古代文明

【2千年前に書かれた世界最古の聖書 】 死海文書の謎

1948年春。英国の新聞タイムズ紙は、センセーショナルなニュースを報じた。

数千年前のものと思われる旧約聖書の写本がパレスチナで見つかったのである。

パレスチナと言えば、イスラム教、ユダヤ教、キリスト教という三大宗教の聖地エルサレムがある場所である。古代ヘブライ語によって記されたこの写本の発見は、考古学界のみならず、宗教界にも大きな衝撃を与えることとなる。

キリスト教誕生の通説をも揺るがす「死海文書」という大いなる謎が幕を開けた。

死海文書の謎

画像 : 死海文書 wiki c

封印が解かれた死海文書

「死海文書」を発見したのは、パレスチナの荒野を行き来する遊牧民タ・アラミーの少年だった。名はムハムマド

羊飼いだった彼は、放牧の途中で群れから外れてしまった一頭の羊を追い、クムラン渓谷の洞窟へと迷い込んだという。

洞窟内には、陶土製の壺が大量に転がっており、中には割れている物もあったが、封をされたまま完全な状態で残っている物もあった。ムハムマド少年は、早速壺を調べ、中に古い羊皮紙の巻物が入っているのを見つける。そこには、見たことのない古代文字が書かれていた。

その後、謎の古文書は大人たちの手へと委ねられる。他の洞窟内からも壺に入った巻物や羊皮紙の断片数万点が発見され、完全な巻物としては七巻が揃った。それらは総称して「七つの死海文書」と呼ばれている。

さらに有識者らによって、巻物に書かれている文字が古代ヘブライ語であると確認されると、詳しい調査のため国際チームが発足された。

文書が作成された年代については、炭素14を測定するC14や加速器質量分析法など最新の鑑定が実施されたものの、それぞれの測定結果には開きがあり、紀元前後に書かれたということの断言にしか至っていない。

死海文書の謎

画像 : 文書が発見されたクムラン第四洞窟 wiki c

誰によって書かれたのか

死海文書が隠されていたクムラン渓谷の洞窟から800メートルほど離れた場所に、ヒルベト・クムランという古代遺跡がある。

古代ローマ軍の駐屯地と考えられていた場所だが、1956年の発掘調査によって、クムラン宗団という古代ユダヤ教の一派が住んでいたのではないかという説が浮上した。遺跡内には巨大な貯水槽があって、食堂や寄宿舎も備わっており、修道士たちが集団で共同生活を送っていたことが窺える。

さらに驚くべきことに、写経室と見られる部屋があり、中には陶製のインク壺や字の練習に使った陶片も見つかったのだ。この調査結果から、死海文書を書いたのは、ヒルベト・クムランにいたクムラン宗団だったのではないかという説が濃厚となっている。

死海文書はなぜ隠されたのか

死海文書の謎

画像 : 発見時の巻物の様子の再現 wiki c

では、死海文書を書いたのがクムラン宗団だったとして、なぜ彼らは洞窟の奥深くに文書を隠したのか。

その疑問を解くには、ヒルベト・クムランの歴史的変遷を知る必要があるだろう。

紀元前後のパレスチナ周辺といえば、ローマ帝国の支配下にあった地域であり、ユダヤ教の一派であるクムラン宗団が拠点としていたヒルベト・クムランでも、紀元66年頃からローマ帝国との対立が激化していたと考えられている。

相次いで反乱を起こし、果敢に戦ったユダヤ教徒たちだったが、68年にローマのウェスパシアヌス将軍によって攻撃を受け、遂には敗北へと追い込まれる。

このような動乱のさなか、クムラン宗団はユダヤ教の秘儀を記した神聖な文書を、ローマ軍に侵されない場所に隠したのではないかと考えられるのだ。

死海文書の言う「義の教師」とは

死海文書の謎

画像 : 死海文書 銅の巻物 wiki c

死海文書は、アラム語の楷書体であるヘブライ文字で書かれている。アラム語とは古代中近東で広く使用されていた言語だ。死海文書の三分の一は旧約聖書の写本であり、残りは自らを「ヤハド」と名乗る宗団の教義や預言が占めている。

注目すべき点は、「義の教師」と呼ばれる指導者の存在だ。

記述から読み解くと、義の教師は神の啓示を受けた預言者であり、集団の崇敬の対象であったとされる。しかし、対立する「悪しき祭司」によって迫害や拷問を受け、やがては殉教したというのだ。

このストーリーを聞いて思い出すのは、あのイエス・キリストではないだろうか。

仮に死海文書の「義の教師」がキリストだとすると、初期キリスト教はユダヤ教の一派から派生したという可能性が高くなる。しかし、これはキリスト教にとっては認めることのできない仮説だ。

死海文書を巡るスキャンダル

ほぼ完全な形で発見された「七つの死海文書」のほかにも、洞窟内からは膨大な数の羊皮紙の破片が見つかっている。そのため、死海文書の全貌はいまだ明らかになっていない。

調査のために編成された国際チームが、死海文書を私的占有したために公開が遅れたという非難も報じられたが、その裏には、護教を維持するバチカンの陰謀があるのではないかとも囁かれている。

2022年3月には、死海文書の新たな数十個の断片がユダヤ砂漠の洞窟から発見されている。新たな断片が見つかったのは約60年ぶりである。

二千年以上も前に謎の宗団によって記された死海文書。多くの人を魅了するこの謎解きは、まだまだ始まったばかりだ。

関連記事 : 死海文書のすべて

 

草の実堂編集部

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草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

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