19世紀末から20世紀初頭の英国社交界は、産業革命による繁栄と、ヴィクトリア朝から続く保守的な価値観が入り混じった時代でした。
高貴な家柄と莫大な資産を受け継いだ貴族は、規律と品位の象徴とされていましたが、その常識から大きく外れた人物がいました。
第5代アングルシー侯爵、ヘンリー・シリル・パジェットです。

画像:ヘンリー・パジェット侯爵のポートレート public domain
ヘンリーは、1898年10月に父の死去により爵位を継ぎ、約3万エーカーの領地と、年間11万ポンド(2025年換算で約1,606万ポンド=およそ28億8,000万円)の収入を手にしました。
しかしその財力は、華やかな趣味や派手な自己演出に惜しみなく注がれ、社交界で注目を集める一方で、6年足らずで巨額の負債を抱え、28歳で破産。
翌年29歳で、若くして世を去りました。
今回は、そんな彼の数奇な人生を紐解いていきます。
輝かしい血筋、若き侯爵の登場

画像:曾祖父の初代アングルシー侯爵 public domain
ヘンリーは1875年6月16日に生まれました。出生地については記録がはっきりしていませんが、母の死後、幼少期をパリで過ごしたと伝えられています。
曾祖父にあたる初代アングルシー侯爵は、ワーテルローの戦いで騎兵隊を指揮し、右足を失う重傷を負いながらも戦い続けた英雄として知られた人物です。
父は第4代アングルシー侯爵、母はブランシュ・メアリー・ボイドでした。
母の死後、ヘンリーがパリで育ったという経緯から、フランスの名優ブノワ=コンスタン・コクランが実父だという噂が広まりましたが、実際に育てたのは母の姉であり、コクランとは無関係でした。
伯母の元で幼少期を過ごした後、名門イートン校で教育を受け、後にロイヤル・ウェールズ・フュージリアーズ連隊第2志願兵大隊の予備役少尉に任官します。
1898年10月13日に父が死去すると、ヘンリーは23歳で第5代侯爵となりました。
同時に約3万エーカーの広大な土地と、莫大な遺産(2025年換算で年間約28億8,000万円)の収入を相続したのです。
しかしそれは、破滅への序章でもありました。
蝶のように舞う侯爵、その華麗な浪費

画像:ヘンリーによって改装された劇場内部 public domain
侯爵となった後、ヘンリーはその財力を惜しげもなく浪費していきます。
彼は、アングルシー島の由緒ある本邸プラス・ニューウィッドを「アングルシー城」と呼び改め、敷地内の礼拝堂を150席の劇場に改装して「ゲイエティ劇場」と名付けました。
1899年頃からは、自ら豪華な衣装をまとい、舞台に立ちます。

画像:舞台衣装を着たヘンリー、1900年頃 public domain
初期の演目は、歌やダンス、スケッチなどのバラエティ公演が中心でしたが、やがてオスカー・ワイルドの『理想の夫』や、シェイクスピアの『ヘンリー五世』など本格的な作品にも主演しました。
中でも有名だったのが「バタフライ・ダンス」です。
大きく広がる透明な白絹のローブを翼のように揺らし、観客を魅了するその姿から、「ダンシング・マーキス(踊る侯爵)」と呼ばれ、社交界にも鮮烈な印象を残しました。
さらに彼は、ジュエリーや毛皮、衣装、靴、ステッキ、パジャマなどを次々と購入しました。
記録によれば、靴は200足以上、パジャマは30セットを所有し、舞台衣装も数え切れないほどだったといわれます。
破滅の序曲と婚姻の崩壊
そんなヘンリーでしたが、1898年1月20日、従妹であるリリアン・フローレンス・モードと結婚します。

画像 : リリアン・フローレンス・モード・チェットウィンド(ヘンリー・パジェットの妻)public domain
しかし生活様式の不一致から、わずか6週間で別居。
後に未婚同然を理由に婚姻は無効となり、ヘンリーはその後、独身のまま破滅的な暮らしを続けました。
莫大な財産を引き継いだ彼でしたが、放蕩の末、1904年までに総額54万4,000ポンド(2025年換算で約7,498万ポンド=およそ134億9,000万円)の負債を抱え、わずか6年足らずで財産を使い果たすことになります。
その結果、所持していた宝飾品や衣装は数か月にわたって競売にかけられ、宝飾品だけで約8万ポンドを売り上げました。
これらの騒動は、一族にとっても大きな不名誉となったのです。
早すぎた人生の幕引き

画像:華やかな衣装に身を包んだヘンリー、1900年頃 public domain
1904年6月11日、ヘンリーは正式に破産を宣告されました。
財産はすべて競売にかけられ、彼自身は南フランスのモンテカルロに移りましたが、長い療養生活の末、1905年3月14日に29歳で亡くなります。
元妻のリリアンが最期を看取ったと伝えられ、遺体はアングルシー島ラントウェン村のセント・エドウェン教会に葬られました。
地元では彼の死を惜しむ声も多く、破天荒な人物像とともに「変わり者の侯爵」として記憶され続けました。
爵位は19歳の従兄、チャールズ・パジェット(第6代侯爵)が継ぎましたが、第5代のヘンリーに関する資料はほとんどが破棄され、その全貌は今も謎に包まれています。
彼の人生は、きらびやかであると同時に自己破壊的でもありました。
豪奢な趣味や劇的な行動は、単なる享楽ではなく、自分の人生そのものを一つの舞台として演じ続けた結果だったのかもしれません。
現代では、その生き方がLGBT+史やジェンダー・ノンコンフォーミングの象徴として語られることもあります。
近年制作された映画『Madfabulous』では、宣伝の中で「デヴィッド・ボウイの先駆者」とも呼ばれ、蝶のように舞う侯爵の姿が描かれました。
もし彼が今の時代に生きていたなら、SNSを通じて自分を発信し、ファッションやパフォーマンスで大きな注目を集めていたことでしょう。
ヘンリーの人生を振り返ると、手にした富や自由が必ずしも幸福をもたらすとは限らないことを、今も私たちに語りかけているようです。
参考:
『Gibbs, Vicary (ed.). The Complete Peerage, Vol. I. London: St Catherine Press, 1910.』
『思わず絶望する!? 知れば知るほど怖い西洋史の裏側』
文 / 草の実堂編集部
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