
画像 : 野生の馬 pixabay cc0
2026年は午年、すなわち干支は馬である。
古来より人類は馬を家畜化し、その機動力と力強さを大いに活用してきた。
長距離の移動はもちろんのこと、農具を馬に引かせることで、効率よく畑を耕せるようになったりもした。
いわば馬は人々の生活を支える貴重な財産であり、それゆえ大事に大事に育てられてきた。
しかし神話や幻想の世界では、情け容赦なく馬が害される話も少なくない。
今回は、そんな「馬が酷い目に遭う伝承」を紹介したい。
馬だけを殺す風!?

画像 : 馬魔 public domain
江戸時代の作家・浅井了意(1612~1691年)の著書『伽婢子』には提馬風(だいばかぜ)という、東海地方に吹く魔性の風にまつわる逸話が載せられている。
まず馬の前に、車輪のような旋風が起こる。
旋風はどんどん巨大になり、馬の上空をグルグルと回り始めたかと思えば、突然赤いビームのようなものをタテガミに向けて発射する。
このビームを受けた馬は後ろ脚だけで立ち上がり、ヒヒーンといなないたのち、そのままポックリ絶命してしまうとのことだ。
提馬風の被害を防ぐには、旋風を刀で斬り払いつつ、光明真言(仏教における呪文のようなもの)を唱えればよいとされる。
これと類似したものとして、馬魔(ぎば)という妖怪にまつわる伝承が語られている。
1927年に出版された『民俗怪異篇』によると、馬魔は提馬風と違い実体を伴った存在であり、緋色の着物と金の冠を身に着けた、高貴な佇まいの女性の姿をしているという。
馬魔は道行く馬に狙いを定めると、まるで糸の切れた凧のごとく、上空からヒラヒラと舞い降りてくる。
その姿を見た馬は恐れおののくが、すかさず馬魔の玉虫色の馬が顔面に絡みつき、その身動きを封じる。
そして馬魔はニッコリと笑い、玉虫色の馬もろともスゥーッと姿を消すのだが、こうなるともはや馬の命は手遅れだ。
哀れにも馬は右に3回転したのち、バタッと倒れ絶命してしまう。
馬の死骸を調べてみると、まるで太い棒状のモノを挿したかのように肛門が広がっていたとのことである。
これら馬殺しの怪異は4月から7月にかけて現れ、特に5月・6月に多いとされる。
また、晴れや曇りが頻繁に入れ替わる日や、村雲(群雲。群がった雲のこと)が懸かった日は、要注意だという。
馬肉は美味いが…

画像 : 塩の長次『絵本百物語』より public domain
馬肉は、高タンパク低カロリーのヘルシー食材として人気を博している。
特にモモ肉やロースは絶品である。
だが、いくら馬肉が美味しく健康に良いからといっても、むやみやたらと食べまくるのは考え物だ。
1841年に刊行された怪談集『絵本百物語』には、次のような逸話が記されている。
(意訳・要約)
加賀国(現在の石川県)には、塩の長司なる富豪がいた。
彼はゲテモノ食いとして有名であり、特に馬肉を好んで食べていた。
(江戸時代、牛や馬の肉には強い禁忌があった)自宅に300頭あまりもの馬を飼っていたが、1頭ずつ殺しては食べていたため、見る間に数は減っていった。
最後は年老いた馬が1頭残されるばかりとなったが、長司は構わずその老馬をも食ってしまった。その夜、長司の夢の中になんと白昼殺した老馬が現れ、喉元に食らいついてきた。
さらにその日から老馬を殺した時間になると、老馬の霊が長司の口から腹に侵入し、暴れ回るという怪事が続いた。
あまりの苦痛に長司は罵詈雑言を喚き散らし、さらには自身が行ってきた数々の悪行を悪態混じりに白状した。どうやら、金のために相当な悪事を重ねていたようである。
そして治療の甲斐もなく、100日ほど後に長司は死んでしまった。
その死に様はまるで、重い荷物を背負った馬のようだった。
この逸話は、江戸時代に実在した奇術師「塩屋長次郎」の呑馬術(馬を丸飲みするように見せる手品)を連想させる話としても知られている。
スーホの白い馬

画像 :馬頭琴を弾くスーホ 草の実堂作成(AI)
馬の悲話で最も有名なものといえば、『スーホの白い馬』をおいて他にない。
小学校の教科書に載っていたことがある話であるため、知っている人も多いことだろう。
(意訳・要約)
モンゴル遊牧民の少年「スーホ」は、瀕死の白い子馬を保護した。
スーホと白馬はまるで兄弟のように、共にスクスクと育った。ある時、スーホたちの住む集落に、王様が競馬大会の出場者を募集しているとの報が入った。
しかも優勝者は王様の娘と結婚、すなわち王族への婿入りができるというのだ。スーホと白馬はこの大会に出場し、圧倒的な成績で優勝を収めた。
しかし王は、スーホが貧困な遊牧民だと知るや否や、娘との結婚を拒否しだした。
さらにあろうことか、白馬を銀貨3枚で売れとまで言い出す始末。スーホは当然断ったが王はこれに激怒し、哀れにもスーホは王の部下たちに袋叩きにされ白馬も奪われてしまった。
その数日後、なんとスーホの家に、奪われた白馬が逃げ帰ってきた。
だがその体には無数の矢が突き刺さっており、治療の甲斐もなく、白馬は次の日死んでしまった。
言うことを聞かない白馬に腹を立てた王が、部下に矢を放たせたのだ。あまりの暴虐に耐えかねたスーホは、王を討つことを決意する。
だがある晩、スーホの夢の中に白馬が現れ、「復讐は何も生まない」「それよりも、私の皮と骨で琴を作るのだ」
と語った。
目覚めたスーホは言われた通りに、白馬の体で「馬頭琴」をこしらえた。
その音色は全ての悲しみを洗い流すかのように、美しく響いたのだった。
古くから馬を大切にしてきたモンゴルの文化を思えば、この王の悪虐ぶりはひときわ強烈に映る。
『スーホの白い馬』の原型はモンゴルの昔話に求められるが、現在広く知られている形は、1950年代の中国で整えられたものだとされる。
そのため、この物語には時代の空気や政治的な影が映り込んでいる、と見る向きもある。
このように古今東西さまざな伝承が残されているが、馬は人に尽くしてきた動物だからこそ、その死や受難もまた強い物語として語り継がれてきたのだろう。
参考 : 『伽婢子』『民俗怪異篇』『絵本百物語』
文 / 草の実堂編集部

























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