大阪の原点・上町台地の一画に静かに眠る二人の文人

画像:上町台地(撮影:高野晃彰)
大阪の東側に連なる上町台地(うえまちだいち)は、南北約11km、東西約2~3kmにわたって細長く延び、大阪市中央区・天王寺区・阿倍野区・住吉区にまたがる台地である。
現在の大阪といえば、大阪駅周辺の「キタ」や、心斎橋を中心とした「ミナミ」といった繁華街が注目されるが、実はこの上町台地こそが大阪の原点であった。
というのも、古代の大阪市街の大部分は海の中で、上町台地のみが大阪湾に突き出した半島状の地形を成していたからである。
すなわち上町台地は瀬戸内海の東端にあたり、西日本各地はもとより、朝鮮半島や中国大陸へと繋がる海上交通の要衝として、きわめて重要な位置を占めていた。

画像 : 上町台地の位置 public domain
そのため、この地には古墳時代から奈良時代にかけて宮都が営まれ、四天王寺が創建され、さらに時代が下ると突端部に大坂城が築かれることとなった。
そして上町台地の中でも、千日前通より北側にあたる上寺町(かみてらまち)と呼ばれる区域には、大坂城を守護するために寺院が集中した寺町が形成された。
この周辺には、上方文化を牽引した文人・芸能者ゆかりの寺院も多い。
なかでも、江戸文化が成熟した元禄期に華やかな元禄文化を開花させた井原西鶴(いはらさいかく)と、近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)の墓所が、この地にあることは意外と知られていない。
そんな上寺町の一角にひっそりと佇む、二人の偉大な文人が眠る地を訪ねてみたい。
作家・俳諧など多彩な才能を発揮した「井原西鶴」

画像:井原西鶴 public domain
井原西鶴(1642年~1693年)といえば、浮世草子の作者としてのイメージが強い。
社会科の教科書でも『日本永代蔵』や『世間胸算用』が元禄期の世相を描いた作品として紹介されているが、『好色一代男』『好色五人女』など、好色物の作品群も忘れてはならない。
しかし西鶴の真骨頂は、浮世草子にとどまらず、人形浄瑠璃作者・俳諧師として多彩な才能を発揮した点にある。
特に俳諧では、一昼夜のあいだにどれだけ多くの発句を詠むかを競う「矢数俳諧」を確立し、これを得意とした。
その奇抜で奔放な句風は「阿蘭陀(おらんだ)流」と称された。
西鶴の墓所は誓願寺(せいがんじ)にある。
同寺は安土桃山時代後期の創建で、本尊の阿弥陀仏像は慈覚大師の作と伝えられている。
境内奥に「仙皎西鶴」と刻まれた墓碑が西鶴の墓である。
実はこの墓は一時期その所在がわからなくなり、無縁仏となる寸前であったが、明治20年代に入り、文豪・幸田露伴が誓願寺の境内で再発見したと伝えられている。
露伴は住職・学瑞に「この墓を改めて丁重に祀ってほしい」と願い出て、その際、「元禄の奇才子を弔ふで九天の露を漏れて鶴の声」と卒塔婆に書き添えたという。

画像:誓願寺の井原西鶴墓(撮影:高野晃彰)
●誓願寺
住所:大阪市中央区上本町西4-1-21
TEL:06-6761-6318
境内参詣自由
浄瑠璃作家として不動の地位を築いた「近松門左衛門」

画像:近松門左衛門 public domain
近松門左衛門(1653年~1724年)は武士の家に生まれたが、父が浪人したことから、青年期には京都の公家に仕えて過ごした。
そこで身につけた教養や和歌・古典の素養が、後年の浄瑠璃作家としての創作に生かされたといわれる。
やがて、当時京都で評判を得ていた浄瑠璃語り・宇治加賀掾(嘉太夫)のもとで台本を執筆するようになる。
1683年(天和3年)、その弟子である竹本義太夫が大坂・道頓堀に竹本座を立ち上げた際、近松作の『世継曾我』が大きな評判を呼んだ。
以後、竹本義太夫は近松作品を竹本座で語るようになり、近松自身も『曽根崎心中』『国性爺合戦』などの大ヒット作を生み出して、人形浄瑠璃および歌舞伎の脚本作者として不動の地位を確立した。
近松門左衛門の墓所は、現在ではマンションに挟まれた細い路地の奥にひっそりと佇む。
門左衛門は1724年(享保9年)、72歳で没し、法妙寺に葬られたが、戦後に寺が移転する際、国史跡に指定されていた墓所だけは移動できず、現在の地に残されたものである。

画像:近松門左衛門墓所(撮影:高野晃彰)
●近松門左衛門墓
住所:大阪市中央区谷町8-1
参詣自由
誓願寺と門左衛門墓から1キロメートル圏内には、人形浄瑠璃の勃興時に活躍した義太夫節の太夫・初代豊竹若太夫(とよたけわかたゆう)が眠る本経寺(ほんきょうじ)。
また、江戸時代には大阪一の眺望の名所とされた、仁徳天皇を祀り、上方落語に縁が深い高津宮(こうづぐう)などがある。

画像:本経寺の豊竹若太夫墓(撮影:高野晃彰)
元禄文化を彩った井原西鶴と近松門左衛門。
その墓所を訪ねる機会があれば、ぜひその周辺の寺社もめぐりながら歴史散策を楽しんで欲しい。
※参考文献
大阪歴史文化研究会(高野晃彰)著 『大阪歴史探訪ガイド』メイツユニバーサルコンテンツ刊
文:撮影 高野晃彰 校正 / 草の実堂編集部
























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