
画像:奈良県明日香村。万葉の歌碑(志貴皇子)(撮影:桃配伝子)
1200年以上前の奈良時代、恋心を同じ男性に向けて歌を詠み続けたひとりの女性がいました。
彼女の名は、笠郎女(かさのいらつめ)。
『万葉集』に29首が収められている彼女の歌の数々は、成就しない恋の切なさを詠んでおり、時代を超えて現代の私たちの心をも強く揺さぶります。
笠郎女の正確な生没年や本名は不明で、一説によると、越前守・笠金村の娘であったと推測されています。
それでも彼女の名が今日まで伝わっているのは、これらの歌が、すべて一人の男性に宛てた恋歌だったからでしょう。
恋歌が向けられた大伴家持

画像:大伴家持 三十六歌仙絵(個人蔵)Wikimedia Commons/CC BY 4.0
笠郎女が恋心を寄せた相手は、名門大伴氏の若き貴族、大伴家持(おおとも の やかもち)でした。
家持は養老2年(718)頃の生まれとされ、祖父に大伴安麻呂、父に大伴旅人を持つ、代々朝廷に仕えた家系の出身です。
家持は和歌や漢詩に通じ、『万葉集』の成立過程に深く関わった歌人として知られています。
また、若き日の家持は複数の女性と歌を交わしており、当時の歌壇で注目を浴びる存在でもありました。
笠郎女と出会ったのは、家持が十代半ばの頃だったとみられています。
ただ、二人の関係の実態は、残された歌から推し量るほかありません。
笠郎女の歌には一貫して強い想いが詠まれている一方、家持の返歌は数が少なく、二人の心の距離を物語っているともいえるでしょう。
紫草に託した秘めきれない恋

画像:ムラサキ草 Wikimedia Commons(Doronenk)
最初期の笠郎女の歌として、次の一首が知られています。
「託馬野に 生ふる紫草 衣に染め いまだ着ずして 色に出でにけり」
〈意訳〉託馬野(つくまの)に生えている紫草の染料で着物を染めました。
けれど、まだ着ていないうちに人に見られてしまいました。
この歌は一見、衣のことを詠んだ歌のようですが、古くから恋の比喩として解釈されてきました。
紫草は高貴な紫色に染めるための植物で、恋の相手を象徴し、「着る」は男女が結ばれることを暗示する表現でもあります。
この歌からは、心はすでに相手に染まっていながら、関係が成就しないうちに想いが周囲に知られてしまったことへの戸惑いと高揚が窺い知れます。
結ばれても残る恋路の不安

画像:かな書き photo-ac marko_tokyo
次に挙げられるのが、この一首です。
「奥山の 岩本菅(いはもとすげ)を 根深めて 結びしこころ 忘れかねつも」
〈意訳〉やっと、奥山にある岩本菅のように深い深い関係となり結ばれたこと、絶対に忘れられません。
「奥山の岩本菅」とは、岩の根元にしっかりと生える菅のことで、古くから「深く揺るぎないもの」のたとえとして用いられてきました。
この歌でも、想いの強さと深さが表れています。
また、「結びしこころ」という表現からは、二人の間に何らかの約束や関係の進展があったことがうかがえます。
注目されるのは、この歌にほのかに漂う不安の気配です。
深く結ばれた心を「忘れられない」と詠みながらも、その想いが相手にも同じようにあるのか、不安に感じているようにも読めます。
「形見」にすがる笠郎女の想い

画像:奈良時代の女性のイメージ ac-illust cocoanco
続いて取り上げたいのが、次の一首です。
「我が形見 見つつ偲はせ あらたまの 年の緒長く 我も思はむ」
〈意訳〉私の形見の品を贈ります。これを見たら、私のことを思い出してください。長い長い年月、私もあなたを想っています。
ここでいう「形見」は死者の遺品ではなく、「相手に自分を思い出させるための品」を指します。
『万葉集』の時代には、着物や小物を想い人に贈り、存在を記憶にとどめてもらうことは珍しくありませんでした。
ただ、もし互いの思いが確かな関係であれば、「形見」を託す必要はなかったでしょう。
この一首からは相手の心が離れていくことへの不安と、「この品を通して思い出してほしい」という切実な願いが浮かび上がってきます。
二人の間には、温度差があったと考えられます。
「恋で人は死ぬ」極限に達した想い

