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『古都奈良の文化財』に選ばれなかった2つの寺院に行ってみた 「西大寺と大安寺」

「古都奈良の文化財」に選ばれなかった2つの寺院

世界文化遺産の「古都奈良の文化財」の構成要素に選ばれている5つの寺院は、いずれも「南都七大寺」と呼ばれている寺院です。

しかし、南都七大寺でありながら、この構成要素に選ばれなかった寺院も存在します。それが西大寺大安寺です。

今回は、「古都奈良の文化財」に選ばれなかった西大寺と大安寺を訪れて、その魅力と背景を探ってみました。

世界遺産「古都奈良の文化財」の構成要素とは

画像:東大寺大仏殿 wiki c 663highland

平成10年に世界文化遺産として登録された「古都奈良の文化財」は、東大寺、興福寺、元興寺、薬師寺、唐招提寺の五つの寺院と、春日大社および春日山原始林、そして平城宮跡で構成されています。

文化庁による解説は以下です。

奈良は710年から784年までの日本の首都であり、政治・経済・文化の中心として栄えました。この時代に中国(唐)との交流を通して日本文化の原型が形成されました。また、首都が京都へ移った後も、大社寺を中心にした地域が宗教都市として存続し、繁栄しました。『文化庁』

往時の面影を残す宮跡・寺院・神社が選定されており、奈良時代の建造物や、鎌倉時代までに再建された奈良時代の建築様式を維持している国宝指定の建造物が選ばれています。

ちなみに、ユネスコの規定では容易に移動させることができる仏像(東大寺の大仏のような巨大なものは除く)や、文物・宝物は世界遺産選定時の対象外となっています。

具体的には、東大寺には南大門(鎌倉時代)、法華堂(奈良時代)、鐘楼(鎌倉時代)、大仏殿(江戸時代)、開山堂(鎌倉時代)、転害門(奈良時代)、本坊経庫(奈良時代)、正倉院正倉(奈良時代)、二月堂(江戸時代)の9棟が国宝建造物に指定されています。

また、興福寺では北円堂(鎌倉時代)、三重塔(鎌倉時代)、五重塔(室町時代)、東金堂(室町時代)の4棟が国宝です。

元興寺でも極楽坊本堂・禅室(いずれも鎌倉時代に改築)の2棟が国宝に指定されています。

薬師寺には東塔(奈良時代)と東院堂(鎌倉時代)の2棟が、唐招提寺には金堂(奈良時代)、講堂(奈良時代)、鼓楼(鎌倉時代)、宝蔵(奈良時代)、経蔵(奈良時代)の5棟が国宝に指定されています。

春日大社では本社本殿4棟(江戸時代)が国宝です。

南都七大寺とは

南都七大寺とは、奈良時代に平城京やその周辺に存在し、朝廷の庇護を受けた7つの官寺を指します。

この名称は平安時代の私選歴史書『扶桑略記』に初めて登場し、「東大寺、興福寺、元興寺、大安寺、薬師寺、西大寺、法隆寺」が挙げられています。

画像 : 法隆寺 金堂(左)と五重塔(右) wiki cc Nekosuki

しかし「法隆寺」は平城京から離れた斑鳩にあるため、法隆寺の代わりに「唐招提寺」を含める場合もあります。

現在の日本史では、「南都六宗が学ばれていた南都七大寺」として唐招提寺を含めた説の方が馴染み深いでしょう。

法隆寺は聖徳宗であり、南都六宗を学び伝える寺院ではなく、また世界遺産「古都奈良の文化財」とは別に、平成5年に「法隆寺地域の仏教建造物」として先に世界遺産に登録されていることからも、こちらの説の方が分かりやすいかもしれません。

西大寺

画像:西大寺東門 筆者撮影

西大寺は奈良時代、称徳天皇の鎮護国家の勅願により建立され、東大寺に匹敵する西の大寺院として栄えました。

しかし、平安遷都後は「旧都の寺」として朝廷から次第に顧みられなくなり、災害にも見舞われて急速に衰退し、平安中期以降は見る影もなくさびれてしまったと伝えられています。

鎌倉時代には叡尊上人によって再建が進められましたが、室町時代の兵火で多くの堂塔を失いました。

画像:西大寺四王堂 筆者撮影

現在の寺域は約1万坪弱で、そこには江戸時代中期に再建された本堂、愛染堂、四王堂、不動堂、大黒堂、大師堂、鐘楼、南門、東門などが建ち並んでいます。さらに、境内には五つの塔頭寺院もあり、それなりの風格を残しています。

しかし、これらの建造物のうち、重要文化財に指定されているのは本堂だけで、国宝の建造物は一つもありません。この点が、西大寺が世界遺産「古都奈良の文化財」の構成要素に選ばれなかった理由となっています。

画像:西大寺本堂と東塔礎石 筆者撮影

それでも、本堂の前には東塔の柱の礎石が残っており、かつての壮大な光景を偲ぶことができます。

世界文化遺産の構成要素ではありませんが、訪れる価値のある寺院と言えるでしょう。

西大寺公式HP
http://saidaiji.or.jp

大安寺

JR奈良駅からバスで4つ目の大安寺バス停で降り、東に徒歩10分ほどの場所に大安寺はひっそりと建っています。

境内は狭く小さな寺院ですが、実は奈良でも最も古い寺院の一つであり、かつては東大寺に次ぐ大寺として南都七大寺の一つとして隆盛を誇っていました。

大安寺はもともと藤原京にあった百済大寺が、平城京遷都に伴い現在の場所に移り、大安寺となりました。南大寺とも呼ばれた官寺であり、大安寺式の大伽藍を誇っていました。

しかし、次第に衰退し、江戸時代・明治時代にはすべての伽藍が失われ、廃寺同然となりました。

戦後になってようやく復興され、往時の1/25の寺域に本堂などがひっそりと建てられているのみです。

画像:西大寺山門 筆者撮影

もともと官立の寺院として、奈良時代には国家の安泰と国民の健康と幸福を祈ることが大きな役割でした。

そのため、現在でも悪病・難病封じに力を入れており、特に現代の悪病難病である癌封じの寺として知られています。

画像:大安寺本堂 筆者撮影

画像:大安寺内陣 筆者撮影

本堂内陣では、毎日多くの方が癌封じや親族の癌からの回復を願って祈祷を受けています。

また、1月23日の「がん封じ笹酒祭り」と6月23日の「竹供養とがん封じ笹酒夏祭り」では、境内で癌封じの笹酒が振る舞われます。

大安寺公式HP
https://www.daianji.or.jp

最後に

奈良時代に南都七大寺として隆盛を誇った西大寺や大安寺は、国宝の建造物がないため、世界遺産「古都奈良の文化財」の構成要素には選ばれていません。

しかし、現在でも人々の信仰に支えられ、重要な寺院として生き続けています。

参考 : 『文化庁, 奈良市HP』他

 

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草の実堂編集部

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草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

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