ばけばけ

『ばけばけ』錦織の弟・丈のモデル西田精と教え子の死 〜ハーンと尋常中学校の生徒たち

明治23年9月2日、ラフカディオ・ハーンは松江に英語教師として赴任しました。

ハーンは師範学校で4時間、尋常中学校で20時間の週24時間の授業を受け持ち、英語の読み方、書き取り、作文の3課目を担当しています。

中学の生徒は一学年75人で、島根県全域から選ばれた12歳から17歳の男の子たちでした。

偉そうな教師を嫌ったハーンは、中学校の生徒に自分のことを「Sir」や「Master」ではなく、「先生」と呼ぶように伝え、生徒たちと深い交流を育みました。

なお、朝ドラ「ばけばけ」では、錦織(吉沢亮)の弟・丈(杉田雷麟)が教え子の一人として描かれていますが、丈のモデル・西田精(きよし)は、ハーンの教え子ではありませんでした。

今回は、西田精の人物像とハーンの心に残った生徒たちとの交流について見ていきたいと思います。

ハーンの教え子ではなかった西田千太郎の弟、西田精

画像 : ラフカディオ・ハーン public domain

西田精が島根県尋常中学校に入学したのは明治25年7月。

前年の11月にハーン一家は熊本へ転居しているので、二人が中学校で先生と生徒の関係を築くことはありませんでした。

ただし精は、15歳年上の兄・千太郎の使い走りに使われることが多く、よくハーンのもとへお遣いに出されていたようです。

明治24年1月中旬、ハーンが体調を崩したとき、同じく病床にあった千太郎の代わりに精は何度もハーンの屋敷を訪れています。

秀才で「大盤石」と呼ばれた兄に劣らず、弟の精も優秀で、華々しい業績を残しました。

西田精は、明治10年6月、松江雑賀町生まれ。

『松江北高等学校百年史』によると、明治25年7月に島根県尋常中学校へ入学し、明治29年7月には首席で卒業しました。

卒業式では総代として答辞を読み、兄・千太郎から卒業証書を授与されています。

式直前に校長が転任したため、当時教頭だった千太郎が校長代理として式典を執り行ったのです。

千太郎は明治19年の文部省検定で中学教員免許状(心理・論理・経済・教育)を取得し、明治26年には無試験検定で英語の免許も得ました。

しかし、大学を出ていなかったため、校長に就任することは叶いませんでした。

中学を卒業した精は、熊本の第五高等学校へ進学します。

熊本五高といえばハーンの赴任先ですが、精が進学した明治29年にハーンは東京帝国大学の講師となっており、熊本でも師弟関係となることはありませんでした。

五高時代、学資が途絶えるという困難に直面した精ですが、親戚や兄の知人の支援を受け、東京帝国大学土木工学科へ進み無事卒業しています。

明治41年には東京帝国大学工科大学の助教授となり、大正2年には九州帝国大学工科大学の教授に就任。昭和12年6月の退官まで九州帝国大学に籍を置きました。

大学での研究・指導のかたわら、30カ所以上の上下水道事業に携わり、調査・設計・工事の指導に尽力。近代上下水道史に名を残す巨人の一人と評価されています。

また学費で苦労した彼は、苦学生のための学資補助基金を設立。温厚篤実な人としても知られています。

ハーンが記した「忘れがたい教え子」

画像 : 松江中学校 public domain

ハーンは『英語教師の日記から』の中で、特に印象に残っている尋常中学校の教え子5人の名を挙げています。

そこに登場する横木富三郎は、ハーンがもっとも可愛がっていた生徒の一人でした。

彼は若くして病に倒れ、彼の死を悼んだハーンは最期の様子を著書に記しています。

横木の父親は大工で、家計が苦しく中学進学は難しい状況にありました。

しかし、横木は小学校で抜群の成績を収めており、教育に理解のある裕福な人物の支援を受けて中学へ進むことができました。

ハーンは英語の優等生に個人的な賞品を贈る習慣があり、4年生に進級する際、首席となった横木にアンデルセンの古典的な童話集『Stories for the Household』を贈っています。