画像:枯れた川(陣馬の滝の上の川 芝川)photo-ac しろもも
笠郎女の想いは、ここから一気に切迫したものへと変わっていきます。
「朝霧の おほに相見し 人ゆゑに 命死ぬべく 恋ひ渡るかも」
〈意訳〉朝霧のように、おぼろにしかあなたと結ばれていません。もう命も絶えそうなほどに苦しく想い続けているのです。
「思ふにし 死にするものに あらませば 千遍そ我は 死に返らまし」
〈意訳〉あなたへの想いが強すぎて死ぬことがあるのなら、私は千回でも繰り返して死に生き返ります。
これらの歌では、恋の苦しみが極限まで高まった様子が表れています。
「命死ぬべく」「千遍そ我は死に返らまし」という言い切りは、感情を抑えきれない切迫した思いを端的に示しています。
歌の調子から見て、この頃すでに、二人の関係が安定したものではなかったことは明らかでしょう。
家持の関心が他の女性に向いていた可能性もありますが、少なくとも笠郎女が、強い不安と焦燥の中にあったことだけは確かです。
次の歌では、比喩表現がいっそう鮮明になります。
「恋にもそ 人は死にする 水無瀬川 下ゆ我痩す 月に日に異に」
<意訳> 恋によって人は死ぬ。水の無い地中を流れる水無瀬川のように誰にも知られないうちに、私も報われない恋のためにどんどん痩せ細っていきます。月を日を重ねるごとに。

画像:枯れた川(陣馬の滝の上の川 芝川)photo-ac しろもも
水無瀬川は、水のない川とされながら、実際には地下を流れていると考えられてきました。
この歌では、その姿に「人目に触れず、心が消耗していく自分」を重ねています。
冒頭の「恋にもそ人は死にする」という言い切りは、感情が限界に達していることを強く印象づけます。
想いが深刻になるにつれ、比喩はより鋭く、言葉はより直接的になっています。
想いが届かない家持を「餓鬼の尻」呼ばわり

画像:旧河本家本『紙本著色餓鬼草紙』第3段「食糞餓鬼図」 public domain
やがて、笠郎女の積み重ねてきた想いは、決定的な転機を迎えます。
「相思はぬ 人を思ふは 大寺の 餓鬼の後(しりへ)に 額(ぬか)付くごとし」
〈意訳〉相思相愛になれないあなたを思い愛するのは、立派な大寺にある地獄の餓鬼像の後姿のお尻に平伏して、床に頭を擦り付けて拝むようなものです。
万葉集の中でも、衝撃的な比喩を用いた一首として知られています。
注目すべきは、これまで一途に注がれてきた想いが、この歌で初めて反転している点でしょう。
どれほど思い続けても報われない現実を直視し、その惨めさを極端な比喩で表すことで、自らの恋に終止符を打とうとしているようにも読めます。
熱すぎる笠郎女に対して家持の返歌は…

画像:百人一首かるた読み札「中納言家持」public domain
笠郎女の歌が数多く残されているのに対し、家持がこの恋について詠んだ歌は、わずか二首ほどにすぎません。
そのうちの一首が、次の歌です。
「なかなかに 黙もあらましを 何すとか 相見初めけむ 遂げざらまくに」
〈意訳〉いっそ、声をかけずに黙っていればよかった。なぜ会い始めたのか。添い遂げそうにもないのに。
家持が自ら声をかけたことを悔いる内容で、笠郎女の立場を思うと胸の痛む一首です。
当時まだ若かった家持にとって、彼女の強い想いは重荷だったのかもしれません。
それでも家持が自身の未熟さを示す歌を『万葉集』に収めた背景には、想いに応じきれなかった笠郎女への、ささやかな詫びの気持ちがあったのではないか、とも考えられています。
一方で、この頃の家持は、十歳以上年上の女性・紀朗女(きのいつらめ)に心を寄せていたとされます。
年齢を気にして詠まれた彼女の歌に対し、家持は次のような返歌を残しました。
「百歳に 老い舌出でて よよむとも 我はいとはじ 恋は益すとも」
〈意訳〉あなたが百歳になり、口元が緩んで舌が出て腰が曲がった老婆になっても、私はいやとは思いません。恋しい気持ちが増すだけです。
年齢を超えた愛情を率直に表した、情熱的な歌です。 笠郎女に向けたそっけない一首と比べると、その温度差は否応なく際立ちます。
ただし、家持が笠郎女を女性として愛した期間は短かったとしても、彼女の歌の才能を高く評価していたことは確かでしょう。
実際、家持は多くの女性と歌を交わしながらも、表現力と迫力において際立つ笠郎女の歌を選び、最終的に29首を『万葉集』に残したのです。
最後に…

奈良の鹿。万葉集で鹿を詠んだ歌は68首とされる。(撮影:桃配伝子)
我が国最古の歌集『万葉集』には、有名な歌人だけでなく、天皇や貴族、下級官僚、さらには庶民に至るまで、幅広い人々の歌が全20巻・4516首収められています。
その中で笠郎女の歌は、悩み苦しむ恋心を限られた言葉に凝縮し、ひときわ心に残る存在となっています。
1200年以上前に詠まれた歌でありながら、報われない恋の切なさを生々しく伝え、読む者の心を揺さぶる。
その表現力こそが、笠郎女の歌が今日まで語り継がれてきた所以といえるでしょう。
参考:
『笠女郎 コレクション日本歌人選 62』遠藤 宏
『新版 万葉集 一 現代語訳付き (角川ソフィア文庫) 文庫』伊藤博
文 / 桃配伝子 校正 / 草の実堂編集部
























この記事へのコメントはありません。