仏教の厳格な戒律を守りつつ、インド大乗仏教の教えをほぼ踏襲し、世界で唯一守っている宗教。
それが、『チベット仏教』である。
チベット仏教において仏の教えを悟るためには、己を磨いて極意を知らねばならないという。
指導者を「ラマ」といい、そのなかでも最高クラスのラマを『ダライ・ラマ』と呼ぶ。モンゴル語とチベット語を合わせたもので、「大海の師」を意味している。また、『ダライ・ラマ法王』と呼ばれる場合もある。
しかし、現在のダライ・ラマはチベットにはいない。インドにあるチベット亡命政府においてチベットの首長として活動するという珍しい立場を取り続けているのだ。
なぜ、このような構図が生まれたのだろうか。そして、ダライ・ラマ14世は何を成し遂げようとしているのか?
亡命政権の長へ
※ダライ・ラマ14世
1959年、国連総会が「チベット人民の基本的人権及び、自由、文化的、宗教的生活の尊重を呼びかける」法案を採択した。そこにはチベット問題を国連という世界のテーブルの上に乗せることで、「国内問題」から「国際問題」に格上げさせる狙いがあった。
ダライ・ラマ14世(以下ダライ・ラマ)が、この問題を国連で取り上げてもらうべく、熱心に活動した成果である。
ここに至って世界は、チベットの現状とダライ・ラマという亡命指導者の存在に注目したのだった。
1950年の中国人民解放軍によるチベット制圧、1959年の首都ラサにおけるチベット人による武装蜂起、そして代償として失われた多くの命。チベット亡命政府の推測だが、この紛争により8万人以上が死亡したという。おおよそ仏教界の頂点に立つ人物とはかけ離れた「武力」と「政治力」がダライ・ラマの人生を大きく変えた。
そして現在、チベットは中華人民共和国チベット自治区として、中国はその領有権を主張している。
ジャーナリズムは彼を好む
※チベットの首都、ラサのポタラ宮殿。
ダライ・ラマの世界的評価は『中国を除き』概ね好意的だ。
チベット仏教や文化の普及を世界平和と結びつけ、1989年にはノーベル平和賞を受賞している。ただ、誤ったイメージとしてありがちなのは、チベットの独立を目標にしていると思われていることだ。彼はチベットの独立を最終目標とはしていない。ダライ・ラマは中国政府との共存を模索しながら、あくまでも仏教指導者としての立場を貫いている。
そのため、世界の多くの国々は彼を『政治家』ではなく『平和活動家』の見地から高く評価しているのだ。
実際にインドが現在でも亡命チベット人を受け入れてきた背景には、ダライ・ラマが「反中国的な活動をしないことを約束している」と述べたことがある。事実、彼自身の海外の活動の多くは、ロビー活動ではなく、仏教を通した世界平和を唱えることとなった。
名言
※ノーベル平和賞のメダル
ダライ・ラマの教える道は、仏教に紐付けて哲学的・抽象的な難解な話をするのではない。亡命政府の長という立場にありながら、組織(国家・民族・宗教)としての在り方よりも「個人の心の在り方」に重きを置いた発言が多い。
ここでは、そうしたなかから、私がぜひ紹介したいと思った言葉を書き出してみた。
『1年に1度は、あなたがこれまで行ったことのない場所に行くようにしなさい。』
常に見聞を広めるというのは人生の糧になるということだ。せめて1年に1回だとしても。
『あなたが欲しいものを得られないということは、時として、素晴らしい幸運の巡り合わせであることを忘れてはいけません。』
欲しいものを得るための努力こそが大切である。といったところか。
『欲望とは、海水を飲むことに似ています。飲めば飲むだけ喉が渇くのです。』
『心とは水のようなものです。嵐で乱れれば、底の泥が浮き上がって水は濁ります。しかし、水の本質は汚いものではありません。』
どちらも非常に分かりやすい例えだ。
こうした「個人」へ向けた教えが、やがて国を変え、世界を変えるのだという信念が窺える。
知られざる一面
※ダライ・ラマ14世とアメリカのジョージ・ブッシュ大統領(2001年)
分かりやすい言葉で難しい教えを笑顔で伝えるダライ・ラマ。
マスコミもこぞって彼を好意的に捉えている。
しかし、その姿は彼の一面でしかない。そもそも亡命したのも命惜しさではなく、現在は中国国民となっている何百万というチベット人の自治を求めて活動するためだった。紛れもない政治家でもある。
ダライ・ラマ自身は非暴力の姿勢を貫き、ノーベル平和賞まで受賞しているが、少なくとも1970年代までに年間170万ドルもの資金援助をCIAから受け取っている。この資金は対中国ゲリラの資金援助や、国際的なロビー活動に使われたという。CIAからの資金を受け取っていたことはダライ・ラマも認めており、その他予測ながら個人的な月給も受け取っていたといわれる。
CIAの目的はチベットでの武力活動を通して、中国やソ連(当時)の弱体化を狙っていたのだ。
さらに亡命政府への寄付金などで得た予算の取り扱いについては不明瞭な部分も多い。
彼については、個人の名声を上げた以外に「チベットにメリットをもたらすような実績を上げたことがない」という見方をする人々もいる。
輪廻転生
チベット仏教の特徴として、「ダライ・ラマ」は輪廻転生し、「来世で誰かの肉体に生まれ変わる」か「生まれ変わらない」のどちらかを選ぶことができる。しかし、ダライ・ラマ14世は「輪廻転生しない」考えも選択肢にあることを2015年にあるインタビューで表明した。
この場合の転生とは、遠い未来のことではなく、ダライ・ラマが亡くなって間もなくのことだ。様々な方法で次のダライ・ラマが生まれる地区が予言され、予言と合致する子供を探し出し、生まれ変わりと認められればダライ・ラマになれる。
しかし、現在のチベットは事実上、中国の領土となってしまった。もし、次のダライ・ラマに中国共産党の手が伸びれば、中国の傀儡となる可能性もあるのだ。
そのため、彼は自分の代で「ダライ・ラマの継承」を終える可能性を示したのである。この時、彼は80歳だったが、周囲の人間や他国の支持者の意見を参考に90歳(2025年)までには結論を出したいともしている。もっとも、中国側は「裏切り者」と批難しているのだが。
最後に
私の個人的な考えとしては、ダライ・ラマ14世は人格者なのだと信じたい。
しかし、彼の周囲の人間まで必ずしも人格者であることはないだろう。活動には莫大な金が必要だ。そのために敢えて目を瞑る活動もあったはずである。
ダライ・ラマのいう「チベットの完全自治」は叶えられなくても、彼が世界に残した平和への思いは確実に人々の意識を変えている。
その意味でも今後も活動を続けてほしいものだ。
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