宗教

七福神と仏教の関連について調べてみた

福をもたらすとされる神への信仰は中世から始まったとされる。
室町時代、地位が高い人々ではなく、町の衆の中で現世における金銭や蓄えている財の観念が発達していった。
それまでは地位の高い人々によって文化や信仰が始まり、発達していくことが多かった。
室町時代に現代でいう一般市民の中でも文化や信仰が出来ていく。
中でも信仰に視点をあてれば、様々な「福」が存在する中で、現世の御利益を求める人々が徐々に増えて各地に広まり、福の神に対する信仰は民間の人々が行う信仰として発達していったのである。

七福神の7人の神

※歌川国芳(1798–1861)の浮世絵の七福神 wikiより

七福神」はその名の通り福徳をもたらす神として信仰された。
そして現代も信仰され続けている七人の神のことである。
現在ではインドの神である「大黒天(だいこくてん)」「毘沙門天(びしゃもんてん)」「弁財天(べんざいてん)」、中国の神である「寿老人(じゅろうじん)」「福禄寿(ふくろくじゅ)」「布袋(ほてい)」、唯一の日本の神である「恵比寿(えびす)」を指している。

しかし、「大黒天」「毘沙門天」「弁財天」「寿老人」「福禄寿」「布袋」「恵比寿」に定まるまでには、民に福徳をもたらす、毘沙門天の妹(妻とも言われる)の女神である「吉祥天(きっしょうてん)」や、緋色の長い毛を持ち、人の言葉を理解すると言われる、中国の伝説上の生き物である「猩々(しょうじょう)」が七福神の一員となっていたこともある。
補足だが「猩々」は実はオランウータンであるという説もある。

七福神はいつから存在したのか

「七福神」がいつの年に、何人(なんぴと)によって言い出されたのかは、多く残る中世の文献にも記載されておらず、近世の文献にも記載がないので、はっきりとしていない。
だが、室町時代の狂言の題目に『七福神』というものがあることから、室町末期にはどの七人の神かは定まっていなくても「七福神」というものが存在していたと言える。

また「七福神」が全員そろっている『梅津長者物語』が書き上げられたのは室町時代であり、狂言『七福神』も「七福神」がそろっているものの中で、比較的古くから存在している演目である。

「福神」という言葉は、鎌倉時代の古辞書『塵袋(ちりぶくろ)』に記載されている。

◆『塵袋』より抜粋
1.“福の神”を宇加(うか)と申す心如何。
<略>宇加の女神と申すは、宇加の神なり。おんながみなれば宇加の女とは云えり。此の宇加の神、“福神”にて、翁が家もほどなく楽しくなりにけるなるべし。保食神(うけもちのかみ)とこの神と一つに通ひ給へるにもあらん。くちはなを今の世に宇加と云ふは、宇加の神の蛇の形に変じて人に見え給ふ心か。実のくちはなは名にばかりの福分かあらん<略>
*「宇加神」…仏教で説く福神のひとつ。→弁財天との関連が見られる。
*「保食神」…稲をつかさどる神。

この『塵袋』は一二六四~一二八八年頃に完成しているため「七福神」の成立、そして「七福神信仰」は室町時代に始まり、発達して広まっていったと言えるのである。

「七福神」が現在の七人の神に定まるまでには幾度も変遷があった。
かつて「福禄寿」と「寿老人」が同一視されることもり、その代わりとして「吉祥天」や「猩々」などの神の出入りがあった。
それにも関わらず、決して「六福神」「八福神」という存在にはならなかった。
このことから「」という数字はどのような意味があるのかを仏教から考えていきたい。

七福神と仏教の関係

室町時代は類をもって集め、名数的にモノを数えることが流行しており、「七福神」も名数的にモノを数えるところから生まれた中のひとつであったと考えられる。
そして、室町時代は現代よりもはるかに仏教の影響は多大であったことは言うまでもない。

仏教の経典の一つに「仁王護国般若波羅蜜教(にんのうごこくはんにゃはらみっきょう)」というものがある。
この中に

「南閻菩提には十六大国・五百中国・十千小国有り。その国土の中に七災難有り。一切国王この難のための故に、般若波羅蜜教を講読す。“七難即滅”、“七福即生”、萬姓安楽、帝王歓喜す」

と記されている部分がある。
これが「七福神」の由来であるという説であり、有力視されている。

江戸時代、“七福即生”の「七福」は「有福・威光・愛敬・寿命・人望・大量・清廉」と言われたが、これは七福神の性格に基づいて後付されたものであるため、“七福即生”の「七福」が本来何を指しているのかは明らかではない。
江戸時代に言われ始めた「有福・威光・愛敬・寿命・人望・大量・清廉」から七福神は現代で言われている七人の神に定められたのではないかと察せられる。

また、仏教において、人が亡くなった後の初七日や七×七の四十九日は重要な日である。
これは現代にも強く根付いている。
特に七×七の四十九日は、閻魔大王に自らの生前の行いを裁かれる日とされ、現世でも仏事が行われる。

七福神と仏教の関連について調べてみた

※成相寺の閻魔像 wikiより

このことから「七」が仏教の中で重要視されていることは間違いない。
そして七福神の中の「大黒天」「寿老人」「福禄寿」は【寿命を司る神】であり、命にまつわる神が七福神の中に三人も選ばれていることにも関連しているはずである。

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草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

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