※画像.B-52
兵器の進化は「小型化」への道といえる。戦場においてよりコンパクトに、そして、より高性能に。
これこそがコストパフォーマンスにすぐれた理想の兵器だ。しかし、その過程では巨大化することにより、力で敵を圧倒するという思想を持つ兵器がいくつもあった。
現在の戦場や兵器のあり方としては通用しなくなった、そんな歴史上の巨大兵器について調べてみた。
パリ砲
第一次世界大戦末期に、ドイツ軍がパリを攻撃するために製造した巨大列車砲。主要な交通網が鉄道だった時代、蒸気機関車を改造して武装を取り付けたものが各国で製造された。
※画像.パリ砲
パリ砲とは、その中でも極め付けに巨大な列車搭載砲である。
133口径、砲身長28mのバケモノである。大砲の場合の口径とは弾頭を横に並べた長さのことで、使用する砲弾のサイズではない。使用する砲弾は210mmカノン砲で、高さ40km、射程距離は130km強といわれている。
自重は256トンにおよび、レールに乗せられ移動することが出来た。上空40kmまで打ち上げられた砲弾は空気抵抗の影響が減少し、より遠距離を狙えると考えられた。人類が作った人工物で初めて成層圏にまで届いたと言われる。
精度についてはさほど良くなかったようで、ピンポイントでパリを狙うというよりも、フランスに対する心理的な攻撃が目的であった。
※パリ砲の模型
ドイツが連合軍の進軍に脅かされたことにより、ドイツがこの兵器を引き上げて破壊したらしく、現在ではわずかな資料が残るだけである。
なお「カイザー=ヴィルヘルム砲」(独:Kaiser-Wilhelm-Geschutz)とも呼ばれるがこれはドイツ皇帝「ヴィルヘルム2世」のことである。
カール自走臼砲
第二次世界大戦でドイツで計画・製造された超大口径砲である。
臼砲(きゅうほう)とは迫撃砲と同じように、発射後は弾頭の自重により放物線を描いて飛翔する種類の大砲である。
口径は60cm、54cmの二種類があり、試作車を含め計7両が製造された。
※カール自走臼砲
パリ砲と決定的に違うのは、カールは自走できたという点である。
要塞攻略用として世界でもトップクラスの砲身メーカー・ラインメタルが製造した。有効射程距離は4.3kmほどだったが、砲弾の重さからくる破壊力により要塞内の敵にまでダメージを与えることができたという。
しかし、124kgという重量から自走の際の速度は10km/hほどしかなく、実際には分割してのトラック輸送や鉄道での輸送が主だったようだ。
全長で約11m、全高も約4.3mほどだが、運用に必要な要員は21名にもなった。パリ砲に比べると規模では劣るが、この時代の大砲としてはケタ違いの大きさであり、対ソ連戦では実戦投入されている
アニメ「ガールズ&パンツァー劇場版」ではカールの脅威が描かれている。
マウス
VIII号戦車マウスは、第二次世界大戦にドイツで製作された超重量級戦車である。
マウスはドイツ語でもネズミを意味するが、この超重戦車をマウスと呼ぶのは敢えて計画を秘匿するするための欺瞞だったと言われた。
※展示中のマウス
車体長約9m、全幅約3.7m、全高約3.6mというサイズは、当時のドイツ最強戦車『キングティーガー』が車体長約7m、全幅約3,7m、全高約3mという数字からもその大きさが分かる。
重量もキングティーガーの約70トンに対し、約190トンにもなった。これは、装甲の厚さが影響しており、車体そのもののサイズに対して外観はさらに一回り大きく見える。
ソ連軍の重戦車に対抗すべくヒトラーの命令で計画されたマウスは、当初の100トン級を大きく上回るサイズとなった。しかもその巨体を動かすのはポルシェ社(現在の自動車メーカーである)のディーゼルエンジンと電気モーターによるハイブリッド駆動方式となった。この時期、ポルシェ博士はハイブリッド駆動に熱心で、キングティーガーの全身であるタイガーⅠのトライアルにもハイブリッド戦車を参加させたが、制式採用はされなかった。
それというのも、重量から来る走行性能の悪さと複雑なシステムゆえのトラブルの多さである。それはマウスも同様で、150両の製造計画が立てられたものの、実際に完成したのはわずかに試作の2両、しかも戦況の悪化により資源を莫大に使用するマウスの必要性はなくなってしまった。
※マウスと人間の比較
こうして世界初の超重量級戦車はドイツの降伏と共にソ連軍に鹵獲されてしまった。現在は一両がロシアのクビンカ戦車博物館に展示されている。
なお、マウスもアニメ「ガールズ&パンツァー」で戦闘するシーンがあるが、考証が細かいアニメだけに、ほぼ原寸大の大きさだと推測できる。
B-52
愛称はストラトフォートレス(成層圏の要塞)だが、搭乗員からはBUFF=バフ(Big Ugly Fat Fucker=でかくて醜い太ったヤツ)とも呼ばれる。
アメリカのボーイング社が開発した米空軍最古の戦略爆撃機である。それまでのB-29は通常爆弾を投下するだけの爆撃機であったが、B-52には冷戦期に核爆弾をソ連に投下するための戦略爆撃機として開発されたのだ。
しかし、実戦での投入はベトナム戦争からだった。
全長約48m、全幅約56m、全高約12mの巨体は「多種多様な兵器を、大量に搭載し、遠方に投入・投下する」ことを目的とされ、事実ベトナム戦争では第二次世界大戦を上回る数の通常爆弾を絨毯爆撃で投下している。
運用開始は1955年だが、その後に何度も改修が施され、最終的には2045年までの運用を予定している。現在でも情勢が緊迫した地域においては、相手国への示威行為のために飛行する姿がメディアで取り上げられるほどだ。
※B-52の編隊飛行
8基のジェットエンジンを搭載しているが、重量が80トン以上あるためにその離陸風景は異様だという。
まず最初に両翼が持ち上がり、胴体を引っ張り上げるように離陸するのである。
このような巨大爆撃機はもう現われることはないだろう。
ツァーリ・ボンバ
旧ソ連が開発した史上最大の水素爆弾。ツァーリ・ボンバとは「爆弾の皇帝」の意味である。
1961年に唯一の大気圏内核実験が行われた。単一兵器としては史上最大であり、広島型原子爆弾の3,300倍の威力を示した。しかし、これは本来の性能ではない。ソ連国内の人口密集地まで被害が及ぶのを恐れた軍は、その出力を50%に抑えるように調整したのだ。
※ツァーリ・ボンバ
それでもこのときの爆発は1000km以上離れた場所からも確認され、その衝撃波は地球を3周したことが観測されている。生じたキノコ雲は高さ60km、幅30-40kmもあったという。
この様子はYouTubeにて見ることが出来るが、爆発の衝撃があまりに激しい光景のため興味のある人だけに見ることをすすめる。
爆弾自体も重量27トン、全長8mもあったために当時ソ連でも最大級の爆撃機であったTu-95に半埋め込み式で搭載された。
※爆発の規模
ツァーリ。ボンバは冷戦期の産物であり、現在は製造されていない。
最後に
ここで紹介したものはB-52以外はすべて過去の遺物である。しかし、歴史を知る上で戦争や兵器を知ることが悪いことだとは言い切れない。
兵器を知ることはその時代の技術力、戦略的思考を知ることになるからだ。
そのことだけは読者の方々に伝えたい。
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