城,神社寺巡り

『日本最古の官寺』聖徳太子ゆかりの四天王寺に行ってみた | 創建から1400年

大阪市天王寺区には、聖徳太子ゆかりの古刹として知られる四天王寺があります。

今回は現地を訪れ、創建期の面影を今に伝える伽藍の特徴と、現在の四天王寺が持つ姿について分かりやすくご紹介いたします。

四天王寺の創建

画像 : 創建時の四天王寺伽藍模型南(この画像では右から左へ)中門、五重塔、金堂、講堂を一直線に配置するのが特色。Yanajin33 CC BY-SA 3.0

四天王寺は、今から1400年以上前の593年(推古天皇元年)に創建された、日本最古の官寺です。

『日本書紀』によれば、物部守屋と蘇我馬子が争った戦いの際、聖徳太子(厩戸皇子)は崇仏派の蘇我氏の側に立っていました。

しかし戦況が不利になったため、太子は自ら四天王像を刻み、「この戦いに勝利できたなら、四天王をまつる寺を建て、人々を救う場とする」と誓願されたと伝えられます。

勝利の後、その誓いを実行に移されたのが四天王寺の始まりとされています。

伽藍の構成は「四天王寺式伽藍配置」と呼ばれ、南から北へ中門、五重塔、金堂、講堂が一直線に並び、その全体を回廊が囲むというものです。

この形式は中国や朝鮮半島に由来し、6〜7世紀の大陸の建築様式を今に伝える貴重なものとされています。

画像:回廊の奥に見える五重塔 筆者撮影

四天王寺の近代における苦難の道程と現在

創建以来、四天王寺は数多くの災害に見舞われ、そのたびに修理や再建を重ねてきました。

明治時代に入ると神仏分離令が施行され、寺に付属していた神社が分離されるなど厳しい状況に置かれましたが、四天王寺は庶民信仰の拠り所として「お太子さまの寺」と親しまれ、行事や信仰は変わらず続けられました。

昭和期に入っても苦難は続きます。

昭和9年9月21日に近畿一円を襲った室戸台風では、五重塔が倒壊し、金堂は大きく傾き、仁王門(中門)も壊滅するなど、境内全体が甚大な被害を受けました。

その後、昭和15年(1940年)に五重塔が再建されましたが、わずか5年後の昭和20年(1945年)の大阪大空襲によって再び大きな損害が生じ、六時堂や五智光院、本坊方丈など一部の建物を除き、境内の大半が焼失してしまいました。

それでも戦後、多くの方々の尽力によって復興が進み、昭和38年(1963年)には主要な伽藍が、続く昭和54年(1979年)には聖霊院奥殿・絵堂・経堂などが再建され、戦前の姿が取り戻されました。

現在「中核伽藍」とされている中門、五重塔、金堂、講堂は、いずれも昭和38年に創建当時の様式を忠実に再現する形で再建されたものです。

画像:四天王寺の五重塔 筆者撮影

画像:四天王寺の金堂 筆者撮影

宗派について見ると、四天王寺は長らく天台宗に属していましたが、戦後まもなく天台宗から独立し、新たに「和宗」が設立されました。

四天王寺はその総本山となり、仏法の興隆と聖徳太子の精神を受け継ぐことを根本の願いとして歩みを続けています。

また、四天王寺には、聖徳太子が創建時に定めた「四箇院」という理念があります。

これは、教育・医療・救済などを通して人々を助けるための4つの施設を指すもので、太子の福祉思想を象徴する取り組みでした。

この理念は現代にも受け継がれています。

教育の分野では学校法人四天王寺学園が国際的な視野を持った仏教教育を実施し、福祉の分野では悲田・施薬・療病に相当する事業を、社会福祉法人四天王寺福祉事業団が中心となって継承し、時代に合わせて発展させています。

聖徳太子について

画像 : 『絹本著色聖徳太子勝鬘経講讃図』(鎌倉時代)より、聖徳太子の部分 public domain

聖徳太子(厩戸皇子)は、日本史上でも特に広く知られた人物であり、仏教を通して国家の安定と礼法の整備に尽力した存在として評価されています。

太子は、後に用明天皇となる橘豊日皇子の第二皇子で、推古天皇が即位すると皇太子として政治を支え、国の制度づくりに深く関わりました。

太子に関する詳細はここでは省きますが、古くから庶民の間で特別な崇敬を集め、「太子信仰」と呼ばれる信仰形態が各地で育まれてきました。

また、信仰の世界では「救世観音」の化身とみなされることもあり、四天王寺をはじめ多くの寺院で太子ゆかりの伝承が大切に語り継がれています。

石の鳥居の不思議

画像:四天王寺石鳥居(撮影:高野晃彰)

四天王寺の南西側の参道には、寺院としては珍しい石の鳥居が建っています。

寺院に鳥居があることに違和感を覚える方もおられますが、日本では古くから神道と仏教が共存する「神仏習合」が一般的で、寺院に神社的な要素が見られることは決して例外ではありません。

現在の四天王寺には鎮守社こそありませんが、歴史を振り返ると鳥居の存在は特に不自然なものではないといえます。

また、鳥居という構造自体は、その起源をたどるとインドで聖域を区切る門に通じるとされ、日本でも古くから聖地を示す象徴として用いられてきました。

その意味では、日本最古の官寺とされる四天王寺に鳥居があることには十分な背景があります。

現在立つ石鳥居は、1294年に僧・忍性が、それまでの木造鳥居を石造へと改めたものと伝わります。

上部に掲げられた扁額には「釈迦如来転法輪処当極楽土東門中心」と刻まれており、「ここは釈迦如来が法を説く浄土の東門である」という意味を示しています。

寺院の正面に据えられた門としてだけでなく、極楽浄土を象徴する重要な遺構でもあります。

終わりに

現在の四天王寺は、甲子園球場の3倍ほどに及ぶ広大な敷地を有し、中心伽藍をはじめ多くのお堂や建物が整然と並んでいます。

境内にはさまざまな信仰や祈りの形が共存しており、歴史の積み重ねがそのまま息づく独特の雰囲気があります。

奈良の古寺のような静謐な趣とは少し異なりますが、創建当時の様式を忠実に再現した中核伽藍は見応えがあり、古代寺院の空気を感じられる貴重な空間です。

あべのハルカスや天王寺公園からも近くアクセスも良いため、大阪を訪れる際には一度足を運ばれることをおすすめいたします。

四天王寺 基本情報

住所
大阪府大阪市天王寺区四天王寺1-11-18

拝観時間(中心伽藍・庭園)
•4月〜9月:8:30〜16:30
•10月〜3月:8:30〜16:00
※毎月21日(大師会)・22日(太子会)は、早朝から開門される特別参拝時間となる場合があります。

拝観料(一例)
•中心伽藍:大人500円
•庭園:大人300円
※拝観料は時期により改定が行われることがあります。

アクセス
•Osaka Metro 谷町線「四天王寺前夕陽ヶ丘駅」より徒歩約5分
•JR「天王寺駅」北口より徒歩約10〜15分

車・駐車場
南大門周辺に時間貸し駐車場があります(料金・利用時間は変動するため、利用時に要確認)

参考 :
四天王寺公式HP
聖徳太子と四天王寺(石川知彦監修/和宗総本山四天王寺編集)他
文:撮影 / 草の実堂編集部

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草の実堂編集部

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草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

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