キタと並ぶ大阪有数の繁華街・ミナミの道頓堀と千日前。
心斎橋方面から道頓堀に架かる戎橋を渡ると、元気いっぱいのグリコの看板が出迎えてくれる。
しかし、昼夜を問わず国内外からの観光客でごった返すこの場所は、江戸時代を通じて芸能の街であると同時に、刑場と火葬場・墓地があり、漂う霊魂を鎮める鎮魂の街でもあった。
今回は、知られざる道頓堀・千日前の歴史について紹介しよう。
道頓堀に架かる戎橋は鎮魂の街の入り口
阪神タイガースが優勝すると人々が飛び込む道頓堀川は、実は元々人工の運河である。
安土桃山時代、平野七家出身の商人・成安(安井)道頓が豊臣氏の許可を得て、私財を投じて開削工事を進めた。
道頓が大坂夏の陣で討死すると、従兄弟の安井道卜らがその遺志を継ぎ、工事を完成させた。そのため、道頓の功績を称えてこの運河は「道頓堀」と名付けられたのである。
戎橋は多くの人々がたむろし、写真撮影に勤しむ場所であるが、元々は千日前墓地を通り、今宮戎神社へ向かう表参道の橋であった。
つまり、この橋が鎮魂の街への入り口であったということになる。
法善寺一帯は、かつて刑場と火葬場だった
戎橋を渡り、人々で賑わう道頓堀を南へ歩くと、千日前通りの間に法善寺がある。
本尊に阿弥陀如来を祀る浄土宗の寺院で、1637年(寛永14年)に琴雲によって創建された。
特に有名なのは、全身が緑色の苔で覆われた西向不動明王、通称「水掛不動」である。
願い事の手助けや後押しをしてくれるという御利益を求めて、昼夜を問わず、老若男女の参詣で賑わっている。
水掛不動のすぐ横には稲荷大明神が祀られている。
他にも観世音、歓喜天、弁財天などがあり、この一画はまるで神仏の集合住宅のような様相を呈している。
法善寺は昔「千日寺」とも呼ばれ、千日念仏を行う寺であった。
寺域一帯にはかつて刑場、火葬場、千日前墓地があり、隣接する竹林寺、自安寺、榎神社などとともに、死者を弔うための寺院としての役割を担っていた。
1845年(弘化2年)に描かれた『弘化改正大坂細見図』には、「千日墓」と記された千日前墓地があり、荼毘に付す焼き場や「刑場」と記された処刑場も描かれている。
戎橋の北に広がっていた色里、道頓堀の芝居小屋、そして命の終焉の地である千日前の弔いの寺院。江戸時代には、遊興地とセットで処刑場や墓地が配置されていた。
つまり、法善寺が建つ場所は、かつてはあの世への入口である「地獄門」であり、人々の様々な情や怨念が染みついている場所だった。
それゆえに法善寺は昔も今も、人々の信仰を集める場なのである。
大坂夏の陣の後に整備された「千日前墓地」
法善寺を南へ進むと、千日前通りを挟んでビックカメラなんば店がある。実はここが千日前墓地の跡地である。
千日前墓地は、大坂の陣の後の1615年(慶長20年)に墓地として整備され、刑場と火葬場も併設された。当時、墓地や刑場は市内の外れに作られるのが慣例で、千日前墓地の南側は何もない場所であった。
現在のビックカメラの場所が東墓地、アムザ1000が西墓地と刑場、なんばオリエンタルホテルが火葬場と祭場の跡地である。そして、千日前二番街の場所が灰山で、ここには荼毘に付された遺骨が積み上げられていたという。
今もまことしやかに語る継がれる怪談
こうした場所ゆえに、千日前には怪談を中心とした都市伝説が今も語り継がれている。
千日前墓地は、明治維新を迎えると阿倍野に移転し、その跡地には歌舞伎座が建てられた。その後、この建物を受け継いだのが千日デパートという複合施設である。
しかし、千日デパートは1972年(昭和47年)に火災に見舞われ、100名を超える死者を出した。死者の半数以上が最上階のクラブで働いていたホステスたちだった。この火災からしばらくして、付近で亡くなったはずのホステスの姿を見たという目撃談が頻繁に語られたという。
その12年後、千日デパートの跡地に建てられたのがプランタンなんばであった。
当時はエレベーターガールが勤務していたが、次々と辞めてしまうという事態が起きた。
さらに、エレベーター内で流すテープに「ザワザワ」という人の声が混じることがあり、もちろんこれはテープ制作時には入っていないものであった。また、夜の警備員もすぐに辞めてしまったという話も伝わっている。
プランタンなんばが閉店した後、現在のビックカメラなんば店が建てられた。また、近くにはお笑いの殿堂・なんばグランド花月もある。
しかし千日前では、今もまことしやかに怪談めいた話が語られることが多い。
この場所には、300年近い年月で染みついた人々の情や怨念が息づいているのかもしれない。
※参考文献
高野晃彰編 大阪歴史文化研究会著 『大阪古地図歩き』 メイツユニバーサルコンテンツ刊 2020.4
高野晃彰編 大阪歴史文化研究会著 『大阪歴史探訪ガイド』 メイツユニバーサルコンテンツ刊 2015.12
栗本智代著 『大阪まち歩き』 創元社刊 2013.2
この記事へのコメントはありません。