「英語教師、ラフカディオ・ハーンより」というサインの入った本を励みに、彼は勉学にいっそう熱心に取り組みました。

横木は疑問に思ったことを必ず教師に尋ね、時にはあまりに突飛な質問に教師が返答に困ることもあったといいます。

説明に納得できなければ質問をやめず、自分が正しいと思えば仲間の意見にも左右されない。

ハーンはそんな横木について「温和な外貌の下に非常に強い性格を持っている」と評しています。

横木の病状が悪化し、いよいよ危険な状態になったとき、家族が「何かしたいことはないか?」と問いかけました。

すると「学校へ行きたい。学校を見たい」と答えます。

「もう夜中だし、今夜は月も出てないから見えないよ」と家族がなだめても、「星で見えます。もう一度学校を見たい」と譲りません。

死を目前にした少年は、「僕はもう一度学校を見たい、今見たい」とただただ最後の願いを繰り返すのです。

家族は覚悟を決め、綿入りの温かい着物で横木を包み、爺やがおぶって中学校へ向かいました。

「大きな薄墨色の建物は夜目にほとんど真黒に見える。しかし横木には見える。彼は自分の教室の窓を見る、楽しかった四ヶ年いつも毎朝下駄を音のしない草履にはきかえた屋根のある生徒昇降口を見る、今寝て居る小使の部屋を見る、小さい塔に真黒くかかっている鐘が星あかりに影をうつしているところを見る。」

ラフカディオ・ハーン『知られぬ日本の面影』より

「もう一度学校を見られて嬉しい」そう言って、横木富三郎は静かに息を引き取りました。17歳でした。

ハーンが彼の死を知ったのは、熊本へ移って間もない頃のことでした。

ハーンの私邸を訪れた松江中学の生徒たち

画像 : 小泉八雲邸 public domain

尋常中学校では、生徒が教師の私邸を自由に訪れることが許されており、ハーンの教え子たちもよく彼の家を訪ねていました。

書斎に通された生徒たちは、ハーンに平伏して丁寧にお辞儀をします。

その後、座布団やお茶、お菓子を運んできたセツに挨拶をして座り直します。

にぎやかな談笑が始まるのかと思いきや、生徒たちは控えめに黙ったままです。

いつも最初に口を開くのはハーンで、英語が得意な生徒が通訳を務めたり、英和辞書を引いたりしながら会話が進んだといいます。

生徒たちは、書斎にある書物や絵を見せてもらったり、自分たちが持参した本や絵をハーンに見せたりしました。

花を手土産にすることも多かったようです。

とりわけ、ハーンが驚き喜びそうな品を見せることが彼らの楽しみで、珍しいものを探しては持ってきました。

僧侶から大きな掛け軸を借りてきた生徒や、父親を説得して門外不出の孔子像を持参した生徒もいたほどです。

また、親類の家に案内され、左甚五郎作と伝わる木彫りの猫を見せられたこともありました。

教え子たちはいつも礼儀正しく、親切でした。

先生の自宅で学問を受けるのは不公平だと理解していた彼らは、学問を教わるために訪れるのではありません。

ただ、ハーンと心を通わせ、同じ時間を過ごす喜びを求めてやって来るのです。

特に話すことがなければ、生徒たちは黙って座っているだけのこともありましたが、それでも長居をしていきました。

そんな彼らの姿は、ハーンにはとても幸せそうに映ったといいます。

ハーンは創作活動を優先し、執筆中の来客は断っていましたが、教え子たちだけは例外で、訪ねてくれば温かく迎えました。

異国の地で言葉も通じず、不安や緊張の中で暮らしていた彼にとって、生徒たちとの時間は、気の置けない友人と過ごすような、心安らぐひとときだったのでしょう。

出雲の少年たちは、ハーンにとってかけがえのない存在だったのです。

参考文献 :
小泉八雲『小泉八雲全集』第4巻,第一書房
門脇健『近代上下水道史上の巨人たち』日本水道新聞社
松江北高等学校百年史編集委員会編『松江北高等学校百年史』島根県立松江北高等学校
文 / 深山みどり 校正 / 草の実堂編集部

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