総理大臣が靖国神社を参拝すると、たびたびニュースで「靖国問題」として取り上げられます。
皆さんは「靖国問題」とはどんな問題だと思いますか?
「靖国神社には第二次世界大戦での戦犯が祀られているため、日本の大臣が参拝すると当時侵略されていた中国や韓国が怒る」
こういったイメージとして捉えている方が多いかと思います。
一方で
「祀られている人たちはお国のために戦ったんだから、もっとちゃんと祀るべきだ」
と主張するたちもいるため、一層ごちゃごちゃとした問題になっています。
靖国神社は、他の神社には見られない特異な体質と歴史を持っており、これがさらに複雑性を増しています。
今回の記事では靖国神社の変わった特徴2つと、独特の歴史について詳しく見ていきます。
靖国神社の変わった点① 祀られている神さまが名簿になっている
靖国神社では亡くなった方が神さまとして祀られており、「名簿」という形で納められています。
名前や住所、亡くなった場所などが記載されていると言われており、神さまを名簿上で管理している神社は靖国神社以外にありません。
靖国神社の変わった点② 神さまの数が桁違いに多い
さらに靖国神社では、祀られている神さまの数が他の神社と比べ、桁違いに多いことも特徴の一つです。
その数なんと246万6千余。名簿にそれだけの神さまが記載されているということです。
神社によっては神さまを複数祀っているところもありますが、さすがに264万も祀っているところは靖国神社だけです。
「亡くなった方を後からどんどん追加で神さまとして祀ってきた」という歴史があるのも、靖国神社が持つ変わった特徴の一つです。
戦前まで軍隊が管理していたという異例の歴史
もともと靖国神社は、幕末の戊辰戦争で明治政府側として戦い亡くなった人を慰霊するための場所として作られました。
「江戸無血開城」と言われるくらい、明治維新は大きな争いなく歴史が変わったという印象を持つ方もいるかもしれませんが、実際は各地で内乱が勃発していました。
その際、明治政府は政府側の戦死者を靖国神社で慰霊することにしたのです。
もともとは戦死者を弔うための仮の場所、としてスタートした靖国神社でしたが「明治維新に協力した藩の印象を良くしたい」「軍の兵士の士気をあげたい」など色々な理由から格があがり、神社へとレベルアップします。
しかし、神社へ格上げされても「戦没者を祀っている」と、軍がそのまま管轄し続けます。
そうして靖国神社は「軍が管理している戦没者を祀る神社」として、日清戦争や日露戦争など日本が関わった戦争で亡くなった戦死者や、戦病死者を追加でどんどん祀っていきました。
その後、第二次世界大戦が終了し日本の軍隊が解体されると同時に、靖国神社は民間の宗教法人となります。
戦後、海外に残っている兵士たちを日本に戻すために厚生省に引揚援護局という局が出来るのですが、その局は戦没した兵士の名簿を作って靖国神社に渡しました。
これは、戦後制定された政教分離の原則を考えると違反していますが、引揚援護局の構成員はみんな元軍人でした。
「元軍人でなければ、引き揚げの対象となる人たちが何処にいるのかわからない」という事情もあったため仕方が無かったのかもしれませんが、局は原則を無視して名簿を渡し続け、受け取った靖国神社は神さまとして追加で祀っていきました。
そうして靖国神社に祀られた戦没者は、本名の後に「命(みこと)」女性は「媛命(ひめのみこと)」と名前を与えられて、神さまとして扱われることになります。
しかし「名簿に記載して慰霊すれば神さまになれる」という考え方の根拠は特にはありません。
靖国問題がニュースで報道されたことで「戦犯だけ分けたら良いのでは?」という意見が出ましたが、靖国神社は「それは出来ない」としています。
神道には経典がなく開祖もおらず、教義や救済もない「ない宗教」と言われるくらいなりゆきの部分が多く、そのはっきりしない不明瞭さが靖国問題を長引かせている一因とも言えそうです。
終わりに
靖国神社には他にはない独特な特徴や歴史的背景があり、多くの議論や感情が交錯する場所だと言えるでしょう。
靖国神社を取り巻く状況やその歴史的な位置付けを知ることで、日本の文化や社会、ニュースなどに対してより深い洞察が得られるようになるかもしれません。
今回の記事が、靖国神社に関する新しい視点や理解を得る手助けになれば幸いです。
参考 :
靖国神社問題を分かりやすく整理してみる | 出雲大社紫野教会
靖國神社の由緒|靖國神社について|靖國神社
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