七福神のメンバー「大黒様」といえば、打ち出の小槌を持ったふくよかな顔立ちで、豊穣の神さまとして商売繫盛・金運を高めてくれることで有名です。
こんな温和なイメージの大黒様ですが、もともとは「死神」だったことをご存知でしょうか。
今回の記事では、そんな物騒な神様だった大黒様がどのようにして現在の姿に落ち着いたのかを見ていきます。
温和な表情の大黒様は、実は死神だった
ヒンドゥー教では「マハーカーラ」と呼ばれる神様がいます。
これは直訳すると「大いなる黒いもの」つまり「大黒」です。
大黒様は「温和で人を助けてくれる神様」というイメージがありますが、実は「カーラ」という言葉の意味は「死神」。
マハーカーラは破壊神シヴァの別名のひとつで、シヴァ神が世界を灰にする時「マハーカーラ」、つまり「大黒様」になるとされているのです。
大黒様はもともと戦闘や破壊、冥府といったイメージが強い神様であり、破壊神・戦闘神として闘いを続ける神様なのです。
私たちが想像する柔和な顔の大黒様とは、かなりかけ離れています。
実際、インドやネパールでは鬼のような怒った顔をして描かれていることが多く、手に武器を持っていたり、ドクロの装飾品をつけていたり…とかなり怖い印象で描かれています。
こんな物騒な神様でしたが、仏教は仏の教えを守る「護法神」として取り入れました。
大黒様は「仏教の神様」と考える方が多いと思いますが、ヒンドゥー教から仏教へと移り変わった結果、仏教の神様になったというわけです。
仏教は懐が深く、異国の神様であろうとすべて柔軟に取り入れてしまうところが面白いですね。
恐ろしい怒った表情をしている大黒様はこうして仏教に取り入れられましたが、インドでもただ怖い神様として祀られたというわけではなく、なぜか台所に置物や像が置かれ、「台所の神様」としても祀られたと言われています。
そして大黒様の信仰は中国へと渡り「台所の神様」「戦闘を司る神様」というイメージが薄くなってから、平安時代に日本にやってきたのです。
しかし、日本では長らく「仏教」と「神道」の区別が明確にされていませんでした。
そのため、大黒様を始めとした七福神は、寺と神社の両方で祀られることになります。
大国主命と同一視されるようになる
そして中世以降、大黒様はまた新たな解釈がされるようになりました。
「ダイコク」という音が同じことから「大国」と混同されるようになったのです。
「大国」は「オオクニ」と読むとピンとくる方もいるかもしれません。
そう、「大国主命(オオクニヌシノミコト)」です。
大国主命といえば「因幡の白兎伝説」が有名です。
また、日本神話では国を造る大偉業を成し遂げた国津神(地上で生まれた神さまのこと)を代表する神様として描かれています。
大国主命は、ヤマタノオロチを退治することで有名な 素戔嗚尊(スサノオノミコト)の子供、もしくは6代目の子孫とされています。
国造りという大偉業を成し遂げるも、天照大御神(アマテラスオオミカミ)が「作った国をこちらによこせ」と言い出し、大きく抵抗することなく国を譲ったという賢明な神様です。
「ダイコク」という音が同じこと、そして神道の神さまたちは、実は様々な仏さまたち(菩薩や天部なども含む)が姿を変えて現れたとする本地垂迹説の考え方から、大国主命と大黒様は同一人物と考えられるようになり、信仰を広げていったのです。
さらに大国主命が燃え盛る火の中で、ネズミに脱出口を教えてもらったおかげで助かったという神話から「ネズミ」つまり「子(ね)」の神信仰とも結びつきました。
現在でも関東地方を中心に多く見られる「子」の神社では、大国主命と一緒に大黒様が祀られていますが、こういった理由から来ているのです。
七福神のメンバーに加入したことで現在の姿に
そして、私たちにとってなじみ深い神さまである「七福神」の一人となったことで、大黒様は知名度を爆発的にアップさせ「商売繁盛の神様」として恵比寿さまと共に、家庭でも祀るようになったのです。
ちなみに大黒さまと恵比寿さまは、ほぼセットで祀られていますが、実はこの二人は親子関係という設定です。
「大黒様は大国主と同一視されるようになった」と前述しましたが、この大国主の息子に当たる事代主(コトシロヌシ)という神様が、恵比寿さまのモデルになったとされています。
色々な変遷を経て、現在の姿に落ち着いたというわけですね。
おわりに
「財福の神様」というイメージの大黒様ですが、意外な歴史を持っていたことが分かりました。
インドでは恐ろしい表情をした死神である大黒様は、日本にやってきて性質が変わり表情も柔和になったのです。
私たちが思い浮かべる「大黒様」は、日本独特の姿なのです。
参考 :
目からウロコの日本の神様 著:久保田裕道
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