宗教

神社の原点はどこにあるのか?それは「やしろ」と呼ばれた神霊の依り代だった

神社の原点はいったいどこにあるのか

読者の皆さんは、「神社」と聞いて何を思い浮かべますか?

神域の入り口に立つ「鳥居」、樹々に包まれた昼なお薄暗い石畳の「参道」、その先に建つ「社殿」。

また、神社によっては「狛犬」や、小川に架かる「橋」などを思い浮かべる方もいらっしゃるでしょう。

画像:今宮神社(京都)の楼門と狛犬(撮影:高野晃彰)

ですが、仕事柄、日本全国の神社を訪ねることが多い筆者は、神社の境内に立つたびに、ふと思うのです。

「そもそも神社って何だろう?」「神様って何だろう?」と……。

とはいえ、その答えはあまりにも深遠で、考えれば考えるほどわからなくなってしまいます。
ですので、今回その考察には踏み込まずにおきましょう。

そこで本記事では、「神社の原点」というテーマに絞ってお話ししていきたいと思います。

「神社」という言葉は明治時代以降に定着した

「神社の原点」を考えるうえで、まずは「神社」という言葉について、少しご説明しておきましょう。

「神社」の「神」は、もちろん「カミ様」を指します。そして、「社」は「ヤシロ」のことです。
この二つをあわせて「神社」と呼ぶようになったわけです。

「そんなことは当たり前じゃないか、いまさら何を言っているんだ!」と思う方もいるかもしれません。

ですが実は、この「神社」という言葉は、昔から使われていたわけではなく、明治時代以降に定着したものなのです。

では、そもそも神社は何と呼ばれていたのでしょうか?

『古事記』や『日本書紀』によると、神社は「やしろ」、神宮は「かみのみや」または「かむみや」などと呼ばれていたのです。

さて、ここで注目していただきたいのが、「やしろ」という読み方です。

画像:出雲大社(島根)の本殿(写真:出雲大社)

またまた文字遊びのようになって恐縮ですが、「やしろ」は、「屋」=「建物」、「代」=「その代わり」という意味で、建物を建てるため(でもまだ建っていない)の場所を表現していると解釈することができます。

つまり「やしろ」「屋」は、神様をお迎えするための小屋・祭壇であり、これが後に社殿へと発展していくのです。

原初の神社には「社殿」は存在していなかった

そもそも、神社には「社殿」が存在していませんでした。

そこにあったのは、神様が降臨されるための「聖域」としての場所だけだったのです。

しかし、せっかくおいでいただいた神様をそのままお迎えするのは失礼にあたると考えられ、簡素な神殿が建てられるようになりました。

しかもその神殿は、いわゆる「マツリ」の時だけ設けられ、「神マツリ」が終わると取り払われてしまっていたのです。
これが、神社の原初の姿でした。

ただし、いくら神様が果てしない御神徳をお持ちであっても、何の縁もない場所に都合よく降臨してくださるわけではありません。

そのため、「聖域」とは神様をお招きしやすい場所、すなわち、巨岩や巨樹など神霊の依り代(よりしろ)がある場所であったのです。

画像:神倉神社(和歌山)の磐座(写真:新宮市観光協会)

このような神霊の依り代として祭祀の対象となったものが、岩であれば「磐座」、樹木であれば「御神木」と呼ばれます。

また、そのような「聖域」において、木の枝などを立てて囲み祭壇としたものは「神籬」、岩や石を積み並べて祭場としたものは「磐境」と呼ばれ、いずれも神霊の依り代とされました。

神社の原点は聖域にある神霊の依り代だった

こうして人間によって「神マツリ」が頻繁に行われるようになると、「やしろ」、すなわち「聖域」には常設の社殿が造られるようになります。

考えてみれば当然のことです。

社殿があれば、神様がそこに常在してくださるため、願い事があるたびに、いちいち「神マツリ」を行って神霊にご降臨いただく手間が省けるからです。

画像:椿大神宮の参道と本殿(写真:椿大神宮)

このような言い方は、神様に対して失礼にあたるかもしれませんが、神霊の常在を願う人間の気持ちこそが、神社における建築物を生み出したのだと言っても過言ではないでしょう。

人間とは我儘な存在です。それは、相手が神様であっても変わりません。
そもそも、お祭りは、かつて夜、つまり闇の中で行われるものでした。

画像:大國魂神社(東京府中市)のくらやみ祭(写真:大國魂神社)

例えば、伊勢神宮の式年遷宮において斎行される重要な神事「遷御の儀」は、浄闇(じょうあん)、すなわち清らかな夜に執り行われます。

また、祇園祭の「宵宮祭」も同様に、八坂神社の境内の灯をすべて消した浄闇の中、白装束の神官たちの手によって、神霊が神輿に遷されます。

そもそも、昼間の明るい日差しの中でうろうろしている神様などいらっしゃるはずもなく、昼間に行われる「お祭り」や、神霊の常在を願って設けられた「社殿」も、すべて人間の都合によってつくられたものなのです。

画像:大神神社(奈良)の樹々に覆われた参道(撮影:高野晃彰)

さて、あらためて「神社の原点」に立ち返ってみましょう。

それは、神霊が降臨するための「聖域」、すなわち依り代の存在にあります。

もともとは神様が一時的に訪れる場所でしたが、やがて人々の祈りとともに、その地に神を常にお迎えする「鎮まりの場」として定められていったのです。

神様の御神徳は大変ありがたいものです。
神は人間の穢れを浄化し、幸福を授けてくださる尊い存在です。

皆さん、神社へお参りの際には、どうか神様への感謝の念をお忘れなきよう。
くれぐれも、お賽銭箱にお金を乱暴に投げ入れたりなさいませんように……。

※参考文献
招福探求巡拝の会著 『日本全国一の宮巡拝パーフェクトガイド』メイツユニバーサルコンテンツ刊
古川順弘著 『神社に秘められた日本史の謎』宝島社刊
文 / 高野晃彰 校正 / 草の実堂編集部

高野晃彰

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編集プロダクション「ベストフィールズ」とデザインワークス「デザインスタジオタカノ」の代表。歴史・文化・旅行・鉄道・グルメ・ペットからスポーツ・ファッション・経済まで幅広い分野での執筆・撮影などを行う。また関西の歴史を深堀する「京都歴史文化研究会」「大阪歴史文化研究会」を主宰する。

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