<出典 wikipedia>
1979年にノーベル平和賞を受賞したマザー・テレサ。
カトリックの修道女という枠を超え、広く貧しい人々のために尽くした彼女を聖人として讃える一方で、生前にマザー・テレサが残した手紙には彼女が抱えていた「心の暗闇」について書かれていた。
その手紙を見ていくと、人間としてのマザー・テレサの姿が見えてくる。
マザー・テレサの生涯
<出典 www.twin-loc.fr>
マザー・テレサは1910年、現在のマケドニアで生まれた。
もちろん、生まれた時から「マザー」だったわけもなく、ゴンジャというのが生まれたときの名前だ。
ゴンジャの家は熱心なカトリック教徒だった。
幼いころからカトリックの教えに触れてきたゴンジャは、18歳の時に宣教者となってインドのコルカタへと渡り、ロレット女子数同会の修練性となった。
「テレサ」という名前はこの時に付けられたものだ。
それからというもの、マザー・テレサはコルカタで修道女としての活動をしていた。
そこで彼女は第二次世界大戦や大飢饉、インド独立運動の混乱などの歴史の変わり目や、そこで苦しむ貧しき人々を目にしてきた。
1946年、マザー・テレサは療養のため列車でダージリンへと向かっていた。
その最中、彼女はイエス・キリスト最期の瞬間を目の当たりにしてしまう。
これが「啓示」なのか「幻覚」なのか実際のところはわからない。
ただひとつ、たしかなことは、この経験がマザー・テレサの人生を変えた、ということだ。
この出来事をきっかけにマザー・テレサは修道院を出て、スラム街で貧しきものを救済する活動をするようになる。
また、死を前にして手の施しようのない病人たちの最後のすみかであるホスピスも設立した。
これらの功績が評価され、マザー・テレサはノーベル平和賞をはじめ、数々の賞を受賞した。
マザー・テレサの黒い噂
一方で、彼女に批判的な意見も多い。
たとえば、慈善団体の運営資金の不透明さが挙げられる。
多額の寄付金があったはずなのに、ホスピス「死を待つ人の家」の環境は劣悪なものだった。
はたして、寄付金はどこに消えたのか。
また、カトリックの教えに従順なあまり「苦しみを和らげることよりも苦しみを受け入れることを説いていた」ということも批判の対象になっている。
果たして、マザー・テレサは聖人か、それとも偽善者か。
その答えはどちらでもない、「人間」である。
「人間」マザー・テレサの苦悩
<撮影 自由堂ノック インド・ムンバイ>
マザー・テレサの死後、彼女の書簡を集めた本『来て!わたしの光になりなさい!』が出版された。
彼女の手紙には、彼女が抱えた「暗闇」についての言及が多い。
いくつか抜粋してみよう。
「この恐ろしい喪失感、未知の暗闇、寂寥感、神に対する絶え間ない欲求などがわたくしの心の奥深くに痛みを与えています」(12ページより)
さらに、自身の性格についても、聖人のイメージとはかけ離れた驚くべき言及をしている。
「シスターたちを指導する時、わたくしは時々強い声で激しい語調でした。人々に対しても数回かんしゃくを起こしました」(274ページより)
聖人のイメージからは想像もできないヒステリックな姿を、マザー・テレサ本人が自ら明かして、懺悔している。
さらに、修道女であるはずの彼女は驚くべきことも書いていた。
「わたくしが感じるのは、神がわたくしを望まれないことです。神は不在です。……神はわたくしを望まれない」(12~13ページより)
信仰の放棄ともとれる内容である。
マザー・テレサは常に心に闇を抱え、ヒステリックな性格で、神の存在を疑っていた。
これは噂ではなく、彼女自身が書簡に残した真実である。
「聖人」のイメージからかんがえると、驚くべき記述だ。
しかし、マザー・テレサを人間として扱ってみたらどうだろうか。
自分の心の闇や性格、信仰心に苦悩する。
なんとも人間らしい姿ともいえる。
実際、ペリエ大司教は彼女にあてた手紙の中で
「心の闇に関しては、霊的著述家や霊的指導者によってよく知られた状態です」(273ページより)
と書いている。
宗教に携わる者にとって、心に闇を見るというのは当たり前のことらしい。
当然である。彼らもまた、人間なのだから。
「人間」マザー・テレサを紐解くカギ
<撮影 自由堂ノック インド・ムンバイ>
いったい、いつからマザー・テレサはこのように心の闇を抱えていたのか。
手紙のなかには
「すべてが死んでしまったような暗闇が、わたくしの内にあるからです。ほとんど『この仕事』を始めた時から、このような状態です」(244ページより)
と書かれている。
彼女が43歳の時に書いたものだ。
ここでいう「この仕事」とは、スラム街での活動のことを指す。
それまで修道院という守られた空間で活動してきたマザー・テレサにとって、スラム街の現実が衝撃的であったことは想像に難くない。
何もできない無力感に駆られたか、それとも、困窮者の感情を自分にトレースしてしまったのか、マザー・テレサにもおそらく本当のところはわからないのだろう。
原因がひとつとも限らない。
とにかく、彼女はスラム街で活動をするようになって心の闇を抱えるようになった。
実に人間的な話だ。
ヒステリックな性格についても、人間的な解釈が成り立つ。
彼女が自身のヒステリックな性格に対して懺悔したのは40代頃の話だ。
その頃の女性といえば、いわゆる更年期障害の時期だ。
この時期の女性はヒステリックになりやすい。
そうだとしたら、それもまた彼女の人間らしい一面と言える。
さて、「神は不在」とまで書いたマザー・テレサであったが、ヌーナー神父との手紙のやり取りによって考え方が変わっていく。
「今わたくしは闇が、イエスの地上における闇と痛みの非常に小さな部分であることを信じるからです」(351ページより)
自分はイエスと痛みを共有している。
そう考えることでマザー・テレサは救われた。
もちろん、彼女自身の闇は何一つ解消されていない。
ただ、闇を抱えていることを受け入れられるようになったことが、彼女にとって大きな出来事であったことが文面から感じられる。
これより前の手紙には心の闇ばかり書いていたのだ。
マザー・テレサは聖人か、それとも偽善者か。
彼女は、常に悩み、その体験から答えを出してきた。
やみくもに神を信仰していたわけではない。
聖人でも偽善者でもない、実に人間的な女性だったといえる。
<参考文献>
『マザーテレサ 来て!わたしの光になりなさい!』 マザーテレサ著 女子パウロ会 2014年
『マザー・テレサの真実』 五十嵐薫著 PHP 2007年
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