love you」を「私はあなたを愛している」と翻訳した生徒を叱りつけ、「日本人はそんなことは言わない。そういうものは月が綺麗ですね、とでも訳しておけ」と言った、というエピソードです。

またある日、腕を無くした隻腕の生徒が授業を受けているとき、漱石は腕が無いことに気づかず「君、腕を出しなさい」と言ってしまいました。
腕が無いんです」と生徒が言うと、ここでも漱石の負けず嫌いが発動。
私も無い知恵を絞って授業しているんだ。君もたまには無い腕を出したらどうだね」と言い放ったという逸話もあります。

ここまでくると負けず嫌い、というより人としてどうなの?という気もしてしまいますね。
これだけ癖が強い夏目漱石ですが、一方で面倒見が良く多くの人に慕われるなど、良い面もたくさんあったようです。

画像 : 「漱石山房」書斎の漱石(1914年) public domain

おわりに

夏目漱石の文章はとっつきにくい…と感じて敬遠してきた人も、漱石の人柄やその他のエピソードを知ったことで身近に感じられたのはないでしょうか。

今回の記事を通して、夏目漱石の作品をより深く味わっていただければ幸いです。

参考文献
川島幸希『英語教師 夏目漱石』(新潮選書、2000年)

 

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草の実堂編集部

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